◆ アンコール・トム(大きな町)
朝食を済ませて8時半、中型のバスに乗って出発した。アンコール・トムまでおよそ20分、南大門前でバスから降りた。アンコール・トムは、アンコール王朝が最も栄えた時代(12世紀末)に造営された巨大な宗教都城である。高さ8メートル、1辺3キロの城壁で囲まれた正方形の都城には5つの出入り口があるそうだ。南大門はその内の1つ、アンコール・ワットから直線で続く道路上に建っており、その四面塔に彫られた顔の長さは3メートルあり、門の通路は丁度中型バスが通れるだけの広さがあった【写真1】。 |
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2.阿修羅の石像たち |
3.バイヨンの回廊:踊り子 |
←1.アンコール・トムの南大門 |
門を入った道の両サイドに、神々と阿修羅がナ−ガ(蛇神)の胴体を引き合う沢山の石像が並んでいたが【写真2】、首なしのものが沢山あった。(画像で白く見える顔は新しく造られたもの)どうしてそんな姿になったのだろうか、歴史を遡ればきっと驚愕のドラマがあったのに違いない。
「アンコール・トム」とは、クメール語で「大きな町」と云う意味だそうだ。その町の中心に建つのがバイヨンと呼ばれる仏教寺院であり、王宮や祠堂などの建物も残されていた。バイヨンの回廊は、12世紀当時の人々の様子をみごとなレリーフで表現した一大絵巻物であった。戦いから漁、炊事、将棋や相撲、踊り子、出産シーンまで描かれていた【写真3-4】。 |
4.バイヨンの回廊:進軍 |
5.バイヨンの回廊:食料運搬部隊 |
6.バイヨン寺院の塔 |
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写実的な表現技術の高さにも驚かされたが、細部の表現は生き生きとしており、ユーモラスな場面も多々見受けられた。例えば、【写真5】は、行軍の列の後ろに従う食料運搬部隊の様子を描いたものだが、座り込んでこっそり瓶のお酒を飲む人、カメにお尻を噛み付かれて振り向く男、噛み付かせている人は彼の奥さんのようである。何か奥さんを怒らせることをしたのであろう。
バイヨン寺院のユニークさは、巨大な仏の顔を四面に彫りつけた沢山の塔にある【写真6】。こんな建築様式は、世界の何処にも見られないものである。確かにその顔の表情は、この地方独特のものであり【写真7】、慈悲の力で人々を救済する観世音菩薩の尊顔だと説明されて納得である。際立って横顔の美しい尊像を見つけた【写真8】。そして、すべての尊顔が、穏やかな微笑みをたたえていた。中で最も有名な観世音菩薩の尊顔(200リエル札の絵柄になっている)を、急ぎスケッチさせていただいた【画像参照】。
遺跡を出た所で、一人の可愛い少女に出会った。はにかむような微笑をみせる少女の顔に、今会ってきたばかりの菩薩像のほほえみが重なった【写真9】。 |
菩薩のスケッチ画 |
7.菩薩のほほえみ |
8.菩薩の横顔 |
9.遺跡で出会った少女 |
◆ 象のテラスと癩王のテラス
バイヨン寺院を後にして、北大門に向う道の両サイドは広々とした草地になっており、道の左側に象のテラスがあった【写真10】。およそ350メートル。テラスを支える壁に無数の象が彫り込まれているので、そう呼称されているようだが【写真11】、ガルーダが支えている部分もあった【写真12】。王はこのテラスから、踊り子たちの舞いを楽しんだということだ。テラスから見渡す草原がその舞台であり、その後には踊り子たちが住んでいたという幾つもの館が残されていた【写真13】。そして、その内の幾つかは日本の援助で修復作業が進められていた【写真14】。 |
10.象のテラス |
11.象のテラス遠景 |
12.テラスを支えるガルーダ |
13.テラスから見渡す草地 |
14.修復中の館 |
象のテラスに続いて、癩王のテラスが北に伸びており、そこには三島由紀夫の戯曲「癩王のテラス」で名高い癩王の裸の姿があった【写真15】。この像はレプリカで、本物はプノンペン国立博物館にあるそうだ。テラスを支える高さ約6メートルの壁面には、神々ナーガの美しい姿が一面に彫り込まれていた【写真16】。(後半へ続く) |
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16.癩王のテラス壁面 |
←15.癩王像 |
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