★ 2002 花いっぱいスイスの旅
◆13日目(7月23日) 晴れ 目次へ
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【本日の旅程】=三峠巡り

(◆マークの付いた写真をクリックすると拡大画像が見られます)

◆急ぎの時に限って


ブライトホルン

 6時起床、7時前には荷物を玄関に運び、朝食。食堂に人の姿はなかったが、僕らより早く出発したグループが二つあったようだ。宿を出て【写真右下】駅に向かって歩き出すと、正面にブライトホルンが朝日をうけて白く輝いていた【写真左】。素晴らしい眺めに、思わず、足が止まってしまう。駅には7時半に着いた。8時、ラウターブルンネン着。時間がないのに、こんな時に限って腹痛が出る。急いでトイレに駆け込んだ。


ホテル:ALPENBLICK

 

◆三峠めぐりに出発


ツアーバス

 バスの出発場所を確かめ、駅前にある村営バスの乗り場で待っていたら、定刻にPOST CARと書いた黄色い大型バスがやってきた【写真左】。しかし、三峠めぐりの表示が見つからないので心配した。ドライバーに、「バゲージをストレージに入れてほしい」、と頼むと、“Where are you going?”。乗車した地点まで帰るのが普通だから、吃驚したようだ。乗るのは此所だが、降りるのはマイリンゲンだと説明した。勿論、ノープロブレムである。料金を払い、コースの説明図(日本語)とおまけのボールペンをもらった。手に取ってみると、ボールペンの中には黄色のPOST CARがいて、アルプスを背景にして右に左に動いた【写真右下】。嬉しくなって、大事に仕舞い込んだ。


記念のボールペン

 

◆スーステン峠(2224m)

 このバスの始発はグリンデルワルドで、此所は2番目のpick up pointだったから、まだ数人しか乗っていなかった。そのうち日本人カップル2人、次のWilderswil, Interlaken WestとOstなどで次々と客は増え、ほぼ満席となる。ドライバーは、老いたクリント・イーストウッドに似ており、英語とドイツ語で穏やかな調子でガイドしてくれた。
 ブリエンツ湖のそばを通り、ロートホルンへ登る赤い電車が、ちらりと見えた。マイリンゲンを過ぎるとすぐに、ライヒェンバッハの滝も見えた。インナーキルヒェンで最後の客をピックアップすると、バスはスーステン峠へ登り始めた。
 さほど時間はかからず、峠のレストラン前に到着。此所で、しばらく休憩である。レストランのトイレは有料、入り口に女性が座っており、日本語で“1フラン下さい”と請求された。日本人の姿は、ほんの少しなのに、何故だろう、と思う。


スーステン峠への登り
 

 登って来た道を振り返ってみて、いささか驚いた。過ぎてみると短い時間だったように思えたが、その道程はいかにも長い道だったことを見せつけてくれたからである【写真上】。この峠道は、第2次大戦中に建設されたもので、東西にベルン州とウーリ州とを結んでいる。バスは更に登り続けた。しばらくすると右手に大きな氷河が現れた【写真下】。氷に覆われたピークは、スーステンシュピッツ(2931m)である。道はつづら折りになり、ああ、高所にある峠を越えるんだなーということを実感。もう、昼近くになっていた。


◆スーステンシュピッツと氷河◆

 

◆悪魔の橋


悪魔の橋の上で

 Wassenの街の小高い丘にバロック風の教会が建っていた。峠越えバスのパンフレットによると、1882年、ゴッタルド鉄道が開通して以来、南国への旅のシンボルになっていたそうだ。しばらくして「悪魔の橋」に到着した。この橋は、シェーレネン峡谷に架けられいるもので、悪魔の手を借りなくては完成は不可能といわれ、生贄に牡ヤギを捧げたのだという。氷河急行の通る線路は、ずっと上の方にあるので、乗客にはあまりよくは見えないだろう。岩壁に描かれた悪魔の絵をバックに記念撮影をする【写真右】。ここから、ほんの一走りでアンデルマット駅に到着した。

◆ランチタイム

 バスは一度、街の中を通り抜け、駅の脇にある駐車場に駐車した。以前よりも賑やかになっているように思った。此所で1時間半のランチタイムということになり、乗客は皆どこかのレストランへ姿を消した。僕らは、公園にテーブル付きのベンチがあるのを見つけて、そこで昼食にした。強い日射しが背中に当り、暑いが風は爽やかである。砂場には、子供を遊ばせる若い母親の姿があった。時間の余裕があったのでCoopへ行ってみたが昼休み。ほとんどの店もドアが閉まっていた。駅の傍の店が開いていたので、“絵を描く紙はありますか?”と聞いてみたら、何とイエス! 少々小さいが、取りあえず15枚綴りのスケッチブック1冊を6.9フランで買った。日本より大分高いが仕方がない。

