◆ 山口公園
ホテルの前は広場になっており、その大半は山口公園としてきれいに整備されていた。ここパンプローナと日本の山口市とは姉妹都市の間柄なのだそうだ。公園には池が造られ、其処に東屋があり池の畔にはあやめの花が咲いていた【写真】。築山もあり庭石と植木が配置され、正に日本庭園そのものがつくられてあった。出発までの時間を、この公園の散策で楽しんだ。8時50分、ホテル前に我らが専用バスがやってきた【写真】。 |
山口公園にて |
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ホテル前の専用バス→ |
◆ 闘牛場
パンプローナの闘牛場 |
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9時、出発3分前に現地ガイドがバスに乗り込んだ。台所から普段着のままサンダル履きでやってきた、そんな感じのグラマ−美人であった。バスはすぐにスタート。10分後、カスティーリャ広場から歩いて市内観光を始めた。
まず最初にパンプローナの顔でもある闘牛場を訪ねた。この闘牛場は、メキシコシティ、マドリードについで世界で3番目の規模だそうだ(21,000人収容)【写真】。右手に見える赤い扉が牛の通用門、左手に建つ銅像は、文豪ヘミングウェイの胸像である。この町の牛追い祭(7/6〜14)の様子を 『日はまた昇る』の中に描き、パンプローナの町を世界的に有名にしたといわれている。 |
◆ 牛追いの道
この真夏の9日間、毎朝8時、ロケット花火を合図に6頭の牛が市庁舎前から追い立てられ、およそ850メートルの旧市街の路地をたった3〜4分で走り抜け、この闘牛場の赤い通用門に追い込まれていくそうだ。その期間、通り道になる両サイドの建物につけられているベランダには世界中からやってきた見物客が溢れ、市民は牛と共に走り、時には死者が出ることあるというエンシエロ(牛追い)。普段静かな町は熱狂で沸きかえると言う。その道【写真】を、市庁舎【写真】まで逆に歩いてみた。 |
牛追いの道 |
パンプローナ市庁舎 |
◆ カテドラル
市庁舎から5分位の距離にあるカテドラルを訪ねた。其処はこの一帯で最も高い丘になっており、丘は城塞として切り立つ断崖に支えられていた。眼下には、巡礼者がこのカテドラルを目指して歩いてくるのであろう細い道が見えた。カテドラルの正面入口には、キリストを中心にしたロマネスクのレリーフがあった【写真】。中では丁度ミサが行われており、巡礼者の姿も見られた【写真】。近くの民家の玄関に、昔ながらの「太陽飾り」があるのを見つけた。福を呼び込むといわれている飾りものである【写真】。 |
◆ 巡礼標識
再度市庁舎の前を通り、町の中心に向かって歩いた。町角に巡礼の道標があるのを見つけた【写真】。交差点にも信号と一緒に巡礼者の為の道標が付けてあった【写真】。町中に沢山ある道を迷わないで歩けるよう、遠来の巡礼者に対して充分な配慮がなされていることを実感した。 |
巡礼の道標 |
信号機と一緒の道標 |
◆ コーヒー店とコーヒーキャラメル
町の中心:カスティーリョ広場に戻り、此所でガイドさんと別れた。40分間の自由時間を利用して町を散策、この町の名物『コーヒーキャラメル』の専門店【写真】を見つけて、お土産用に買い求めた。何故この町の名物なのか、何も分からないのだが、ともかく有名なんだそうだ。
ヘミングウェイがよく通ったと言われる『カフェ・イルーニャ』<Cafe IRUNA>【写真】を見つけたが、中に入るには時間がなかった。町で一番古いコ−ヒ−店も見つけたのだが断念した。店の看板には、1898年からと記されてあった。店の前で出会ったおじいさんは、その歴史ある店が自慢らしく、この店の写真を撮らないでどうする、という剣幕である。通りすがりの別のおじいさんにも、同意を求める真剣さに半ば呆れて、店の看板をカメラに納めた。おじいさんは、満足そうにニコニコ笑い、人の流れに消えていった。しかし、看板はさておき、店構えを改めて眺めてみても、外見だけでは単に古いと言うだけであり、歴史を感じさせる魅力的な趣きは感じられなかった。 |
コーヒーキャラメルの専門店 |
カフェ・イルーニャ |
◆ サン・セバスティアン<St.SEBASTIAN>
1時間程走って、バスク地方の中心都市:サン・セバスティアンに到着。“カンタブリア海の真珠”と言われる美しい海岸線を持ち、リゾ−ト地として、又グルメの町としても有名だそうだ。美しい景観を期待して展望の良い海沿いの公園まで歩いてみた。公園からは山頂に建つマリア像を遠望することが出来たのみで【写真】、海上は霧に包まれており、あいにくの景観で残念であった。
町の外れににある、ホテル:アランガスにて昼食。本日は期待のシーフード料理である【写真】。リオハワインのサービスも付いて美味しく頂いた。リオハワインは、リオハ地方で採れる良質の葡萄(ぶどう)で造られたもので、ラベルにリオハの名が刻まれていれば品質と味が保証されるという銘柄品である。 |
公園より山頂のマリア像を望む |
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昼食のタラとリオハワイン |
◆ ゲルニカ <Gernika>
ゲルニカ (部分) |
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途中、ピカソの代表作として名高いゲルニカの町への分岐点を通過した。1937年4月26日、ドイツ軍はスペイン内戦に干渉し、突如小さなゲルニカ村を爆撃して2000人を虐殺した。パリでこのニュースを聞いたピカソは、爆撃の5日後には大作『ゲルニカ』【写真】を制作、抗議したと言われている。添乗員の話によると、現在のゲルニカには、爆撃による傷跡はどこにも残されていないということであった。
<※ ゲルニカも含めてこの一帯はバスク<VASCO>地方と呼ばれている。その中心がサン・セバスティアンなのだが、ここではバスク語が使われ、男はバスクベレーをかぶっている。1979年に自治権を得ているが、独立を目指してETA<祖国バスクと自由>は、時には過激な行動も起こしながら、現在も活動中である。> |
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ホテルにチェックイン |
◆ 時が止まった町
3時間近くバスに揺られ、18時、今夜の宿泊地サンティジャーナ・デル・マール<Santillana
del Mar>に到着した。中世のまま時が止まっていると言われている町である。小さなホテル:ロス・インファンテスにチェックイン。カウンター後ろの壁に並ぶ時計たちも、もしかして中世のままの時を刻んでいるのであろうか【写真】。
夕食までの時間を惜しんで町を散策した。通りの坂道を上がっていったら、直ぐに家並みは切れ、そこには緩やかに広がる田園の眺めがあった。薄緑の短冊状に繋がる大地に赤い屋根の家が点在しており、教会らしい建物の近くには白い母馬と子馬が仲良く草をはんでいた。薄曇りの空模様が演出するのか、そのパステルカラーの色調が心にしみて、それはいかにも穏やかで美しい景観であった【スケッチ作品】。スケッチ用具を取りに大急ぎでホテルに引き返した。 |
スケッチ ”親子馬のいる風景”
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ホテル・アルタミラの標札 |
夕食は、ホテル・アルタミラ【写真】のレストラン。ここもアンティークな造りで趣きのある所であった。明日は、洞窟の絵で有名なアルタミラ<Altamira>へ行く。 |
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