★ 2001 ピレネーと北スペインの旅
スペイン国旗  ◆ 11日目(6月3日) 【旅の全体地図】 目次へ
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【本日の旅程】=サンチャゴ・デ・コンポステラ(泊)

 今日の予定は、午前中だけ全員でサンチャゴ・デ・コンポステラの観光を楽しみ、午後は各自自由行動をすることになっている。

◆ サンチャゴ・デ・コンポステラ <SANTIAGO DE COMPOSTELA>
 今回の旅の終着点であるサンチャゴ・デ・コンポステラは、中世独特の面影を今に残している門前町である。9世紀初頭、キリスト十二使徒の一人:聖ヤコブの墓と思われるものが発見され、そこに教会が建てられた。時の法皇レオン三世がこの地を聖地に指定すると、10世紀にはローマ、エルサレムと並ぶ大巡礼地になり、以来数知れない巡礼を迎え入れて今日に至っている街である。
 この街を象徴するのが、聖ヤコブの棺が安置されているカテドラルである。そのカテドラルと街の佇まいが一望出来る丘に上がってみた【写真下】。丘には沢山の樹木が生い茂っており、一周出来る散歩道にはベンチもあって、公園として市民の憩いの場所にもなっているようであった。ここから、“街全体がモニュメント”ともいわれる落着いた街の佇まいをしっかり眺めることが出来た。
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丘の上からカテドラルを望む
【油彩画の完成作品】 【水彩画の完成作品】
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街のたたずまいを望む

◆ 二人のマリア
 公園の一角に、色鮮やかな衣装を身にまとった二人の老女が立っていた【写真】。今は亡き老女の像であるが、この公園では“二人のマリア”と呼ばれ、とても有名な人物であったそうな。
 何故か、二人はいつも連れだって公園を散歩しており、すれ違う人の内、特に若い男性と見るや、男の急所を掴んでは喜んでいたという、いわば痴漢老女であったらしい。現在ではこの二人、“痴漢に気をつけましょう”と呼びかけているのだそうだ。ホントカナ?
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”二人のマリア”像→

◆ カテドラル
 今日は日曜日であり、かつ宗教上特別の記念すべき日でもあるらしく、街や教会は大勢の人出で賑わっていた。11世紀後半に建てられたロマネスクの教会に、後年増改築が加えられ、ゴシック、ルネッサンス、バロックの各様式が折り重なる様にして出来ているのが、現在のカテドラルである。
 栄光の門はロマネスク時代の正面玄関であり、巨匠マテオが20年かけて造ったというスペイン・ロマネスクの最高傑作である。この門をくぐると身廊が真直ぐ祭壇まで伸びており、金銀で燦然と光り輝く大祭壇【写真】の中央には聖ヤコブの像があった。祭壇の前には、ボタフメイロという巨大な香を炊く器が吊り下げられてあり、祭壇の下の地下室には、聖ヤコブのものといわれる棺が納められてあった【写真】。若い男女が二人、棺を見つめたままいっこうに動こうとはしなかった。堂内には勇壮な聖ヤコブの騎馬像【写真】があった(さまざまな所にヤコブが騎馬に乗って現れ、人々を危機から救ったという伝説が残されている)。宝物室には、更に厳重に保護された金庫室の中に、教会の宝物が保管されてあった【写真下】。これほど迄に厳重にしているのを見るのは初めての事である。いささかオーバーではないのかな?と思われ、改めて眺めてみたのであった。
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カテドラルの祭壇
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聖ヤコブの棺
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聖ヤコブの騎馬像

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厳重に保護された教会の宝物 ↑→
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◆ 巡礼の道について
 キリスト教に限らず、いろんな宗教においても巡礼という慣行がみられるが、日本における例えば四国の巡礼路と今回の巡礼路とでは、基本的に大きな違いがあるように思った。殊更に記す程のことではないと思うが、僕にとっては新鮮な発見であった。
 それは、端的にいえば四国に於ける巡礼は、八十八カ所の札所を訪ねることであるが、スペインに於いては、ただ1点、サンチャゴ・デ・コンポステラを訪ねることであった、という違いである。何故1点なのか。そこにだけ、聖ヤコブのものと思われる遺骨が実在するからである。神格化されたヤコブの遺骨を自分の目で確かめ、出来ることなら直接触って自分の願いごとを聞き届けてもらいたい。その願いを叶える為の苦しい試練の道が、スペインに於ける巡礼の道であったようだ。900キロにも及ぶ厳しい苦行の道は、ヤコブの殉教に匹敵する試練の道であったのであろうと思う。改めて記すまでもなく、キリスト教が普及していったのには、厳しい迫害を乗り越えた殉教の物語りがあり、その命をかけた試練が神(天国)に近付ける道であるという教えがある。つまりは、試練に立ち向かうことが天国への道ということであろう。だから、歓喜の丘で奮い立ち、ヤコブの眠るカテドラルで涙を流すのであろうか。


