★梅里雪山、濾沽湖と世界遺産の古都・麗江
◆4日目(3月28日) 晴れ
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6:15。モーニングコール。
6:40〜。朝食。
空が明るくなり始めた。急いで食事を済ませ、湖畔に出てみた。広い湖面に一艘だけ、漁をしている舟影があるのみ。 湖畔は静寂に包まれていた
【写真右】
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夜明け前の濾沽湖
サンライズ
7:10。サンライズ。湖面に赤く太陽の光が輝いた
【写真上】
。 宿泊したホテルも朝日に輝いた
【写真下・2点】
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7:30。ホテル出発。
宿泊した新しいホテル
ホテル玄関で記念撮影
◆摩俊人の暮らし
ホテルから車で2分。母系家族を形成する摩俊人の家庭を訪問した。
屋外の棚には、豚の丸干し(保存食)が置いてあり、この数の多さが、 その家族の裕福さを示しているのだそうだ
【写真右・上】
。この家には、4頭半。裕福な家族らしい。
母屋に案内されて、摩俊人の暮しについての話を聞いた。 話をしてくれたのは、家長に代わって4代目という実質ボスを務める長女。 あらかじめ、マさんに聞かされていたので、再確認し乍らの話であった。まとめると、以下のような内容である。
案内された部屋は、この家の母屋。家長であるおばあさんの居室であり、応接間であり、この家で最も大切な部屋。 囲炉裏に燃える火は24時間絶やされることがなく、その前に飾ってあるのが火の神様。 壁も天井も煤で黒く光っていた
【写真右・下】
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部屋の中央左右に大きな柱が2本あり、片方が男柱、もう片方が女柱。 この2本の柱は必ず1本の木から作られなくてはならないそうだ、子供が13才になったら成人式が行われ、 男女、それぞれの柱の前で、儀式が執り行われる。この部屋は神聖な場所でもある訳だ。
誕生日を祝う風習はないが、それに類した機会が一生の中で3度だけあるという。 それは、生まれた時、13才になった時、そして他界した時だという。
完全な母系家族で、母親とその子供達だけで一家を構成しており、その他の人間を家族に入れることはしない。 家族は、終生同じ家で過ごし、独立することはない。一家の長は祖母であり、 最も尊敬され絶対の権力を持ち一家の経済と発展の舵取りをする。
豚の丸干しが5頭も!
母屋で説明を聞く(囲炉裏の火は神様、365日決して消すことはない)
◆通い婚
孫を抱く頼もしそうな家長
結婚相手に選ばれた男は、夜だけその女の部屋で過ごし朝になると自分の家族のもとに帰って働き、 自分の姉妹の子供の面倒をみる。従って、子供にとっての親は母親とその家族だけである。
男は、相手の女に関して経済的な責務を一切負わないでいい。勿論、実の父親として子供の面倒も見なくていい。 母と子の絆は一生続くが、父と子の関係は最初から無いものとなる訳だ。 (男は日陰者である。何と可愛そうな男たちであろう・・・・と、思ってしまった。)
どんなに家族が増えても、終生一つの家に住み続けるので、30〜40人の家族も珍しくなく、 その中に娘が5人いれば5つの専用部屋を造り、 夜になると他所から5人の選ばれた男がそれぞれの部屋に通って来ると言う次第。 逆に、その家族の中に5人の男がいれば、夜だけ他所の家族の5人の女の部屋に出掛けて行くということになる。
子供が生まれると、その子は母親一人のものではなく家族全体で育てることになる。 年老いた場合も同じく家族全体で面倒をみるから、老後の為の蓄えとか年金暮らしの心配もないし淋しい思いをすることもないそうだ。
実際はどうなのか。そのボスに尋ねてみたら、 「何ら問題はない、今の生活に満足している」と、明るく語ってくれた
【写真左】
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非常に素朴な生活体系であり、不文律を厳しく守り続けて歴史を刻み続けている人たちが現実に居るということ (現政権も容認しているという)は、大きな驚きであった。
◆丸太舟クルーズ
8:30。船着き場から、観光用に作られた手漕ぎの丸太舟(猪槽船とも言う・・・ 本来は小さな舟で、使わない時は豚(猪)の餌入れに使用していたことがあるかららしい)に乗船。 前後に二人の漕ぎ手が乗り、里務比島まで凡そ30分。静かな湖面のクルーズを楽しんだ
【写真右】【写真下】
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獅子山とクルーズ舟
丸太舟で里務比島へ
里務比寺正門前が船着き場であった
石段を登りつめた山頂に建っていた里務比寺
島の頂きには800年前に建てられたという里務比寺が在り
【写真左】【写真左下】
、 本堂には黄帽派の祖ツォンカパと千手観音が祀られていた。本堂を時計周りにマニ車を回しながら一周した後、 同じ舟に乗って帰路についた。時刻は9時40分、快晴にも恵まれて船着き場は賑わい始めていた。 観光客を乗せて散策する馬も沢山スタンバイしていた。この村が観光に力を入れ、 より豊かになりつつあることが伺われる光景であった
【写真下・2点】
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賑わう船着き場
客待ちの観光馬
◆イ族女性の服装
10:00。濾沽湖を出発して、昨日来た同じ道を麗江に向う。 再度、5つの山を越えての7時間余りのドライブとなる。昨日と同じ天保酒店で昼食。 そして又、同じ八百屋で少し買い物をした。
途中、イ族の女性を見かけたのでバスを停めてもらい、撮影させてもらった
【写真右】
。 黒い座布団のような帽子は極めてユニーク。日傘になったり雨傘になったりするのだと言う。 しかし、最近の若者は機能的でないと敬遠する者が多く、この民族衣装も次第に影が薄くなりつつあるということだった。
15:20。麗江格蘭大酒店に無事到着。
18:30。ホテルを出て、古城内のレストランで夕食(モソ料理)。 狭い階段を登り奥まった小さな部屋に案内されたが、お客は我々だけ。 ビールで乾杯し、運ばれて来る料理を頂いているうちに隣の部屋も賑やかになってきた。 鍋料理も出され、汗ばむ思いの食事を済ませて部屋を後にしたら、隣の部屋の客は日本人団体。 その隣の部屋も同じように日本人観光客で盛り上がっていた。
笑ってくれたイ族女性
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