★ 2001 パリ美術館訪問の旅
 ◆ 4日目(12月16日) 快晴 目次へ
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【本日の旅程】=シャルトル訪問(シャルトル大聖堂・街の散策)、ルーヴル美術館見学

 幸いなるかな、今日も快晴の朝を迎えることが出来た。今回のパリ訪問に際しては、パリから100キロ近く離れた地点だが、世界遺産にも指定されていて美しいステンドグラスで有名なシャルトルの大聖堂も訪ねてみようと思っていた。一般的にはシャルトル大聖堂とよんでいるが、正式名は、ノートルダム大聖堂といい、パリのそれと同じく聖母マリアを祀っている寺院である。今回は、訪ねてみる絶好のチャンスである。スケッチ用具を背負って出かけることにした。冬の陽は短い。急いで出発しなくてはと思っていたのだが、結局ホテルを後にしたのは9時近くになってしまった。それでも、まだパリの朝は明けたばかりである。


◆ シャルトルへ
 モンパルナスまで地下鉄で行き、そこから列車に乗り換えてシャルトルへ向かう。モンパルナスの駅は想像以上に大きなものであった。数えてみたら、23ものホームが並んでいた。その右端の20番ホームに、9時30分発シャルトル行きの普通列車がスタンバイしていた。発車までに、まだ10分近くあったが乗車して待つことにした。なにしろ、こちらの列車は時間がくると、だまって動きだすのだから油断が出来ない。日本では考えられないことだが、発車直前にならないと車内には照明がつかない。勿論、暖房もつかない。これも無駄を省くヨーロッパ文明の慣わしであろう。薄暗く冷えた車内には、何人かの人影が認められた。ガラ空きの禁煙車両に落ち着いて発車を待った。
 列車は、間もなく車内に照明をつけ、それを合図にスッと動き始めた。定刻の発車であった。南西の方角に走り始めた列車の窓には、ほどなく田園の風景が飛び込んできた。大穀倉地帯として有名なボース平野である。なだらかに起伏する大地を広く見渡すことが出来た。列車は丁度1時間でシャルトル駅に到着した。お客も少なく、駅は閑散としていた。駅でトイレを済ませておきたいと思ったが、生憎閉鎖されていた。この時期、利用者が少ないからであろう。


◆ 好印象の街
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駅前から望むシャルトル大聖堂
 駅舎を出ると、駅前広場の向こうに大聖堂の姿が見えた【写真】。広場には2・3人の人が歩いているだけであり、乗用車が一台だけ通り過ぎて行った。日陰になっている路面は白く凍っていた。そうでない路面も、まだ凍結していて滑りやすく、足元に注意しながら歩かねばならなかった。真直ぐ大聖堂に向かって歩けばよく、人通りの少ない商店街を抜け、ものの10分も歩かないうちに大聖堂の前に出ることが出来た。

 大聖堂のすぐ前にインフォメーションがあったので、まずは其処を訪ねて、街の観光地図を手に入れる。無料で使えるトイレも案内してもらった。それは、近くの土産店にある専用トイレであった。観光客に開放することによって売り上げに繋げようとしているのだろう。インフォメーションの職員は、年輩の男性と若い女性の二人だけであったが、実に親切で感じの良い人たちであった。初めて訪れる街では、そこで最初に出会う人の印象によって、その街全体の印象まで大きく左右されるものである。この二人との出会いが幸いしたのか、この街に対する印象はすこぶろ良いものになった。


◆ シャルトル大聖堂
 シャルトルは、中世の古い町並みを今に残していることと、この大聖堂【写真】が在ることで有名な街である。ヨーロッパ全域から集まる聖母マリアへの巡礼者が、今でも後を断たないと言われている。この大聖堂は、今までに何度も建直してきたらしいが、現在の姿は大部分が12〜13世紀のもの。天高く聳える右側の鐘楼が12世紀のロマネスク様式の傑作であり、左側のものが16世紀に再建されたゴシック様式のものである。その対照的な姿を両立させている聖堂も珍しい。正面入口扉やファサードには12世紀のレリーフが残されていた【写真】