◆ ミサ
 11時、ミサが始った。祭壇を取り囲むようにして大勢の人が集まった。祭壇前のボタフメイロに香が焚かれた。それはブランコのように天井から吊り下げられており、一人の男が力一杯堂内に押し投げると【写真】、片方の紐を持った男たちが調子を合わせて引いた。ボタフメイロは左右に大きく揺られ、盛大に香が堂内にまき散らされた【写真】。これは14世紀から続く伝統だそうで、堂内にこもる巡礼者たちの悪臭を消すのが目的だったといわれている。賛美歌が歌われ、説教があり、聖ヤコブの像が乗った神輿が堂内を一巡することで1回のセレモニー【写真】が終了した。今日はこのミサが4回行われるということだった。
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ミサの始まり
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香がまかれる
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ミサのセレモニー


◆ その他の観光
 付属博物館も訪ねてみた。ゴヤのタペストリーが沢山展示されていたのは意外であった。残念ながら全室撮影禁止であった。博物館の窓から広場が見渡せた【写真右】。今日は生憎の曇り空である。旧市街の細い道と赤い屋根が続く街の佇まいも、どんよりと重く沈んで見えた【写真下】。広場に降り立ってみたら、古代エジプトの衣装を着た一人の大道芸人が、危うい台の上で凍っていた【写真下】。広場を撮影した画像の右下に見えるのがそれである。見事なマネキンであったが、なぜ古代エジプトなのだろう、と思ってしまった。いかにも中世を思わせる路地【写真下】を抜け、旧市街にある静かなレストランへ向かった。
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博物館より広場を望む
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旧市街の街並み
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大道芸人
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中世を思わせる路地

◆ 合唱する子供たち
 食事の後は各自自由に行動した。市内観光を続ける人、港町:LA CORUNAまで列車に乗って出かけたグループなどいたが、僕は一人、今朝訪ねた公園に引き返し、サンチャゴ・デ・コンポステラの眺めを写生した【スケッチ作品】
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スケッチ画 ”サンチャゴ・デ・コンポステラ”
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嬉しそうに応える子供たち

 ピックアップに来てくれるという約束の場所でバスを待っていたら、道の向う側に、同じく迎えのバスを待っているらしい子供たちと先生の姿があった。待ちくたびれているらしい子供たちに、先生が歌の指導を始めた。石垣に腰掛けた子供たちは小学生であろうか、足をぶらぶらさせながら、楽しそうに歌い始めた。みんなが先生の顔を見つめて、静かな路地に可愛い歌声が流れた。実に微笑ましい眺めであった。心洗われる思いで、歌声を聞き、その情景に見とれてしまった。歌い終わった彼等に拍手を送った。思いがけない拍手に驚いたのであろうか、先生も子供たちも嬉しそうに応えてくれた【写真上】。心和む、旅の出会いをありがとう。


◆ 最後の晩餐
 21時、ホテルのレストランにはメンバー全員の顔が揃っていた。今夜が最後の晩さんである。今日までの12日間、特に大きなトラブルもなく、元気に楽しく過ごすことの出来たことは何よりであった。まずは乾杯!
 今日のミサに同席して、溢れ出る涙をとめることが出来なかったと語る一人参加の婦人、もっとスペイン語に磨きをかけて近い内に一人で来ますと決意を語る60代男性、実際に自分の足で巡礼の道を歩いてみたい、その為にももっとスペイン語を勉強しなくては!と抱負を語る人、これからも更に株の研究を続け利益をあげて海外旅行を楽しみたい・・・などなど、話題はさまざまであった。まだまだ、自分たちの人生はこれからだと思いたい。飲み放題のワインのなせるところか、希望や抱負には余計に力(リキ)が入るようであった。
 最後に添乗員が挨拶をした。「実は、この添乗の仕事を最後にして、自分は別の道を探して進むことにしている」と。彼はまだ20代で独身。性格も良く、才気溢れる逸材である。自ずと未来は開けて行くに違いない。1度だけの人生である、可能な限りチャレンジしてみることが面白く楽しめる生き方であろう。だから、チャレンジ精神は生涯大切にしたいと思う。それにしても今夜の彼の若さ、何と眩しく感じられたことか。
 我々の最後の晩餐は、新しく始まる明日の朝食の為にあるものであり、期待と希望に満ちた心ときめくものでありたいもの。正に今夜の晩餐会はそんな感じのものであったと思う。彼の前途を祝して乾杯!最後に、我々の次なる旅が実現出来ることを祈念して、乾杯!

 明日は1日中、ひたすら“帰国の道”を辿るのみである。

<2001 ピレネーと北スペインの旅 −終わり−>

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