★梅里雪山、濾沽湖と世界遺産の古都・麗江
◆3日目(3月27日)晴れ
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今日は、一晩泊りで、雲南省と四川省の境に位置する濾沽湖まで出掛ける。
朝の食事前に、ベランダにて取材。玉龍雪山がかろうじて姿を見せていたが、 陽が昇るにつれ雲に隠されてしまった
【写真下】
。それでも、何とか1枚色を付けることが出来た。
玉龍雪山
◆濾沽湖へ
8:00。ホテル出発。今日から明日迄は、摩俊(モソ)人の現地ガイド:マさんが添乗。 マさんの説明を、周さんが通訳しながらの長距離ドライブ(凡そ200km)である
【写真右・上】
。
この湖は、海抜2685m、広さ約52平方キロメートル、平均水深が45m、最深部では93mあると言う淡水湖。 水の汚染を防ぐ為、エンジン付きの舟は禁止されており、透明度は約11m。3つの半島と5つの島がある美しい湖らしい。
濾沽湖まで行くには、山を5つ越えて行かねばならないようだ。麗江の郊外では、ナシ族やイ族の人々が暮らす農村風景が見られた。
山道は、意外に整備が進んでおり、覚悟していた凸凹道はそれ程のこともなく助かった。 一つの峠にさしかかった時、長江の上流にあたる金沙江が見えたので、写真タイム。 これから走る九十九折りの道も眼下に見えた
【写真右・下】
。
二人のガイド
九十九折の道
◆摩俊(モソ)人
モソ人の民族衣装
マさんは、25才。歌が上手で、少しも物怖じしない明るい娘さんである。 摩俊(モソ)人の生活について、詳しく紹介してくれた。長い道中、退屈しないように何度も進んで歌を歌って聞かせてくれた。 高音の伸びやかな発声は、若々しく力強いものであった。
トイレ休憩に寄った店で、同じ摩俊(モソ)人ガイドの娘さんと親しく話しあっていたので、 写真を撮らせてもらった
【写真左】
。白いスカートと赤い民族衣装の組み合わせが大変美しい。 髪飾りもユニークな美しさである。マさんが被っている帽子も摩俊(モソ)人が日常使っている帽子だそうだ。 カウボーイハットと同じ形とは、珍しいこともあるものだ。
摩俊(モソ)人。濾沽湖周辺に暮し、現在でも「阿夏」(アシャ)と呼ばれる「通い婚」の風習を守り、 世界でも数少ない母系社会を形成している。モソとは牧畜をする人という意味で昔は放牧生活をしていたらしい。 現在は、半農・半牧の生活を営む。
◆「野生のきくらげ」
12:30〜 昼食。 近くの八百屋で「野生のきくらげ」を見つけた同行3人の主婦、「安いわねぇ!」と興奮。 言葉が通じなくとも何のその、値引き交渉も進めて買物を楽しんでいた
【写真右】
。 ちなみに500グラムで40元。日本円に換算すると、凡そ600円であった。
野生の乾燥キクラゲを買う
◆濾沽湖の眺め
15:10。料金徴収所通過
【写真右】
。此処から先が、濾沽湖風景区となる。
15:30。ようやく5つ目の峠(3250m)に辿り着いた。そこには積雪があったが、ガイドは珍しいことだと言っていた。 峠を越えたら、突如、眼下に濾沽湖が見えた。湖水の青さがハッとするような美しさである。 車を停めてもらいたいと希望したが、狭い山道では叶わず残念だった。湖畔近く迄下った所に、観景展望台があった。 此処で15分程、写真タイム。沢山の中国人観光客も居た。確かに美しい眺めであったが、 もう少し距離を置いての景観を絵にしたいものだと思った
【写真下】
。 如何せん、スケッチ出来る時間のゆとりはなかったが。
濾沽湖 風景地区ゲート
濾沽湖
◆札美寺
濾沽湖を右に眺め乍ら通り過ぎ、獅子山の裏手に建つチベット仏教寺院の札美寺(さつびじ)を訪ねた。 清代の康熙年間(1661〜1722)に開かれた寺院。1969年の文化大革命で、本堂を含む大部分が破壊されたらしい。 1996年,和省庁の呼びかけで修復完成
【写真右・2点】
、本堂内にはバターだけで作られた供え物があった。
札美寺講堂
札美寺正門
◆摩俊大酒店
ホテルと濾沽湖の夕暮れ
18:00。濾沽湖 摩俊大酒店 着。大きなホテルだが、宿泊客は我々のグループだけらしい。 建物は新しく、案内された部屋を点検すると、トイレの水が流れない。エアコンも使えない。 やむなく部屋を変えてもらったが、やはりエアコンは使えなかった。窓から夕暮れの濾沽湖が見えた
【写真左】
。 次第に、寒さが身に沁みて来た。
18:30〜。ホテル内の冷えきった食堂で夕食。特産の白酒を出してくれたので賞味。 ほのかに上品な香りもする焼酎で飲みやすく、気に入ったので買おうとしたが在庫品がなく、果たせなかった。 エアコンは、食事をしている間に改善しておく、ということであったが叶わず。 次善の対策として、電気毛布を調達しておいてくれた。何とか眠れそうである。
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