今日は、「石鼓鎮」に立ち寄り、「虎跳峡」を訪ね、シャングリラ(香格里拉)へと移動する。
8:30。ホテル出発。
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◆「石鼓鎮」
10:10~。古来、チベットとの交易で栄えた宿場街。
茶馬古道の中継地であり、チベットから毛皮や薬が持ち込まれ、此処で塩、茶葉、布などと交換されていた。
地名の由来である「石鼓」(せきこ)とは、ナシ族がチベット族との戦いに勝ったことを記録する為に建てた鼓型の石碑である。
その石碑を保護している碑亭を訪ねた時、10人余りの老人たちが、
花や緑に包まれた近くのあずま屋で器楽演奏をしていた。
聞けば、リタイアした人たちが余暇を楽しんでいるのだという。
其処には、のどかでゆったりとした時間が流れていた。
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ランタナ |
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緑陰で奏楽練習 |
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演奏を楽しむ老人たち |
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日向で寛ぐ村人 |
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通りには、この地の特産なのだろうか、藁や竹で作られたカラフルな篭や椅子などを並べて商いをしていた
。
歴史を感じさせる鉄虹橋の両サイドに建つ山門の前には、モソ族の女が日向ぼっこをしていた。
のどかな情景である。カメラを向けると親しげな笑顔を返してくれた。
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特産品の篭 |
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吊り橋前の山門 |
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石段を登り、高台(公園)に上がってみたら、
毛沢東の抗日戦線に協力した鎮の住民と兵士の姿を刻んだ彫像と碑が建てられてあり、
碑には「英雄奮闘的紅軍万歳!」と刻まれてあった。
こんな田舎で、戦いの傷跡に出逢うとは予想もしない驚きであった。
こうして石に刻まれた歴史は、風化されることなくいつまでも残されていくのであろうか・・・。
ガイドはコメントをしなかったが、土地の人たちにとって今でも誇りにしている歴史なのだろうか?
中国風に誇張された彫像や文言を眼にしていると、共産党政権の誇示・宣伝であろう、と思えてきた。
何故なら、貧しい農民に、これらを建立するだけの財力はないだろうと思うからである。
眼下に麗江古城に似た瓦屋根が並び、通りの向こう側に、静かな金沙江の流れが望めた。
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抗日戦の記念像 |
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記念碑 |
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村の家並 |
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◆「長江第一湾」
11:00。 車で少しだけ移動して、流れを近くに望める岸辺に立った。
この河は、世界第3位の長さ(6380km):(雲南省だけで約2300km流れている)を誇っている長江(揚子江)の一部である。
上流にあたるこのあたりの流れを金沙江といい、チベットより流れ下ってきた川は、
この地(石鼓鎮)で山に阻まれ大きく方向を変えて上海に達することになる
(この山に阻まれなかったら、そのままラオス、ミャンマーへと流れていたらしい)。
V字型に大きく向きを変える為、このあたりが最もゆるやかな流れとなるので、
古くから四川-雲南を往来する為の渡河地になっていたらしい。この湾曲部分が「長江第一湾」と呼ばれている
。
歴史的にも、三国時代の諸葛孔明、元の世祖フビライ・ハーンは雲南遠征に、
近代では紅軍が長征の際に渡河して行ったことで有名である、とガイドは説明した。
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長江第一湾 |
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◆「虎跳峡」
13:00~。玉龍雪山(5596)と哈巴雪山(5396)の間に標高差3000メートルのところに断崖絶壁が15kmにわたって続き、
其処に激流が流れ、世界でも屈指の大峡谷虎跳峡を形成している。
我々は、山腹にしっかり整備された片道2.6kmの遊歩道を辿って、
その上流部分のハイライトを観光した。
其処は、激流が渦巻き、川巾が約30m。中程に虎跳岩と呼ばれる巨石があり、
虎がこの岩を足場にして対岸へ渡ったという伝説があるそうだ。
長い石段を下り、激しい流れを身近に体感しながら眺めた。
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断崖の中程に、伝説の虎の像が在ったが、注意して眺めないと見逃してしまいそうな大きさであった。
伝説もさることながら「虎跳峡」とは、ロマンに満ちたなかなかの名前だと思う。
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濁流 |
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虎跳峡石碑 |
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17:30 シャングリラ・実力大酒店に到着。
18:00~。ホテル内レストランにて夕食。
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