★ 2001 パリ美術館訪問の旅
 ◆ 5日目(12月17日) 薄曇 目次へ
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【本日の旅程】=ピカソ美術館見学、ルーヴル美術館見学 (地下鉄・よもやま話)

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ピカソ美術館
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”サレ館”の建物
 今朝はどんよりとした薄曇り。しかし今朝も底冷えのする寒さである。パリに来て早4日目。毎日変わらぬ寒さが続くので、大分体も慣れてきたように思う。と、言っても、使い捨てカイロを体の前後に張り付けての外出である。今日は、まずピカソ美術館を訪ねることにした。いつもの地下鉄駅から乗車したが、東京とは違ってさして混むこともなく、いつもゆっくり座ることが出来るのは嬉しいことである。勿論、路線とか時間帯によって大きく違うのだろうと思う。途中、2度乗り換えてシュマン・ヴェール駅で下車、其処から徒歩7分で迷うこともなく目的のピカソ美術館に辿り着くことが出来た【写真】


◆ ピカソ美術館
 彼の作品を最も多く所蔵している国立の美術館である。この建物はもともとは17世紀に建てられた城館だそうで、ここマレ地区に立ち並ぶ壮麗な元貴族の館の一つで『サレ館』という【写真上】。他の邸宅も、多くが美術館や博物館、企画展示場として公開されているようである。
美術のあらゆる分野にチャレンジし、創造という世界を精力的に体現したアーチストは、彼をおいて他にはいない。絵画、彫塑、陶芸などの作品を彼程沢山創り後世に残した芸術家も彼をおいて他にはいない。ピカソは、現代に息づく最も偉大な芸術家であると思う。そのことは、この美術館には圧倒的に若者が多かったということが何よりも雄弁に物語っていると思う。フロアーに座り込んで、一心に写生している男女の画学生の姿がそこここに見受けられた【写真下】。彼らは、単に技術を学ぼうとしているのではなく、ピカソの創造世界に近づきたい、力を得たい、啓蒙されたいと願っていたのではないかと思う。若者ではなくなった僕でさえも、そんな気持ちに動かされてこの美術館までやってきたのである。
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写生する画学生
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若い自画像
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椅子に座ったオブジェ

 若い自画像には、力強く自然体そのままの姿に自信が漲っていた【写真上】椅子に座ったオブジェからは、奔放な生命力が発散していた【写真上】。デッサンから陶芸作品、大作の為の習作の数々に至るまで、彼の立ち止まることのなかった激動の芸術活動が年代順に展示されていた。雲の上の山の頂きに立ったとき、また遥かな地平線を望みながら大草原のただ中に一人立った時、その都度、自分という人間の何という小さな存在であることか・・・と思ったものだが、ピカソの作品と身近に接して、同じような思いを強く味わうことになった。改めて彼の偉大さに最敬礼である。


◆ 展望レストランで食事
 せっかくパリに来ているのだから、たまにはレストランに行こうと、セーヌ河に面して建つ『サマリテーヌ』の展望レストランで食事をすることにした。此所は、アール・ヌーヴォー調の建物が美しいデパートであり、観光名所にもなっている所である。歩くには少し距離があるので、シュマン・ヴェール駅からボン・ヌフ駅までメトロに乗った。改札を出たら、其処がサマリテーヌへの入口であった。展望レストランへエレベーターで直行する。広いレストランであったが、満席の為待たされた。オーダーを済ませた後も待たされた。次第に傾く西陽に照らされながら、いささかジリジリしてしまう。残り少ない時間を気にして、ゆっくり食事を楽しめない今日の自分を情けないと思う。
 久しぶりに食事らしい食事をしていたら、「そうだ、私はまだミロのヴィーナスを見ていないわ・・・」と家内が呟いた。オット、オット、それを見落すことになっては、大変なことである。それはともかく、すぐ近くに見えるルーヴル美術館の再訪は、あらかじめ予定していたことであった。そして、その近くにある老舗の画材店に寄って記念の買い物をしてから帰るのが本日の予定である。


◆ ミロのヴィーナス
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ミロのヴィーナス
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うずくまるヴィーナス
 偶然、地中海のミロ島で発掘されたのでミロのヴィーナスと呼ばれているが、数あるヴィーナスの中で、これ程完成された理想の女神像はないといわれている。多くの謎に包まれたままであるが、勿論、ルーヴル美術館の至宝であり、その理知的な美しさには四囲を圧する気品が漂う傑作【写真】である。改めて、理想の美しさを追求したギリシャ彫刻の名作を堪能したあと、その他の彫刻群も見て回った。
 女性の美しさ、人間であることの証しを刻んだ作品の数々が、訪れる人の少ない静かな会場に、ゆったりとした空間を与えられて展示されていた。それら実物の彫刻作品と向かいあって、一心にデッサンしている若者の姿があった。これから絵の道を歩こうとしているのだろうか。そのひたむきな姿を眺めながら、若者の未来を心から羨ましいと思った。思い返せば、19歳になった頃の僕は、デッサンの勉強に明け暮れる毎日であった。ミロのヴィーナスやアリアス、アグリッパやカラカラ帝と対話しながら、美術研究所の平たい木の椅子に腰掛けて・・・練ケシ代わりに持参した食パンの耳をかじりながら、毎日木炭デッサンに取り組んでいた。僕にもあったそんな時期の姿が、そのひたむきな青年の姿にだぶって懐かしく思い出された。「頑張れよ!青年。」足音を忍ばせて、僕らはその部屋を後にした。


