★ 2001 ピレネーと北スペインの旅
スペイン国旗  ◆ 10日目(6月2日) 【旅の全体地図】 目次へ
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【本日の旅程】=レオン→アストルガ→ポンフェラーダ→サンチャゴ・デ・コンポステラ(泊)

 今日も晴れの朝を迎えた。北スペインで、こんなに晴の日が続くのは珍しいことだそうだ。ありがたい。
8時半、ホテルのロビーから、先ずはパラドールの見学に出発した。


◆ パラドール
 ロビーのガラス窓を通して見える中庭【写真】から見学を始めた。中庭は回廊に囲まれており、回廊にはロマネスクの彫刻を始めそれ以前の時代の棺なども並べられてあった【写真】
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パラドールの回廊と中庭
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彫刻や棺などが並ぶ回廊内→

 元々ここは歴史ある聖マルコス修道院である。歴史に登場するのは中世の聖地巡礼の頃であるが、当時は病院や宿の役目を果たしていたようだ。その後、18世紀にはナポレオンに攻められ、しばらくは学校として使われたそうだ。20世紀になってフランコの市民戦争の際は、何と牢獄として使われたという。現在のパラドールとして生まれ変わったのは1964年であり、現在では5つ星に輝く最高ランクのホテルとして、スペインのみならずヨーロッパでも有数のホテルの一つに数えられている。
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正面ファサード
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聖ヤコブのレリーフ
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巡礼者像

 正面ファサードは、豪華なスペインのルネッサンス様式であり【写真上】、中央には白馬に跨がった聖ヤコブのレリーフが飾られてある【写真上】。正面広場には、長かった巡礼の道をようやくここまで辿りついた巡礼者の姿があった。彼は素足になり、いかにも満ち足りた表情で、元・修道院を見上げていた【写真上】。足元に脱ぎ捨てられているサンダルには、足裏の形が深く刻み込まれていた。それは、ここまでの厳しかった巡礼の道を歩き遂せた何よりの印である。しかし、巡礼の道はまだまだ続く。彼は、何を願って歩き続けるのだろうか。
 9時、バスに乗り、レオンの旧市街へ向かった。


◆ ボティネス邸 【写真】
 建築家:アントニオ・ガウディーが、バルセロナ以外の都市に設計した3つの建物の内の一つ。ガウディーのパトロンであるグエルの友人:ボティネスの為に作られた建物であるが、現在は銀行のオフィスとして使われている。
 ボティネス邸前の広場にあるベンチに一人ガウディーが座っていた。何をメモっているのだろう・・・後ろから、そっと覗いてみたが分からなかった【写真】
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ボティネス邸
 ←ベンチに座るガウディー像
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ホタテの巡礼道標


◆ 大聖堂

 ボティネス邸の前にある路地から先は、道の真ん中に黄金色のホタテ貝の巡礼道標【写真】が貼りつけてあった。我々も、この道しるべに従い巡礼の路を辿った。路地を抜けたら、大きな広場に巨大な大聖堂の姿があった【写真】。13世紀〜14世紀末にフランス人により設計されたフランス風のゴシック建築である。正面左が鐘楼であり高さ65メートル、右に建つのが時計塔で高さ68メートルあるそうだ。
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巨大な大聖堂→
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大聖堂内のステンドグラス
 正面ファサードには『最後の審判』のレリーフがあった。堂内に入ると、外観からは想像も出来なかったステンドグラスの輝きがあった【写真上】。高く広い空間に綾なすその美しさに、しばし心を奪われてしまった。東西南北に面するステンドグラスのモチーフは、その方角に合わせて相応しいものをとりあげているようであった。グラスの総面積1200平方メートル。ステンドグラスを手がけた一級の職人はフランス人であったとみられており、さすがスペイン一の美しさを誇るだけの素晴らしいものであった。祈りを終えて去り行く人にもう一度問い掛けをする為、出口になる西側ファサードの扉中央には『白い聖母マリア』の姿があった。キリストを称えその教えを広める為に、人間が全能力を傾けて造りあげた聖堂という建築物、それは教育施設とも言えるものであり、そこに凝縮されたエネルギーにはいつも圧倒される思いがする。


◆ 小さな博物館
 巡礼者の道を辿り、サンイシドロ教会を訪ね、小さな博物館も見学した。ここには、動物の皮に記された本(150册)や初期木版活字の本(300册)などが保存されてあった。宝物庫には、聖イシドロ(聖ヤコブの生まれ変わりといわれている)の遺骨が納められた銀製の小箱や、象牙で造られた精巧な小物などがあった。3階は、王家の霊廟で、レオン王や王家の人々の棺が静かに並んでいた。この部屋にやってきたナポレオンは、これら棺を荒らし馬鹿にしたと言うが、どんな事情があったのだろうか。館内はすべて撮影禁止であったので、画像として報告することは出来ない。


