★2005・スイス(イタリア・ドイツ)の旅
◆13日目(7月25日)雨時々くもり 目次へ
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 6時頃、目醒めた。窓から外を眺めてみた。霧に包まれ、山の姿は何も見えなかった。 しかし、今朝は平静な気持で山と対峙し、「おかめ」の笑顔を思い浮かべることが出来た。 許してくれたのかな、と思う。7時半、朝食に降りた。
◆村を散策
正面祭壇


 薄日が射して来た。家内を、近くの教会に案内した。 昨日はミサの日で広場では露店も並び賑わったらしいが、今朝は、その後片付けをしている作業員の姿だけ。 教会の中にも人影がなかった【写真上】【写真右】。 山は霞んで見えないので、村の佇まいを描かせてもらうことにした。 家内とは此処で別れ、教会の裏手の細い路地を辿った。 たまに村人が通るだけの静かな道には古くなった民家があり、廃墟のような家の庭にも花が咲いていて、鶏が遊んでいた。 午前中、此処に腰を据えて写生に取り組んだ。
側面にキリスト磔刑の像


マクニャーガ風景(水彩)


マクニャーガ風景(水彩)


以下は、家内の日記。
 教会の中は、思い掛けなく手のこんだ造りになっていた。祭壇の赤いランプは,聖体の安置を示すはず。 村の人たちの心の支柱となっているのだろうか。
◆シスターとの出逢い
 山は描けないが村の風景を描くというMと別れて、村の中の散歩に出掛けた。レインスーツの上着を羽織っていたが、次第に暑くなってきた。(i)の右方に伸びている坂を少し登ってみると、古い村の家のむこうに、モンテローザ山群が遠望出来る。しかし、今日はほんの一部が見えるのみ。また少し行くと、行き止まりに割に大きな緑と白色のアパートorホテルがあり、庭の入口で年配のシスターに話しかけられた。イタリア語だから、半分も分からないが、彼女の知人:矢野萌芽(チェンバロ奏者)が、東京・豊島区で教室を開いていること。彼女は、シスターの住むジェノヴァで勉強をしたらしいことなどがわかった。つたないスペイン語で、帰ったら矢野さんに手紙を出すことを約束し、シスターと住所交換もして坂を下った。静かな優しい目をした人だった。 (i) に寄り、壁に貼ってある新聞のコピーに、サッカーチームのことが取り上げられているのに気づいた。地元チームとの試合日程を載せた特別なプログラムまで出来ていた。  歴史博物館はclosed。3年前に、宿の主人が案内してくれた古い教会へ向って歩いた。途中、ロープウエイの駅舎があったので、通りがかりの女性に聞いてもらった。“モロ峠へのロープウエイは、何時オープンするのか”。すると“今週の土曜日”との答え。全くついていない。シャモニーも同じで、よくよくマクニャーガとは相性が悪いらしい。
◆墓地
 教会はロックされていたので、墓地のみを見て歩いた。 壁に取り付けられた山岳ガイドや遭難者たちのレリーフは前回にも見たのだが、 2004年5月16日に亡くなった女性登山家の記念碑が目にとまった。 1952.9.2生れとあり、50才を過ぎての死だったのだから、遭難なのか病死なのかはわからない。 しかし、しっかりした人だったことを偲ばせる彼女の姿には心ひかれるものがあった。
 教会の裏側にも、モンテローザが見える側にも墓が並び、30センチ四方のドアのついた小部屋様式のものが並んでいたり、 伝統的な墓の中には大きく前衛的なデザインの墓石をたてたものがあったりして、それぞれ個性を競い合っていた。 少しだけだが、まだ空いているところに、最近亡くなったばかり(?)の人を埋葬したのか、 人体の形にまとめたつる草にバラの花を飾り、花束や鉢植、ローソクを供えたものがあるのにも目を引かれた。

 ホテルに戻ってランチ。二人とも一眠りして、Mは再び道具を抱えて出掛けて行った。 雨が降り出し、一時激しく降ったがすぐ小降りになった。(i)の天気予報を見に行くと、 丁度新しいものをプリントしているところで、「明日は雨かもしれない」と、言う。
ホテルに戻ってMと相談、4泊の予定を1日早く切り上げて、サースフェーへ行くことにした。宿の主人に掛合ってOKをとった。

 7時半〜、マクニャーガ最後のdinner。
カボチャのスープ、サラダ、ハムorステーキ、フレッシュフルーツorアイスクリーム。
少々胃がもたれて、胃散を飲んでおく。今日は洗濯もせず横になった。雨は上がったが、山は見えぬままである。
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