2007アルプスへの旅
◆6日目(8月19日)晴れ〜曇り 目次へ
前の日
次の日へ
次の日

 3時。夜空を見上げてみたら、星が瞬いていた。安心して、また眠りについた。

◆早朝のドライブ

 6時。明るくなった。カメラを抱えて外に出ようとしたが、玄関にはカギが掛けられていた。連絡しておけばよかった!と後悔する。窓から見える山の稜線に朝日が当り、赤く色付き始めた(写真下)。1時間待って、ようやく外に出ることが出来た。

朝日に赤く色付き始めた山

 昨日走って来た山岳道路を引き返す。窓を開け、冷たい空気を胸一杯に入れエンジンの音を頼もしく聞き乍らのドライブは快適である。見通しの良い道に動く物は何もない。青空のもと、広々と開けた山岳風景を独り占めにしながら快調に飛ばす。しみじみ車で来てよかったと思う。格別に爽快。
 昨日は雲に隠されていたGrossglockner(3789)の姿が、鋭く聳えるSonnenwelleck(3261)と Fuscherkarkopf(3331) のピークの後に見えた。「この地点が代表的なビューポイントである」と山岳道路の案内にあったが、今朝は雪も少なく変化にも乏しい(写真下) 。 今一つ迫力が感じられない。物足りないと思った。期待が大き過ぎたのかもしれない。少しがっかりしながらUターン。


冴えないアルプスの眺め
 峠を越えトンネルを出たら、眼下に朝の光りを浴びて建つWallackhaus の姿が爽やかに見えた(写真下)。車を停めて外に出た。「なかなか良い場所に建っている」・・・しばし見とれた。後を振り返ってみたら、青い空に白い雲が勢い良く吹き上がっていた(写真下)。

Wallackhausは山岳道路の外れに在った

活気を見せる白い雲

◆フランツ・ヨーゼフス・ヘーエ


Wallackhaus

 8時〜朝食。  9時、ホテルを後にした(写真右)。

 先ずは、フランツ・ヨーゼフス・ヘーエを目指す。ホテルを出ると直ぐに下り坂、昨日確認した分岐点を右に入ると、道は登りになった。セコンドギアとローギアを交互に使い分け乍ら快調に走る。4km位走った頃であろうか、突然、目の前にGrossglockner(3797m) の勇姿が現れた(写真下)。オーストリアの最高峰で富士山より22m高い。やはり他を圧倒する姿であると思う。独立峰ではないが、白い頂きが青空に輝いて気品を感じさせ、なかなかの風格である。何度か路肩に車を停めてスケッチのポイントを検討しながら進んだ。しかし、谷間に湧いた雲が並走するように上に向って伸びていくので、ともかく氷河の見える再奥の展望台まで行ってみることにした。

Grossglockner(3797m)

 「ヘーエ」に到着した時、まだ観光客の姿は少なかった。青一色だった空に雲が浮び、山裾は雲に覆われつつあった。のんびりしてはいられない。建物の日陰に腰を据え、スケッチブックを拡げて写生に取り組んだ。ちなみに「ヘーエ」とは、ドイツ語で「高地」のこと。1856年、時の皇帝フランツ・ヨーゼフがこの地を尋ねたことを記念して命名されたという。


パステルツェ氷河

 10時半、Grossglocknerは雲に包まれてしまった。Visitor Center を訪ね、天候の見通しを確かめる。P・Cの画面には、明日も明後日も雨マーク。カウンターのおじさんが、気の毒そうに鼻をこすった。 天候次第では、ヘーエから少し下ったグロックナーハウスへ泊ることを考えたのだが、これでは意味がなさそうである。残念だが、山岳道路とはお別れすることにした。


仲睦まじいマーモット

 しばし名残を惜しみ(写真右、下)、11時、Lienz を目指してスタートした。見れば2時間前は、ガラ空きだった駐車場が満車状態になっており、まだ次々と訪れる車で、登り車線は渋滞気味になっていた。まさかこんなに早く、Grossglocknerが見えなくなるとは思っていなかったに違いない。短い時間ではあったが、僕らは青空に輝く景観と出会えた。未完成ながらスケッチも出来た。延々とつながる対向車を見乍ら「気の毒だね」と話し乍ら、慎重に下り車線を走った。


Grossglocknerとノアの箱舟をイメージして創作された作品

◆リエンツ(Bruck城)


Bruck城

 Lienz の手前、Iselberg という町で、道路脇の木陰に車を停めて一息ついた。眼下にLienzの町が広がり、町を見下ろすように巨大なドロミテ山塊が聳えていた。いよいよイタリアが近いことを実感する。時刻は1時半。陽射しは暑いが、木陰は爽やか。薄い半袖に着替えて遅くなったlunch(サンドイッチ、リンゴジュース、バナナ)を楽しんだ。
 Lienzについての事前情報は皆無であった。「歩き方」をみると、Bruck 城の紹介があったので、とにかく立寄ってみることにした。「歩き方」の略図では分からず、何人かの人に尋ねてようやく辿り着けた。城の回りは緑の濃い丘陵公園風になっていて、家族連れの姿が多かった(写真右、下)。


Bruck城入口

 城というイメージとLienz出身の画家:アルピンエッガーの作品が展示されている、との紹介に引かれて来てはみたものの、大きな館程度の外観に魅力は感じられず、売店に並ぶ彼の絵葉書をみて興味が薄れたので内部見学は取りやめた。城を後にして、オーストリア国境から10kmほどに在るドッビアコを目指して車を進めた。