◆ メデュース号の筏
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ジェリコー画 『メデュース号の筏』
 19世紀のフランス画壇は、王侯貴族の栄華に支えられて次々と大作が発表され形式化(古典主義)が極まった時代でもある。しかし、そんな風潮に反発してドラマティックなモチーフに命をかけた芸術家がいた。『メデュース号の筏』(4.91m×7.16m)【写真】を描いたジェリコー(1792-1824)がその人である。この絵は、27才の時に描いた彼の代表作である。当時、実際に起こった海難事故をモチーフにしたもので、この制作の為、病院で死体を写生したり、何枚もの習作を重ねた末の作品である。この作品に感動したドラクロアが、いわゆるロマン主義といわれる新しい世界を確立し現代絵画の幕開けへと発展していくのだが、僕にとっても、青年時代の感性を強く揺さぶられた忘れられない作品の一つなのである。
 フランス絵画の大作が並ぶ部屋でゆっくり休息をとったあと、名残りを惜しみながらルーヴル美術館とお別れした。又、機会を作って訪れたいと思う。


◆ 地下鉄・・・よもやま話
【美しくなる構内】

地下鉄構内
 パリの地下鉄は、旅行者にとっては今でもあまり評判はよくないようだ。スリによる被害が多いからだし、ガイドブックにも用心するように書いてある。そんな不安や悪いイメージをなくそうと、最近観光都市パリを自認する当局は、沢山の予算を計上して職員を増やし、改善の努力を重ねているそうだ。その証拠に駅の構内が明るく清潔になった【写真】といわれている。日本のように画一的なものではなく、駅それぞれのデザインに個性があり工夫もされているようで、いかにも芸術の都;パリらしい姿だと思った。しかし、少なくなったと言われている落書きが、きれいに払拭されるにはまだまだ時間がかかることだろう。

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ゴム製の車輪
【ゴム製車輪】
 駅構内の美化と平行して、車両も次第に新型に変えられつつあるようだ。
路線によっては、車輪がゴムタイヤになっていたので【写真】驚いた。騒音が減り、乗り心地は格段によくなったそうだ。しかし反面、磨耗するゴムの微粒子が飛散することになり、それが人体へ与える悪い影響が心配だと取り沙汰されることになり、現在その切り替え工事はストップされているそうだ。当然ながら、充分研究・検討したのちに結論を出すべきであろう。乗り心地よりも健康な環境を大切にしようとしている当局の姿勢は、大変好ましいものだと思う。

【落書き】
 驚いたのは、路線によっては電車の走る地下道の壁面に延々と大きな落書きが描かれていることである。そのエネルギーの凄さもさることながら、何時、どのようにして描くのであろうか。当然、監視の目を盗んでの夜中の作業であったに違いないと思うが、何故、そこまでやるの?と首を傾げてしまう。たまたま乗り合わせた車両には、油性ペイントで床や壁、路線駅名のガイドパネルにまで落書きがしてあった。そのタッチを眺めていると、落書きしている人の姿が目に浮かぶ。余程、ストレスを溜めていたのだろうか、その荒々しさは、病的でさえあった。一時は、走る車両の外側にもたくさん落書きがしてあったらしい。東京では絶対見かけることの出来ない酷さであった。

【屑篭と無法者】
 構内の美化について書いたが、駅構内に設置されている殆どの屑篭は、ゴミが溢れていて不潔であった。まだまだ人手が不足しているのであろうか。それとも、パリジャンたちの個人主義によるものだろうか。改札を通り抜けると、そこいら一面に乗車券が捨てられている。これは、降車駅の改札を出る時、乗車券を必要としないからである。そんな仕組みの弱点をついて、駅員の監視をすり抜け、改札の扉を飛び越えていく若者の姿を何度も見かけた。
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アコーディオン奏者
中には、一方通行になっていて外側からは開けられない出口の扉を、内側から開けて仲間を呼び入れ無賃乗車をしている若者もいた。何処の都会にも、自己中の無法者はいるものである。

【車内】
 東京の電車の座席は、如何に沢山の乗客を乗せるかということが優先されて、ラッシュ時には殆ど貨物列車に近い状態の車両を走らせているが、パリの電車は乗客を大切にした座席の造りであり、ゆったりと寛げるのが大変好ましい。そんな車内で何度かアコーデオン弾きと出会った【写真】。1曲弾き終わるとチップを要求して車内を一巡した。ビラを掲げて、乗客に何か援助を訴えて回る人もいた。殆どの乗客は無視していたが、お金を渡す人もいた。駅に停まると彼等は次の車両へと移動していくのだが、東京では見かけぬ風景である。そんな事には目もくれず、一心に自分の顔の化粧をしている女の子もいた。これは、東京と同じであった。
【階段】
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 運賃が、市内は均一であること。しかもカルネ(Carnet)と呼ばれる回数券を利用すれば、ほぼ三割安くなること【写真】。網の目のように縦横無尽に張られた路線網は駅間距離も短く、確かに市民の足として便利であり、なくてはならないものになっている。しかし、ホームへの上り下りは未だ殆どが階段である。エスカレーターやエレベーターの導入にも努力をしているのであろうが、まだまだ健常者でなくてはメトロ利用は困難である。その面では、バリアフリーを目指す東京の地下鉄は一歩先を進んでいると実感した。
←地下鉄路線図と回数券(カルネ)

【木製エスカレーター】
 エスカレーターと言えば、乗り換えの為のエスカレーターに立ってみて驚いたことがある。何と、足下のそれは間違いなく木材で作られていたからである。これって、古いのか新しいのか? しばし考えてしまった。どちらにせよ、素材を生かした新しいエスカレーターとして、優しい感触や温もりも感じられて好ましいものだと思った。リサイクルが可能だし、地球にも人間にも優しいものとして、これからもっと普及されていいのではないだろうか。

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