今日は、白馬雪山の峠(4292m)を越えて、茶馬古道の更なる秘境:徳欽へ移動する。
現地ガイドとして、チベット人の和さんが添乗。好感の持てる青年である。
|
◆シャングリラ(香格里拉)
1933年に出版されたアメリカの小説家ジェームス・ヒルトンの作品「失われた地平線(Lost Horizon)」
の中に描かれている風景に似ている、ということでそれまでの「中甸」から「香格里拉」と改名。
改名されたのは1997年のことらしいが、観光的戦略として成功しているようだ。
「中甸」が表す古チベット語の意味(心の中の日月)がシャングリラの意味と同様なことなどもその根拠だと言う。
現在、チベット族自治州の州都であり、雲南省の北西部に位置する(逆の方向から言えば、チベット高原の南東部に位置している)。
標高は凡そ3200メートル。年平均気温5.4℃。1年を通して温暖である。
標高は高いが稲の栽培も可能で、住みやすい地域と言われている。
草原が多く、チベット族の遊牧民がたくさん暮らしているが、概ね裕福な暮らしをしていると言う。
街の景観は、何処にでもある田舎の小都市であるが、観光開発が急ピッチで進められているようで、新しく大きなホテルが眼につく。
我々が泊った実力大酒店もその中の一つ。そして、特徴的なことは、窓枠のデザインがチベット風であることだ。
郊外にも新築中のチベット風民家をたくさん見かけたが、
此処では木材が入手しやすいらしくチベット自治区で見かけた民家とは趣きを異にしていて贅沢な造りであった。
広く作られた街の通りには、公共のバスが走り、勿論タクシーも沢山走っていた。
中に珍しいタクシーがチョロチョロ走りまわっている。一見軽乗用車風三輪車であった。
|
 |
実力大酒店 |
 |
庶民の足 |
|
8:15。ホテル出発。
街を出ると間もなく、左手に「納パ海」が広がり、海の向こうにシャングリラ空港の滑走路が見えた。
「納パ海」とは、雨期にだけ大きな湖になるが、乾期の今は一部だけ湖を残して殆どが湿原となる
(雲南省には海がないので、少しでも大きな湖は、みんな海と呼ぶ)。
雨期には野鳥の天国となり、黒首鶴をはじめたくさんの渡り鳥がやってくるらしいが、今日は長旅になるので、
横目で眺めるだけで先を急いだ。
|
◆「中国の車は水で走るのか?」
 |
チョルテン |
|
濾沽湖へ長距離ドライブした日のこと、ドライバーの不可解な行動を疑問に思ったことがあった。
走行途中で、「水を補給しますので、しばらくお待ち下さい」と言うので「はて?」と思い眺めていたら、
バスの後ろに出ている管に水道のホースを差し込み、水の注入を始めた。「何の為に?」と聞くと、
ブレーキドラムを冷やす為に必要なのだと言う。山道を走る際、どうしてもブレーキを沢山使う為過熱がすすむので、
その冷却用の水は無くてはならないものなのだそうだ。山越えする大きなトラックなどは、
専用の大きなタンクを積んでおり、水を垂れ流しながら走っていた。
今日も、大きな山を越えていかねばならぬ。最初の峠近くの給水所で給水を済ませた。
峠にはチョルテンが立ち、雪が積もっていた。
以前、外人を案内していたとき、
「中国の車は水で走るのか?」
と、真面目に聞かれたことがあると、笑い乍らガイドが話してくれた。
 |
給油ならぬ給水 |
|
◆「上橋斗村」(かみばしとむら)
10:30~。茶馬古道から少し横道に入った金沙江の支流に佇む小さな村「上橋斗村」に寄り道。
此処は、かって激戦地であったと言う。賀龍(紅軍の幹部)の軍隊が、四川省に逃げる際に渡った吊り橋が、
歴史的遺産として残されていた。
橋を渡った山の斜面で待ち伏せしていた国軍の激しい攻撃で多数の兵隊が死亡。
その時の戦死者たちを祀る墓も建てられていた。そんな多くの血が流されたことなど、まるでウソのように、
清流が美しく、のどかな感じの村であった。村の特産品として、
石楠花で作られていると言う器を見せてもらった。
素朴で工芸品としてはいささか未熟な出来映えであったが、チベットにも運ばれて販売されていると自慢げであった。
 |
穏やかな上橋斗村 |
 |
石楠花の木で作った器 |
|
 |
紅軍橋 |
|
村の小さな工場で、若者一人だけが黙々と木地の加工作業をしていた。駐車場に1台、
エンジンむき出しのトラックがあった。今回の旅で、何度も見かけた車であるが、
農耕用トラクターのエンジンを上手に活用したもののようである。
|
 |
エンジンむき出しのトラック |
|
◆昼間のローソク
11:30~。宿場町として栄えた奔子欄(バンシラン)の、通りに面して建つ「央宗飯店」で昼食
。
店員が明るいテーブルにローソクを2本立ててくれた。しかも大きめのものである。
奇異に思って尋ねてみたら、店内にいる蠅を寄せ付けないためだと言う。中国の蠅は、ローソクの火を怖がるらしい。
こんなローソクの使い方があるとは、驚いた。効果の程ははっきりしないが、初めての体験である。
「奔子欄」はチベット語で兎がたくさんいるところという意味だそうで、周りの山にはたくさんの兎が棲んでいるらしい。
 |