◆ アストルガへ
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アストルガの司教館
 1時間程バスで走り、12時30分、アストルガ<Astorga>に到着した。ここはローマ時代からの古い街で、人口1万4千人位。ガウディーによって設計された『司教館』【写真】を訪ねた。文字通り、司教の為に設計された館であるが、当時としてはあまりにも奇抜なデザインであった為か、当の司教からは拒否されてしまったといわれている。外観は中世のお城のようであり、内部には、近隣から集められた12世紀〜19世紀にかけての聖人の像が展示されてあった。聖ヤコブは特別扱いになっており、沢山のヤコブ像が展示されてあった。
 司教館と通りをはさんで建つ大聖堂にも挨拶をしてきたが、これは15世紀から18世紀にかけて建造されたというバロックとルネッサンスの混在した建物であり、いかにも権威を見せつけるような威圧感に満ちた聖堂であった。
 ホテル『ガウディー』にて昼食。14時40分、アストルガを後にした。


◆ ポンフェラーダ <Ponferrada>
 15時20分、1時間足らずで到着した。人口6万人位の小さな街であり、昼休みの時間だったせいか、街は暑い日差しの中に眠っているようであった。カスティーリャ広場から時計塔のある古い町並【写真】を抜けたところに、旧テンプル騎士団が駐屯していたという古城(城塞)があった【写真】。ここは16世紀頃、巡礼の道を保護する為に栄えた城塞都市である。どんなロマンを秘めた歴史を刻んできたのであろうか。手がかりを求めようにも、古城の中には入ることが出来なかった。
 16時、セブレイロ峠に向かって出発。
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ポンフェラーダの街並み
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古城 (城塞)


◆ セブレイロ峠
<Puerto de Pedrafita do Cebreiro;1300m>
 巡礼の道、最後の難所である。1年の大半が吹雪と風雨に見舞われているところだそうだ。峠には聖ヤコブの十字架が立っていた【写真】。そしてそこには石積みの教会と救護所があった【写真】。いずれも9〜10世紀頃建てられたものを修復したものであり、救護所は現在宿泊所として使われていた。宿泊所入口前の庭は木陰になっており、そこに置かれた椅子とテーブルには、長旅に疲れた体を休める巡礼者の姿があった。
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聖ヤコブの十字架→
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セブレイロ峠の救護所
 ←疲れた巡礼者(左)

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救護所のマリア像
 僕らも木陰で一息ついていたら、又一人、両の手に杖を持った巡礼の人がやってきた【写真上】。立ち止まり、建物をしっかり確認すると、ゆっくりした動作で近づいてきた。白いヒゲをたくわえた老人であった。足元を見つめながらの歩きを見ると、今にも倒れてしまいそうに揺れているではないか。すばやく職員の一人が駆け寄った。老人は言葉もなく、俯いたまま両手の杖を頼りにゆらゆらと歩いた。僕は、思わず後ずさり、彼に道をあけていた。彼は職員の後に従い、僕の前をゆっくり通り過ぎていった。半ば、意識をなくしているのではないのだろうか。しかし、視界から消えていく後ろ姿には、信仰が支えている強い力が感じられた。圧倒される思いであった。
 救護所に隣接して教会の礼拝堂があった。帽子を取って中に入ると、沢山のロウソクに照らされてキリストを抱くマリアの像があった【写真】。巡礼者は祈り、新たな力を与えられ、再び聖地に向かって更なる道を歩き始めるのであろう。先ほどの巡礼者にも、最後まで歩き通せる力が与えられることを心から願う。
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セブレイロ峠からの眺め
セブレイロ峠に咲く草花
峠に咲く草花

 礼拝堂を出て、西の山並を眺めた【写真上】。細く繋がる巡礼の道が見えた。遥かなる道ではあるが、稜線の向こうには聖地が見えるはずである。足元には涼やかな色の草花が、峠を越えて行く風に揺れていた【写真上】


◆ モンテ・ゴッソ (ゴソの丘=歓喜の丘)
 バスは山中の道を2時間走った。バスにとっても最後の難関であった。19時過ぎ、遂にモンテ・ゴッソに到着した。長い旅路の末に、巡礼者が初めてサンチャゴの大聖堂を見る場所である。待ちに待った聖地を視野におさめた喜びから、この丘を『歓喜の丘』と言う。そこには聖都を指差し喜びあう二人の巡礼者の姿があった。黒い衣装をまとった彼等は鉄で造られてあり、3メートル近い大男であった。近くには宿泊所もあり、ここで改めて身を清めて聖地に入る人も多いのであろう。

 19時40分、サンチャゴのホテル『メリアコンフォート』に到着した。

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