★ 2001 パリ美術館訪問の旅
 ◆ 6日目(12月18日) 目次へ
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【本日の旅程】=オルセー美術館見学→老舗の画材店訪問→夜のシャンゼリゼ散策

 今日は本格的な曇り空。そのせいかいくらか寒さが弛んだように思えた。こんな天候でもあるし、1日パリで過ごせるのも今日が最後である。雨具持参でホテルを出た。
 パリが世界に誇る3大美術館として、まずルーヴルがあり、次にオルセーがあり、3番目にオランジュリー美術館があるのだが、これは現在工事中で見られないのは残念である。その他、市立とか私設の美術館や博物館は数えきれないほど存在する。さすが、芸術の都・パリといわれるだけの事はあると思う。今回、上記の2つとピカソ美術館だけを訪ねることにしたのは、数多くみれば見る程、印象は薄れてしまうだろうということと、何よりも体力の問題がある。疲れ果ててしまえば、名画鑑賞なんて出来るものではないからである。
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オルセー美術館 館内

 そんな訳でパリでの最後の美術館訪問は、下見をした程度のオルセ−美術館を再度訪ね、ゆっくり名作の数々を堪能してくることにした。


◆ オルセー美術館
 今日も沢山の美術愛好者で賑わっていた。先ずは、お勧めの見学ルートに従ってエスカレーターに乗り最上階に上がった。其処から、吹き抜けの館内の様子を一望することが出来た【写真】。もともと古い駅舎を改造して作られた美術館である。俯瞰すると、そのことが一目瞭然となる。基本的には、極めて単純な構造である。館内案内図を眺めながら、容易に確かめる事が出来た。それにしても、実に見事な設計であり華麗な変身ぶりだと言わざるを得ない。
 この美術館の自慢は、膨大な印象派作品のコレクションにある。最初の部屋がそれであった。それらは、僕にとって最も身近に感じられる作品であり作家たちである。僕の青年時代、心酔した炎の人:ゴッホが居た【写真】。光りが溢れる風景画を描いたピサロ、シスレー【写真】、マネ,モネ【写真】,ルノアール、そしてセザンヌ、ゴーギャンがいた。彼等の情熱と熱気が静かな部屋に充満していた。そんなものを身体全体で感じながら、行きつ戻りつ、何度となく作品の前にたたずんだ。
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シスレー 『マルリーの洪水』
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モネ 『かささぎ』
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ゴッホ 『自画像』

◆ 鑑賞教室
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モネ 『庭の女たち』の前で
 印象派を代表する画家:モネの大作『庭の女たち』【写真】を教材にして鑑賞教室が行われていた。先生の話に聞き入る子らの表情が実にいい。手をあげて質問する女の子の頭は、目の前の大作のことで一杯なのであろうか、頬は上気し目がキラキラ輝いていた。優しく話を進める先生と、一生懸命聞いている子供たちの情景は、僕の目には眩しくさえ見えた。さすが芸術大国のフランスだと羨ましく思う。こうした環境が人間らしい情操を育て、文化を守り平和を維持していける大きな力になるのだと思うからである。
 印象派という言葉は、当時の前衛的な若き芸術家たちが始めた第1回展覧会に、メンバーの代表的な一人であるモネが出品した『印象・日の出』という題の絵がもとになり、嫌味な批評家が、この画題を揶揄して出品者を「印象主義者」と決めつけ、非難・嘲笑したのが言葉の始めであり、印象派が歴史上に輝き始める端緒となったのである。彼等が最も大切にしたのが自然光であったこと、今でこそ戸外での風景写生は常識になっているが、当時は気狂い扱いされたという。それ程前衛的な行為であったなんて、現代に生きる誰が本気で信じようか。
 モネがこの大作に取り組んだのは、彼が26歳の時である。伝統的なアトリエでの制作を否定し、戸外にモチーフを求め、生きているものを直接描き始めたのは当時としてはあまりにも常識を逸脱した行為であったようだ。自然の光と陰影がおりなす情景の美しさを表現しようとしたのも、極めて前衛的な姿勢であった。信じられないような話しであるが、このことが執拗に攻撃され嘲笑を浴びせられ続けられたのはまぎれもない事実であった。
 もう一つ大切なことがある。それは、こうした日常的な情景を、それまでは偉大な歴史画にしか容認されていなかった大画面(255×205)に描こうとした彼の勇気と価値観である。当然、上流社会の強い非難と攻撃が集中したに違いない。絵の大きさだけを取り上げてみても、彼の古典的権威と古い価値観に対する激しい闘争心と革新を求める野心的な姿勢がうかがえるのである。明るく健康的なこの作品の画面の大きさは、そうした芸術家の新しい美の価値観を創り出す産みの苦しみも隠し持っているのである。
 ・・・そんなことを、先生は子供たちに説明していたのではないのだろうか?