◆素敵な橋との出会い

 途中の村:Heinfels で、偶然、素敵な橋との出会いがあった。それは、ルツェルンのカペル橋に似た屋根付きの木材で作られた橋である(写真下)。清流を跨いでどっしりとした橋は長さ40m位であろうか、Holzbruck ということしか分からないが、かなり昔に造られ大切に保存されているようであった。

屋根付きの木造橋

橋の中程にキリスト像
 外側の細い通路と内側の広い通路に分けてつくられており、細い通路には、途中に腰掛けが備えてあり、広い方には真中あたりに十字架のキリスト像が飾られていた(写真左)。橋の上方、小高い山の上にはお城らしい姿も遠望出来た。なぜか温かく懐かしい感じのする橋、すぐには離れ難く、何度も往復してみた。

広い通路


橋の袂に咲いていた花と実

橋の袂に咲いていた花と実

狭い通路

◆迷い道

 間もなく国境。予想通り国境の検問など一切無く、何時の間にかイタリアへ入っていた(写真下)。

ドロミテ山群が迫って来た
 ドッビアコに着き、曽根さん達が泊ったというホテルKnocker は、すぐに見つかった。しかし、無愛想なおばさんが「満室だ」と言う。英語も不得手らしくジェスチャー入りの応対。何軒かのホテル広告が出ているパンフをくれたので、その中の一軒、ここから30km足らずのアントルノ湖にある一軒宿Lago Antorno に電話してみた。思いがけなく、空室あり。今夜の宿を確保した。時刻は4時半。楽勝だと思って走り出したが、途中走行距離と所要時間を勘案すると、どうも道を間違えているらしいことに気が付いた。湖への分岐点を見逃してしまったらしい。
 其処は日の射さない暗い森の中、コルチナにかなり近づいた地点であった。幸いバイクや何台もの車が停まっているのを見つけたので停車、何人もの人々に尋ねることが出来た。しかし、ほとんどの人がイタリア語のみで要領を得ない。最後の一人が英語で答えてくれたので助かった。全員に共通しているのは、「来た道を戻れ」ということだった。「途中に標識があるはずだ」。確かに、標識があった。どうして見逃してしまったのか分からない。5・6km走って、5時10分、ミズリーナ湖に到着した。

◆トレチメと再会


今夜の宿Lago Antorno

 小雨は降るが風はなく、静かな湖面に背後の山や湖畔のホテルが投影する景観が素晴らしい。見とれている余裕はないので、満車に近い駐車場に割り込み停車、近くの店でLago Antornoへの道を確かめた。更に数キロ山道を上がり、懐かしいAntorno 湖に到着、湖畔に建つ一軒宿の入り口前に駐車した(写真左)。今夜の宿:Lago Antornoに間違いない。以前は一つ星だったのに,二つ星に昇格していた。黒い木立に囲まれた小さな湖の背後には、雲間に聳え立つトレチメの姿があった(写真下)。懐かしさも一入である。


トレチメ

◆今夜の宿

 チェックインを済ませ、案内された2階の部屋に行ってみた。新しく増築された部屋らしいが、感心する程に狭くて窮屈。それはともかく、山が見えないのは残念の極みである。交渉してみたが、他に空き部屋がないと言われれば如何ともしがたし。諦めて、取りあえず1泊だけすることにした。雨が降り続くようであれば、またその時考えてみることにする。ディナーは、交渉した結果ハーフペンションOKになりひと安心。どんな料理と出会えるのか楽しみである。

◆言葉の壁

 7時〜、ディナータイムになったので、食堂に降りた。我々のテーブルには、未だ部屋番号のカードが立てて無いので迷っていたら、大オカミが急いで持ってきてくれた。続いて若いウエイトレスがメニューの入ったカードを持ってきて、"マンジャーレ(食べる)"という一語以外は何も分からないことを言って返事を待っている。ハーフペンションなのだから、それ以上注文する必要なし、と判断してNO! と答え、ビールのみ注文。彼女は、それだけでいいのか?と言いたそうな表情をするので、こちらも笑顔で頷いた。運ばれてきたビールを飲み終え料理を待ったが、いつまで経っても音沙汰なしである。痺れをきらしてウエイトレスを呼び止め催促した。「私たちが、ハーフペンションを頼んだのは知っているでしょ?」ところが、彼女には英語が通じなかった。

◆お助けマン



マカロニ

 隣席にいたカップルの男性が、見かねて助けてくれた。この宿におけるハーフペンションとは、ウエイトレスが持って来たメニューの中から、希望する料理を選ぶ方式なのだと言う。そのことを説明する力がウエイトレスには無かった訳である。隣席にお助けマンがいなかったら、我々はもっとイライラしながら待ち続けていたことだろう。彼の懸命な説明を聞いて、何とか注文することが出来てヤレヤレである。
 ところが今度は、注文した料理がなかなか運ばれてこない。これ以上待たされるのはまっぴらだとキャンセルしようと決意しかけた時、最初の料理が運ばれてきた。



ポレンタ茸添えとチーズ

マカロニとポレンタ茸添えとチーズ(写真)。気を取り直してフォークを手にした。そして、魚料理と肉料理、ほうれん草ソテーとキャベツの酢漬け。デザートは断った。
 隣席のカップル(ジュリアーノとセレナ夫妻)に丁重にお礼を言って、引き上げた。さほど英語が達者でない彼が、心から親切に一生懸命助けてくれようとしたことが良く分かってうれしかった。

 


ライン


ホームへもどる
HOME
目次へ
前の日
次のページへ
次の日