2008ヒマラヤ・ネパールの旅

◆5日目(3月9日)晴れ

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◆カスキコットの丘ハイキング

 ヒマラヤ連峰の大パノラマを最もよく見渡せるハイキングコースとして知られており、アンナプルナ連峰はもちろん、天気が良ければ巨峰ダウラギだって見えると言う丘である。今回の旅で、最も期待を抱いた魅力のヴューポイント。どうか、見えます様に!祈るような気持ちでバスに乗り込んだ。
 途中迄、昨日走ったのと同じ道を辿り、更に谷沿いに高度を上げ乍らバスは快調に走った。最初にこの道を辿った時は、未舗装のガタガタ道であった。それは1981年、ダウラギリを目指した山行の時であったと思う。盛大に土煙を上げ乍ら走ったことを覚えている。しかも、車で入れるのは谷奥までであり、そこからはザックを担いでノーダラ峠まで九十九折りの細い山道を登らねばならなかった。
 今回、バスは何時の間にかノーダラ峠まで登りきっていた。しかも、此処から更に道は東にも西方向にも伸びていた。思えば前回の1993年、アンナプルナを訪ねた時は、この道は完成しており、このノーダラから西方向に、しばらく車のお世話になって、「嗚呼ラクチン!ラクチン!」と、喜んだことも思い出した。懐かしい思い出一杯の峠である(写真下)。
 今回は、此処から東方向に尾根道を辿り、カスキコットの丘を目指す。天気が良ければ、左方角にヒマラヤ連峰が見えるはず・・・ なのに、今日も期待はあっさり裏切られてしまった。ヒマラヤのヒの字も見えない。本当に残念でならな〜い!


ノーダラの丘

カスキコットの丘を目指して

 昨日のハイキングの疲れが取れないのか,途中でA氏がリタイアすると申し出た。年配の一人参加の女性も断念して引き返すと言う。二人に付き合い僕も隊列から離脱することにして、元気な皆さんを見送った(写真右)。

 その場所に腰を下ろし、ノーダラの展望を1枚水彩で描く(写真下)。その間、二人には待っていてもらった。A氏は、僕の横で昼寝。女性はカメラ片手に散策。約束の時間に遅れないよう、バスが待っている地点に三人一緒、ゆっくり引き返した。


水彩画「ノーダラの丘から」


道ですれ違った村の娘、ネパールの女性は良く働く。

ノーダラの丘、懐かしい旧道を少しだけ歩いてみた。

 少し時間にゆとりがあったので、A氏を誘ってノーダラの旧道を辿ってみた。27年前と殆ど変わっていないように思った(写真左、下)。


旧道の農家で、仲良しの山羊と鶏

旧道の農家で、仲良しの牛と山羊の子供

 家内は、みんなと一緒にトレッキング。「適当に起伏もあって、私には手頃なコース。きつくはなかったよ」凡そ7kmのコースだったらしい。完歩出来て満足そうであった(写真下)。

一緒に歩いてきたチベット人の物売りからお土産を買う

コースの途中で現地ガイド:ナビンと

◆ガーデンランチ


 約束の時間に、全員集合。バスは同じ道を引き返し、12時少し前にホテルに帰着した。昼食は食堂の外にセットされたテーブルで頂く。赤い花をつけた庭木に野鳥が戯れており、頭上に咲く花がそよ風に揺れた。爽やかな外気が気持ち良い。うどんに似たドンブリ物が運ばれてきた。この地方独特の料理だと言う(写真右)。薄味のさっぱりした食感で、美味しいと思った。午後、自由時間。ホテル内で気ままに過ごす。

 

◆鳥見と花見


 見上げる空には、円く輪を描き乍ら悠々と舞うコンドルの姿があった。白いサギが、空の青に染まり乍ら視界の真ん中を横切り飛び去って行った。庭内にある木々には、日本では見かけたことのない野鳥が飛び交っている。さえずる声に耳傾けながら、カメラ片手にゆっくり鳥見を楽しんだ(写真左、下)。


庭で見かけた野鳥たち

庭に咲いていた花々

 庭を散策しながら奇麗に咲く花を眺める。蝶が舞っていた。初めて目にする花がいくつもあった。花から花へ舞う蝶を追いかけていたら、蝶は水辺に咲く深紅のケシの花で羽を休めた。見慣れた花だが、青い空を映した水面に映えて格別に美しいと思った。ときどき、人の話し声が遠くに聞こえる。心休まる静けさである。こんな穏やかなひとときを,しみじみ贅沢な時間であると思った。(写真左、下)。

 





池のある広い庭、池の後ろに見えるのは玄関に向う渡り廊下

◆ああ・・・やってしまった!

 夕刻、A氏夫妻とお茶を楽しんだ。ベランダを移動した時、予期せぬ事故が待っていた。不覚にもバランスを崩してテーブルの足に躓いてしまったのである。そのショックで、テーブル上のグラス2個が落下、タイル床だったのでグラスはものの見事に砕け散った。メイドに掃除をしてもらった。若しかしたら弁償かな?と思いながら、ホテルカウンターにも報告した。不運は重なり、"若しかしたら" が的中。 「このグラスは、シンガポールから輸入した高級品なので、弁償してほしい」と。
 仕出かした不始末、やむを得ない。現金で弁済を済ませ領収書を書いてもらった。旅行保険がカバーしてくれるはずである。添乗員が、現認書を書いてくれると約束してくれたのでひと安心である。思わぬ失敗、ダメージは少なくて済んだものの、油断の結果である。"事故は忘れた頃にやってくる・・・" 一人呟きながら、気を引き締めた。 

  昔と違って、浴室のお湯はたっぷりであった。ゆっくり疲れをほぐし、早めに就寝。ポカラとは、今夜でお別れである。3連泊もあっけなく過ぎ去ってしまった。


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