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阿蘇・根子岳 油彩 8p
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熊本県
2007年5月
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九州を代表する阿蘇山は5岳からなり、その一番東に位置して最も個性的な姿をしているのが、この根子岳です。最初に出会ったのは、中学の修学旅行の時でしたが、そのときから僕のお気に入りの山になりました。この絵は5月、南阿蘇・高森町から描いたものです。中景に見える山は、らくだ山です。 |
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竹富島の民家 水彩(33×23)
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竹富島
2005年11月
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赤瓦に杉の木造りの、昔ながらの民家が整然と区画された道に沿って建ち並んでいました。どの家の屋根にも守護神であるシーサーが睨みをきかせており、厳しい陽射しに対応した庇の長い家はどっしりとした落ち着きを感じさせました。家を囲む丈夫な石垣は、強い風から家を守っているのだろうと思います。 |
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小樽運河 水彩(25×31)
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北海道
2000年秋
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昭和初期には世界的に注目を集めた埋立て式運河であったそうですが、現在は半分埋め立てて保存、当時の面影を色濃く残している場所として人気の観光スポットになっています。趣きある景観に心惹かれて,描かせてもらいました。東京の個展会場で驚きの出会いがありました。「この絵に描かれている倉庫は祖父のものなのです!」 お孫さんになる方が喜びの声をあげられました。偶然の懐かしい出会いに感慨一入の様子なので、この絵はその方にプレゼントさせて頂きました。 |
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南アルプス遠望 油彩
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長野県
2004年春
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長野県の白樺湖から美ヶ原高原に抜けるビーナスラインを辿ると、八ヶ岳、富士山、南アルプスから木曽御岳、乗鞍から始まる北アルプスの峰々を美しく連続して展望することが出来ます。雪解けの始まった5月、ビーナスラインからの眺めです。 |
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シーサー 油彩 3F
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沖縄県 竹富島
2005年12月
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シーサーとは,悪霊や魔除けの役割を持つ獅子のことだそうです。竹富島の民家の屋根に据え付けられていたそれは、それぞれ個性的で活気に満ちており、恐ろしげな表情にも拘らず親しみを感じさせるものばかりでした。このシーサーは、漁師の家を護る獅子であろうと思われます。今や、沖縄のシンボル的な存在のようです。 |
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利尻富士 油彩 8P
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北海道
2006年7月
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日本の最北限にある利尻島と礼文島を訪ねました。利尻島の独立峰である利尻山は、富士山に似ているので利尻富士と呼ばれています。礼文島から眺めると、島全体が一つの山に見えました。山の高さは1719mですが、海抜0mからそびえ立つ姿は十分に高さを感じさせました。 |
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石垣島風景 油彩画 40.9×27.3cm
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沖縄県
2005年12月
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12月、寒い東京を抜け出し、日本南端の島々を訪ねました。沖縄本島を飛び越え更に1時間、石垣島には蝶が舞い、沢山の花が咲いていました。海岸に波はなく、まるで湖のようです。島の周囲が珊瑚礁に囲まれているので波は沖合で消され、外洋と違ってエメラルドグリーンやマリンブルー等、様々な水の色が眼に鮮やかでした。海岸に咲くハイビスカスの赤い花が南国らしい彩りを添えていました。 |
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阿蘇涅槃 油彩・40変形
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熊本県
2004年9月
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大観峰から眺めました。初秋、阿蘇五岳の景観です。よく釈迦涅槃図に見立てられますが(左端の根子岳がお釈迦様の頭部、高岳が胸のあたり・・・・)。 観る者の気持ち次第ではいかにもと思える大自然の美しい姿です。僕は、敬虔な祈りとこの世の幸せを願いながら描かせてもらいました。 |
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故郷・青島 水彩
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宮崎県
2004年月
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思えば、スケッチブックを抱えて帰郷したのは50年ぶり。街に昔の面影はなく、生まれ育った家も消えていた。バスに乗り、子供の頃よく遊んだ青島を訪ねてみた。青い海、鬼の洗濯板と言われる岩礁やビロー樹の生い茂る島は、昔と少しも変わっていない。岩礁の上で熱い日差しに焼かれながら打ち寄せる波を描き、ビロー樹の木陰に腰を据えて写生に取り組んだり・・・故郷の空気を存分に味わった。 |
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達磨山から 油彩・8P
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伊豆・達磨山
2000年・2月
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6時、東の空が明るくなりました。凍てつく寒さに足踏みすると、霜柱が乾いた音を立てました。「カシャ、カシャ」。雲一つない快晴の空に、雪化粧した白く美しい富士の姿が現れました。日の出と共に山の頂がホッと薄紅色に染まり、パステルカラーで変化していく空を背にして、ほのぼのと赤く大きく光り輝いていきます。しばし我を忘れて、その秀麗な姿に見とれてしまいました。やっぱり、富士は日本一の山です。世界の名山だと思いました。 |