蠅除けの為のロウソク |
|
 |
央宗飯店 |
|
◆「金沙江第一湾」展望台
 |
チベット人現地ガイドと |
|
12:45。奔子欄から10分位走ったあたり、U字形に湾曲している金沙江の展望台が、断崖の上に作られていた。
成る程、眼下には見事な展望が開けていた。
対岸は四川省。岩だらけの山だが、「金糸猿」という珍しい猿が生息しているらしい。
チベットの民族衣装がよく似合うガイドは、英会話は出来なかったが結構気持ちを通わせることが出来た
。
|
 |
金沙江第一湾 |
◆「東竹林寺」見学
13:10~。ダライラマ5世が皇帝に進言して建造した、13のラマ教寺院の中の一つ。
俗界から切り離された山深い山腹に建てられており、清の時代には1000人程の僧侶がいたそうだが、
今は約300人が修行に励んでいるだけだと言う。
寺院を取り囲むように沢山の僧坊が並び、茶色い袈裟を着た僧侶の姿もみかけたが、
彼らの表情からは少しの精気も感じられなかった。
寺院のトイレを使わせてもらった。さすがに大きなトイレであったが、その汚さにはビックリ。
照明などある訳もなく、慎重に足を運ばなくてはならない酷い状況であった。
修行に励む僧侶たち、どうしてトイレを美しくしようとしないのだろうか?理解に苦しむ。
日本の僧院ならば、絶対あるまじきことだと思う。社会の指導者的立場に居る彼らにしてこの有様だから、
他は推して知るべし、ということだろうか。
|
 |
東竹林寺 |
|
◆トイレ事情
中国を旅していて一番困るのは、トイレである。通称「ニーハオ(今日は)トイレ」と言っているけれども、
仕切りのないオープントイレで、小用ならいざ知らず、隣と顔見合わせ乍ら用を足すのはいささかどころか大変なプレッシャーである。
その上、凄く汚いし匂いも強烈。勿論、都会のホテルは別格だが、街中にある公衆トイレは殆ど「ニーハオトイレ」で汚いところが多く、
にも拘らず有料だから呆れてしまう。世界遺産に指定された古城の公衆トイレは、ドア付きトイレで清潔であった。
特に世界の観光客を意識しているのであろう、プライバシーも保護されていたのはさすがだと思う。
シャングリラの尼西村のトイレは、珍しく清潔な感じがしたので画像として収めておくことにした
。
1981年に中国訪問をした時も悩まされた。それも、いわば中国の顔でもある北京の公衆トイレが「ニーハオトイレ」であったからだ。
狭いトイレの中で(つまり用足し中の眼の前で)順番を待ち乍ら雑談をする人たちがいたのには参った、とは家内の呟き。
プライバシー無視の「ニーハオトイレ」。国際的都会に住むこうした中国人に礼節を感じられなかった記憶は、
今なお払拭することが出来ない。こうしたトイレ事情を抱えていて、果たしてオリンピックが出来るのだろうか?
と、思ってしまう。聞くところによると、さすがに北京のトイレは美化されつつあるということだが、
プライバシーの尊重と同時にトイレの清潔度は、そのまま文化のバロメーターでもあろうと思う。
急成長を遂げつつある中国が、文化大国を自負することは、当分無理な話ではないだろうか。
|
 |
ニーハオトイレ |
|
◆白馬雪山峠越え
13:30~。視界に飛び込んでくる周囲の山々が白くなってきた。
積雪の為、道幅も次第に狭くなり、対向車が下って来たらどうするのだろう、と心配になってきた頃、
見上げる斜面にトラックの姿が小さく見えた。運転手は、道幅の広い所を見つけると路肩一杯に寄せて駐車、
トラックの通過を待った。無事すれ違いが出来てやれやれと思ったら、
そのトラックには沢山の後続車があり、なかなか動くことが出来ない。よほどの渋滞があったらしい。
40分位待ったであろうか、ようやく後続車が切れたので発車。しばらく高度を稼いでいたら、
雪に片足を取られて傾いたまま動けなくなったトラックの姿が在った。
これが、渋滞の犯人だったようだ。しかし、こんな雪道で災難に遭ったトラックは、一体どうなるのであろう?
勿論、車上に人影はなかった。
|
 |
狭くなった雪の山道 |
|
15:50。峠の最高地点(4292m)に到着。
360度、一面の銀世界であった。10分程写真タイム。
|
 |
白馬雪山峠 |
白馬雪山を回り込みながら下る。絵になる素晴らしい景観であった。
まもなく、期待のビューポイント:梅里雪山迎賓台(十三白塔観景台)に到着。
しかし、期待の展望は叶わず残念であった。
|
 |
白馬雪山を見上げる |
|
 |
迎賓台 |
 |
迎賓台 |
 |
祈りを込めて |
|
「明朝は見えますように!」神聖な火に願いを込め、線香を立てて祈りを捧げる。
無念の気持ちを抱えて徳欽に下った。
|
◆「徳欽」
17:20。眼下の谷間に徳欽の街が見えてきた。
この街が造られたのは宋の時代。チベットの馬と中国の茶を運ぶ茶馬古道の中継地。
古くから聖山として、チベット族の信仰を集めている梅里雪山巡礼の宿場町でもある。海抜は3300m。今日の宿泊地である。
|
 |
徳欽の街 |
|
17:40。徳欽「彩虹大酒店」に到着。
19:30。ホテル内レストランにて夕食。
|
|