◆ ロダンとその弟子の作品
 休憩を兼ねて、レストランで昼食をとったあと、中階と1階フロアで開催されている企画展や個展、彫塑や大作などを見てまわった。日本の西洋美術館で何度となく眺めているロダン(RODIN)の未完の大作『地獄の門』【写真】に再会、その作品の前に石膏による群像『ウゴリーノ』(UGOLIN)【写真】が在った。初めて見る作品であった。子供たちと共に幽閉され、盲目になって壮絶な飢えと苦悩にのたうち、ついに、死んだ我が子を食べてしまった父親ウゴリーノ伯爵の悲惨極まりない姿である。彼はその罪により地獄へ落とされることになったのだが、『地獄の門』の左側中央にその姿が小さく彫り込まれてあった。ロダンは、そのモチーフを独立させてこの塑像を作った。想像を絶する仕事への情熱である。門の主役として登場する、あの有名な『考える人』もそうである。

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ロダン 『ウゴリーノ』
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クローデル 『壮年』
← ロダン 『地獄の門』

 ロダンの弟子であり愛人でもあったカミーユ・クローデル(CLAUDEL)最晩年の作品『壮年』【写真】も展示されて在った。これも、初めて見る作品であった。老婆に連れ去られようとしている男の左手が、今まさに追いすがる若い女の両手を振り解いた瞬間である。男はロダンであり、カミーユの愛を断ち、内妻の許へ立ち去ろうとしている。必死に追いすがろうとしている女は、クローデル自身の姿だと言われている。ちなみに老婆は、ロダンの内妻:ローズである。この作品を最後にして彼女は精神を病み、孤独で悲劇的な生涯を閉じているのだが、彼女の絶望の叫びが聞こえてくるような作品であった。


◆ 特別企画展
 特別企画展として、広いスペースを使ってアーノルド・ベックリン(BOCKLIN 1827〜1901)の個展が開催されていた。初めて耳にするアーティスト名であったが、しばらく作品を見ているうちに、その偉大さに圧倒されてしまった。19世紀にこれ程の天才が居たのか、という驚きである。印象派の逸材と同じ時代に生きながら、伝統的な古典主義を貫き、大衆的な人気を博した芸術家であったらしい。彼の代表作である『死の島』シリーズの大作には、強く鮮烈な印象を受けた。いつまでも忘れられないだろうと思う。
 残念なことに、この展示会場の作品はすべて撮影禁止であったので何ら記録する事が出来なかった。売店に画集が平積みしてあったが、それは大型の厚さ4.5cmもあろうかという本で、持ち抱えるのも大変な重さであった。購入するのは断念したが、つまりは、それ程現代に重きをなす偉大な芸術家であるということかもしれない。不明を恥じる思いである。


◆ 老舗の画材店:SENNERIER
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老舗の絵葉書
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スケッチブック
 ちょうどセ−ヌ河を挟んでオルセーとルーヴルの中間地点のヴォルテ−ル河岸に、その店は在った。このセ−ヌ河畔に開店して100年以上の歴史を刻むというパリ一番の老舗である【写真】。フランスを代表する水彩画用紙で作られている4号のスケッチブック(20枚綴り)とSENNERIER特製品(20枚綴り)を各1冊を買い求めた【写真】。合わせて、約9千円。今回のパリ訪問での最高額の買い物となった。心して使わねばと思う。


◆ ♪オー!シャンゼリーゼ!♪
 パリでの最後の夜になってしまった。画材店を出て時間を確かめたら、まだ7時前であった。疲れてはいたが、パリのメインストリート:シャンゼリゼ大通りに行ってみることにした。東京の銀座通りも有名だが、シャンゼリゼ大通りはシャンソンでもヒットして世界的にもエレガントな通りとして有名である。特に、「クリスマスから新年にかけて、華麗な光のイルミネーションの列が、2キロの長さで整然と光り輝く様は格別なものである」と、ガイドブックにも記されていたからである。

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凱旋門前で
←シャンゼリゼ大通りにて

 クリスマスにはまだ1週間を残していたが、シャンゼリゼ大通りは期待通りの美しさに光り輝いていた【写真】。正に大通りである。街路樹に架けられたイルミネーションと、その光り輝く林の中を流れて行く車のヘッドライトと赤いテールランプが美しい。通りの両サイドを飾る店々の照明も個性的で華やかである。色とりどりに着飾った女性が歩き、沢山の観光客たちが買い物を楽しみ、通りに面したレストランや喫茶店には笑顔で寛ぐ多くの人たちの姿が在った。凍てつく寒さを忘れさせてしまう程に、それらがそれぞれに交錯して美しい。限りなく平和でロマンティックな通りであった。寒さを忘れ自分の年令も嫌なことは総て忘れて、人の流れに乗ってゆらゆらと凱旋門の建つ通りのはずれまで歩いてしまった【写真】。♪オー!シャンゼリーゼ!♪心地良い散策であった。

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