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黄昏の千曲川 油彩・8P
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日本/長野県牟礼
2000年・11月
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4月末日、長野県は飯山市・牟礼にある菜の花公園を訪ねました。あいにくの小雨まじりの天候でしたが、しっとりと美しい菜の花畑の向こうに、千曲川の静かな流れがありました。この川は日本で一番長い信濃川の一部ですが、それだけに流域の景観には歴史の香りが満ちているように思います。島崎藤村の「小諸なる古城のほとり・・・」の歌で有名な懐古園から眺める千曲川には、悠久の佇まいがありますが、人々の暮しの中を流れる千曲川には、より親しみを感じさせるものがあります。流域には若山牧水の歌碑や大小様々の石碑なども在り、歴史ある景観をより魅力的なものにしています。黄昏も迫った頃の風情は、また格別の美しさだと思いました。 |
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那須岳雪化粧 水彩画(295×208)
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日本/栃木県(那須休暇村)
2000年・11月
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栃木県の北部にそびえる雄大な活火山で、5つ並ぶ峰を総称して那須岳といいます。ちなみに北から南へ三本槍岳(1916m)、朝日岳(1903m)、茶臼岳(1917m)、南月岳(1776m)、黒尾谷山(1583m)と並びますが、その中の主峰である茶臼岳は那須岳とも呼ばれています。この山群の周辺には沢山の温泉が湧出していて、日本の代表的な温泉卿として長い歴史を刻んでいます。正面の白く雪化粧した山が朝日岳、麓に見えるのは大丸温泉です。 |
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根子岳春粧 油彩・F20号
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熊本県/南阿蘇
1992年春
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九州を代表する阿蘇山は5岳からなり、その一番東に位置して最も個性的な姿をしているのが、この根子岳です。最初に出会ったのは、中学の修学旅行の時でしたが、そのときから僕のお気に入りの山になりました。 東京に出て、田崎廣助先生(1975年、文化勲章受賞)に師事しました。先生は、この阿蘇山を愛され多くの秀作を残された方です。一歩でも先生に近付きたくて、それから何度となく阿蘇山を訪ねています。そして、必ずこの場所に立ち、根子岳と対峙します。「描かせて頂きます」「謙虚な祈りの心を忘れてはいけない」師の言葉が聞こえてきます。かたわらには、先生の画碑があります。この画碑は、1980年全国の沢山の弟子により建立されたものです。 |
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陽春の那須連峰 油彩・P8号
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栃木県/那須高原
1996年5月
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僕が写生に出かける地方は、関東から北や西の方角が圧倒的に多い。だから、東に位置する那須地方に向って車を走らせ、取材して廻ったのは極めて珍しい事でした。 この日は、5月晴れの素晴らしい晴天に恵まれました。気温もぐんぐん上昇して、上着を着ていると汗ばむ陽気。草地に座り込み、時間の経つのも忘れて写生に集中していました。ところがその内全身から力が抜けて行き、筆を運ぶのも億劫になってしまいました。異常事態であることを意識し、気力を振り絞って医院を探し診察してもらいました。幸い軽い脱水症状だったようです。しばらく安静にしていたら回復しました。それからは、同じ失敗をしないように心掛けています。 |
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八ヶ岳残雪 油彩・P8号
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山梨県長坂町/日野春
1998年2月
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僕の所属している日本山岳画協会は、毎年1月末か2月始めにここ日野春に集合して写生会を兼ねた新年会をやります。JR中央本線の日野春駅前に「風景画家の宿、志満屋」という旅館があるのですが、ここが定宿です。立派なアトリエもあり、居ながらにして南アルプスを写生することが出来るので(その上、安くて親切)、絵の好きな人たちに親しまれています。 この年は、めずらしく大雪が降りました。いつもは、ガラスを通して「甲斐駒ヶ岳」などを描いているのですが、折角の大雪です。しかも、青空が見え始めました。旅館を飛び出し、眩しい雪と寒風を気持ち良く感じ乍ら八ヶ岳の写生に取り組みました。 |
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早春の妙高山 油彩・F100号
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新潟県/妙高高原
1981年春
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この作品は、1981年(昭和56年)の第43回一水会展に出品したものです。会期中に何本かの電話が掛ってきました。「近景に池が描いてあるが、何処から見たのかその場所を教えてほしい」と言うのです。この池は山麓にある「いもりヶ池」。いささか困りました。何故なら、この池の位置は、実際には画面の外にあるものだったからです。 この年も大日本印刷から写真撮影許可の依頼がありました。承諾の返事をしてそのまま忘れていたのですが、1998年の春、この作品を2000年度のカレンダーに使いたい旨の連絡があり、驚かされました。20世紀の最後を飾って、協栄生命の大形カレンダーとして全国に紹介されました。20年近くの歳月を経て、別れたままでいた我が子に再会出来たようで、大変嬉しく懐かしい思いがしました。 |
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御嶽早春 油彩・F100号
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1980年春
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1980年(昭和55年)第42回一水会展出品作品です。 若い頃から山が好きです。南国宮崎に育ったせいでしょうか、特に雪山が大好きです。中でも春風の吹き始める頃の残雪の山々は魅力的です。大自然と共に生き、美しい自然への共感の輪を広げていくことが出来れば幸せです。 |
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