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正面のファサード
 ←シャルトル大聖堂 正面

 中に入ってみた。期待していた通り、ステンドグラスの美しさに目を奪われた。外から見たバラ窓には、何一つ色彩が感じられなかったが、聖堂内から眺めるそれは見事に美しいものであった【写真下】。バラ窓は北側にも南側にもあり【写真】、中でも、『シャルトルのブルー』といわれる落ち着いた色調は、荘厳感に満ちていて格別な美しさであった。それぞれゴシック芸術の傑作ばかりであるが、中でも『美しき絵ガラスの聖母』【写真】は、12世紀に作られたフランス最古のものであり、日本ならば国宝扱いにされる作品であろう。それら沢山のステンドグラスを通り抜けてくる光によって、聖堂内は静ひつで厳かな雰囲気に充ちていた。
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正面バラ窓の内側
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北側バラ窓
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南側バラ窓
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『美しき絵ガラスの聖母』


◆ 町の散策
 インフォメーションで入手した街の観光地図を参考に、町中を散策してみることにした。絵に描く為、大聖堂を少し離れた地点から眺めてみたいと思い、ともかく坂道を下る。道の途中に素敵な木組みの家が目についた【写真下】。窓には独特の正月飾りがつけられており、柱は素朴な工芸品の趣きである。ガイドブックで調べてみたら、それは『鮭の家』といい、現在はレストランとして使われているが、16世紀に建造されたものだそうだ。柱に飾ってある建築当時そのままの木彫りの鮭が、その名前の由来であると書いてあった。通りには他にも木組みの民家があり、朝日に映えるその美しい壁【写真下】を眺めながら、ゆっくり坂道を下った。

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『鮭の家』
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木組みの民家
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ウール川沿いの風景

 坂を下り切ると、堀の様に整備された幅3メートル程の美しいウール川が静かに流れており、岸辺には共同の洗濯場が残っていたり、民家の裏口に平底の小舟が洩いであったりした【写真上】。古い建物や茂った木々の隙間から時々大聖堂の屋根や鐘楼が見え隠れした。川沿いの道は、中世の頃の生活が偲ばれる落ちついた景観を今に残していた。川幅が広くなった北側のはずれに、12世紀に建てられたサンタンドレ教会の質素で重厚な佇まいが在った。川面にその姿を映してとても魅力的な情景に思えたので、石造りの幅広い欄干にスケッチブックを広げて写生を始めた【作品下】。しかし、此所は日陰でもあり寒さがこたえた。30〜40分くらい頑張っただろうか、あまりの寒さに指が痛くなってしまったので、途中だが断念した。

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サンタンドレ教会のスケッチ
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大聖堂の裏手側より

 其処から長い急な階段を上り、大聖堂の裏手に出た【写真上】。此所からの街の展望もなかなかのものであったが、体も冷えたし家内が待っている聖堂の中へと急いだ。

 2時31分発モンパルナス行きの列車に乗り、シャルトルにお別れをした。機会があったら、再度訪ねてみたいと思う。車内に落ち着き、空腹をおぼえた。今日の昼食は、持参のゆで玉子やバナナ・ビスケット・お菓子等、そしてコーヒー。ともかく、冬の日中が短かすぎるので、レストランに寄っている時間も惜しかったのである。上りの列車は、終着駅に着くころにはほぼ満席になっていた。


◆ レースを編む女
 4時30分、地下鉄を乗り継いで、再度ルーヴル美術館にやってきた。もうすぐ日没である。ピラミッド前にある噴水の池は、すでに凍り始めていた【写真下】。今回はこれで2度目の訪問である。もはや、無駄なく目的の展示会場に行くことが出来る。見落としていた3階の作品を閉館までの時間を使って、ゆっくり鑑賞した。

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凍った噴水の池
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フェルメール 『レースを編む女』(部分)

 中でも嬉しい出来ごとは、フェルメール『レースを編む女』(24cm×21cm)【写真上】に出会えたことである。そして、その作品の予想外の小ささには驚かされてしまった。ほのぼのとやさしいマチエールは彼の得意とするところではあるが、女が気持ちを集中して操っているレース糸は、0.1ミリもないくらいの細さである。その張りつめた二筋の糸の先端に、女の指先も目も心も集中している様子が見事に描かれていた。画面上での実際の長さは1センチにも満たない糸なのだが、これがこの作品の命と言っても過言ではないだろう。僕には神業としか思えなかった。ただただ見事と言うほかはない。
 ちなみに、彼は17世紀のオランダを代表する画家であり、生涯32点?の珠玉の名作を残した画家としても有名である。そして、レース編みは、当時のオランダ女性の得意技であったらしい。
 帰路、売店に寄ってみたら、幸運にもこの作品の良質な複製画を見つけることが出来た。しかも、実物とほぼ同じ大きさであった。大切に持ち帰ることにした。

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