★ 2001 ピレネーと北スペインの旅
スペイン国旗  ◆ 6日目(5月29日) 【旅の全体地図】 目次へ
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【本日の旅程】=アルティエス→ハカ→ハビエル→パンプローナ(泊)

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バラソーナダムとエニシダ
◆ 今日は長距離移動の日
 今日は、パンプローナ<PAMPLONA>まで、およそ340キロメートルの長い道程を移動することになっている。全日程の中で一番の長距離移動になるという。丁度、東京から名古屋辺りまでと言うことになるようだ。
 9時にホテルを出発して、再度長〜〜いビエリヤトンネルを通過、バスはピレネー山塊を背にして一旦南に向かって走った。次第に道は平坦になり10時半頃、大きな湖のほとり【写真】で停車してもらった。5分程ではあったが、バスから降りて腰や手足を伸ばし、一息入れた。湖と見えたのは、バラソーナ<Barasona>ダムである。岸辺には、エニシダの群落があり、広々とした景観に美しい彩りを添えていた。


◆ 広大な大地をひた走る
 10時40分、バスは西方向に進路を変えて再び走り出した。リモンターノ平野(ワインの産地として有名)を通過、バルバストロ<Barbastro>近郊のレストランでトイレ休憩、広い庭に夾竹桃の赤い花がきれいに咲いていた。
 道の左右は、広大な大地が果てしなく広がり、草地や畑地のそこここに赤いけしの花が咲いていた【写真】。一面、赤い絨毯のように見える程に群生しているところも沢山見かけた。
 12時頃、ウエスカ<Huesca>を通過した。スペイン内戦の時にはアラゴン戦線と呼ばれ、壮絶な戦いが繰り広げられた地域だそうだ。遠くの稜線に小さく城塞の姿が見うけられた【写真】
 此所からバスは、再び北の方向に進路を変えて走った。前方には雪を頂く山並が見えた。さらにその遠くに見える山並に向かって、ひたすら走った。
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赤いけしの花咲く大地
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ウエスカ近郊の城塞


◆ スペイン巡礼の道
 13時頃、カスティージョ・デ・ハカ<Castillo de Jaca>村に到着。丘の上に建つ教会まで、急な石畳の坂道を登った【写真下】。この教会は10世紀頃に建てられたものらしい。教会の庭からは、近くに白いピレネーの山並が見えた。山並の向こうはフランスである。その国境にあるソンポルト峠<Puerto de Somport>を越えた巡礼者たちは、この教会を目指してやってくるのだという。日陰に佇み、しばし教会を眺め、ピレネーの山並を眺め、広がる草原に巡礼者の姿を探してみたが、動く人影を見つけることは出来なかった。
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ハカ村の教会への坂道
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巡礼標識

 もと来た道をゆっくり下った。この坂道を巡礼者も歩くのだが、目的のサンチャゴ・デ・コンポステラまで、この村からおよそ900kmもあるそうだ。坂道を下りきった地点の電柱に巡礼標識が付けてあった【写真上】。白い矢印が示す道は、車の通らない細い山道であった。快晴の空からの日差しは厳しいが、日陰の多い巡礼の道には爽やかな風が吹き、疲れを癒してくれるに違いない。それにしても、遥かなるスペイン巡礼の道、気の遠くなるような道程である。果たしてどの位の人が、初志を貫き完歩出来るのであろうか。


◆ ハカ <Jaca>

 ハカ町の中心にあるグランドホテルで昼食を済ませ、1時間程、町の観光をした。人口1万5千人。古来交通の要所として、峠越えの税関の役目で栄えたといわれている。8世紀に侵入してきたイスラム教徒との争いは激烈を極めたそうだが、現在もなお国境警備の為、この町には軍隊が駐屯しており、16世紀に築かれた要塞【写真】の中が、その軍隊本部であった。
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ハカ村の要塞→
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柱頭
←サンペドロ大聖堂
 サンペドロ大聖堂【写真】も見学した。スペイン最初のロマネスク建築だったそうだが、そのなごりは入口ファサードや柱頭【写真】など、一部だけに残されているのみであった。



◆ ザビエル城
 ハカから90キロ、1時間余りでハビエル<Jabier>の町にあるザビエル城に到着した。信者ではなくとも、日本人にはよく知られているキリスト教伝導者:フランシスコ・ザビエルが生まれ育った城である【写真下】。彼は、1506年4月、5人兄弟の末子として生まれ、19才までこの城で暮らした。彼が子供の頃には、巡礼の道を往く見知らぬ国の人々を見ていたであろうし、大航海時代の幕開けが新大陸への夢を育んだことであろう。それがパリ留学となり、鹿児島上陸へと繋がっていく。46才の時、中国の上川で他界したが、日本との関わりは今も変わらず続いている。城の見学に関しては、日本人の場合は無料であった。
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ザビエル城
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ザビエル城内部の資料室

 彼の父親が死去した後は、彼の一族はすべて政治的に弾圧され殺され、苦難の生活を余儀なくされたようだ。しかし、彼は命までは奪われずにすんだ。そして、城はその機能を奪われ縮小され、裸同然の姿となって今日に至っている。城の内部は観光用に整備され、当時の衣装や彫像、絵などが大切に保管され、展示もされていた【写真上】
 城の左側部分は、ネオクラシック様式の大聖堂である。皆さんが見学している間、急いでスケッチに取り組んだ。

 1時間近く走って17時20分、パンプローナ<PAMPLONA>のホテル:レイノ・デ・ナバラに到着。
21時、ホテルのレストランで夕食。海に近づいたせいか、ディナーのメニューはシーフードのサラダ/シーフードの盛り合わせ/アイスクリーム/ワイン・コ−ヒ−・紅茶。

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