◆主婦の連帯感に敬服

 駅のトイレを使おうとしたら有料であった。やむを得ずコインを使ったが、女性たちは、先客が出て来るとドアが閉まらないうちに素早く中に入り無料で使用しているという。勿論、家内も仲間に入れてもらい、主婦としての倹しい生活の知恵と言おうか、皆そうして0.5フランを節約する。主婦ならではの連帯感に敬服する。

◆心和む駅員の態度に敬服

 駅でマイリンゲン→フリムスの列車とバスの接続を聞き、切符を買った。新人らしい若い出札係の女性を先輩が指導。氷河急行にするか普通列車にするか、迷う家内に辛抱強くつきあってくれた。お客を大切に扱うスイスならではの応対に心が和む。

◆フルカ峠(2431m)

 ランチタイムが終了したので、再びバスに乗る。バスはフルカ峠に向かって走りだした。初めて2人でスイスに来た時、クールから乗った氷河急行をアンデルマットで降りてバスに乗り換えフルカ峠を越えた。そしてオーバーヴァルトから次の列車に乗り、ツェルマットへ行ったことが懐かしく思い出された。この峠は、19世紀半ばに整備されたアルプスを東西に連絡する重要な街道である。峠のレストラン脇の駐車場に駐車、40分のフリータイムになった。

 峠の賑わいは、83年当時より優っているように思ったが、肝腎の氷河は小さくなっており、迫力もなくうす汚れて見えた。近年、地球上の氷河は、ほとんど例外なく縮小化が進んでいるようだ。この様子だと、この観光名所も近い内に消滅してしまうことだろう。氷河に近付くのも、賑わう土産品店のトイレも有料。いずれにもガッカリして、バスが駐車しているレストランでコーヒーでも飲もうと引き返した。1階がギャラリーになっていたので立ち寄ってみた。会場に人の気配なく、誰一人として入って来る人もいなかった。ところが、そこには清潔なトイレがあり、勿論無料で使用することが出来たのである。コーヒーを飲む代わりに、あまりレベルは高くない作品であったが、サーッと見て回りバスに戻った。

◆グリムゼル峠(2165m)

 三っ目の峠は、グリムゼル峠である。この街道は19世紀末に整備されたものらしいが、峠にあるトート湖(死の湖)は、18世紀末にフランス軍とオーストリア軍が戦い多数の戦死者を出したことによる命名らしい。此所を訪ねるのは初めてであった。フルカより広々としたアルプに湖とレストラン。湖のかなたには白い山並が連なっていて素敵な眺めであった【写真下】。小高い丘の上にマーモット公園があり、何匹かのマーモットが飼われていた。水晶博物館とやらもあったが、入らなかった。入り口近くの売店のおばさんが、「コンニチハ!」。やはり、此所も訪れる日本人が多いのだろう。乗用車、オートバイ、ツアーバスなどが次々とやってくるが、やはり、三つの峠の中で最も人気があるのは、フルカ峠だったように思う。しかし、ここの湖と白い山並の展望は、格別に美しいと思う。これで、三峠めぐりは終了した。


グリムゼル峠の湖

 

◆ホテル・マイリンゲン

 

 マイリンゲン駅前の郵便局前には5時少し前に到着した。ハイジが予約してくれたホテル・マイリンゲンにチェックイン。小さいが、ビジネスライクの都会的なホテルであった。フロントの男が一通りの案内をしてはくれたが、血の通わぬ物の言い方で親しめない。部屋は広く明るかったが、2001年版のリストよりかなり高いプライスに疑問を感じた。後刻、観光案内所を通じて確認してみたが、うまく言い逃れされてしまった感じで少し気分が悪かった。
 7時、食堂のウエイター、ウエイトレスはキビキビ働き、なかなか繁昌していた。Halfboardの客も僕らの他何組かいて、青いローソクの灯りをともしたテーブルでディナーを楽しんでいた。

赤ワイン(2dl)、ビール(3dl)
中華風スープ(春雨、椎茸入り)
メロンと魚
casatta

 部屋に引き上げても、まだ外は明るかった。少しだけ本を読んだが、すぐにダウン。

 

ライン


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