★ 2001 新春ネパールの旅
ネパール国旗  ◆ 6日目(1月18日)前半 【旅の全体地図】 目次へ
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【ポカラ周辺地図】
【本日前半の旅程】=オーストリアンキャンプ→(トレック)→フェディ→ポカラ(昼食・休憩)

◆ 不運なフンづけ
 昨日よりも一段と寒さが身に染みた。夜中の2時頃、2度目のトイレに起きた。外は月明かりで明るく草地は霜で白く光っていた。懐中電灯は持たずにトイレに急いだ。どこにも人影はなく、どのテントも深い眠りに落ちていた。仮設トイレの近くで小用を済ませ、急いでテントに引き返した。靴を脱ぐ時、紐を締めないままで歩いたことに気がついた。紐を引いても動かない。嫌な予感がした。紐は靴底に張り付いていて、何やら一面にべったり・・・。なんなんだヨ!凄い臭気もするではないか!見れば、家内が使うサンダルの鼻緒にも!・・・このままにしておけば、家内は気づくこともなく使うであろうし、その後の事を考えれば放置して寝てしまう訳にもいかなくなった。
 それからの30分余り、一人不運を嘆き乍ら、とりあえず濡れテイッシュを大量に使って応急処置をした。寒さに震え、お陰で睡眠不足のまま夜明けを迎えることになった。幸いと言うべきか、家内は1度もトイレに起きることなく、良く眠ることが出来たらしい。今朝はモーニングティーが運ばれて来る前には目覚め、爽やかな表情をしていた。今日も元気に歩いてくれそうで安心する。


◆ 心配な体調
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朝日を浴びながらの朝食
 6時半、高台に登りモルゲンロートを眺める。期待していた程には鮮明でなく、少しがっかりしたが文句を言っては罰が当たりそうである。爽やかな朝日を浴びながらの朝食、トーストにたっぷり蜂蜜をつけて美味しく頂く。家内は、何故かあまり食が進まないようであった。聞けば、昨日から上腹部が少し痛むので昨夜の食事も量を控えたと言う。以前にも海外で同じような痛みを経験しているので、心配はないと言った。旅の疲れが影響しているのであろうか。ともあれ、今日は恐怖の下山が待っている。連続して急な斜面を下りなくてはならない。年を取ると、登りよりも下りの方がきつくなる。急な斜面になればなおのこと、膝への負担が厳しくなるからである。どうぞ最後まで足腰が持ちこたえてくれますように!

◆ ささやかなプレゼント
 朝食を終えて荷物の整理をする。そして、今日でお別れとなるスタッフ達へのプレゼント品をそれぞれが持ち寄り、それらの分配はサーダーに任せることにした。僕らは日本から持参した清潔な古着を提供した。そして、不運なゴムのサンダルも手放した。沢山提供されたプレゼントの品々、きっと有効に役立ってくれるだろう。毎回、いろいろな品をプレゼントしてきているが、次回ネパールに来る時は、もっと計画的に子供達にも役立ちそうな品を持参しようと思う。


◆ 快適なダンプスへの道  【トレッキング案内地図】
 8時半、全員の記念撮影も済ませて、キャンプ地を後にした。此所からは、ひたすら下るだけの道である。家内のサブザックは最初からサポーターに担いでもらうことにした。ダンプスまでは、標高差約400メートルの下りである。最初の下り斜面は北に面しており、まだ凍っている石積みの道は滑りやすい状態であった。山での事故は、こうした下りに多く発生するものである。滑らないようにゆっくり慎重に行動したのは勿論である。茂みに朝日が差し込み、密やかに咲く美しく白いしゃくなげの花が輝いて見えた【写真】。全員無事に難所を通過出来てホッと一息いれる。家内をサポートしてくれた小柄なシェルパは実に頼もしく、その優しい人柄にも惚れ込んだ彼女、すっかり仲良しになってしまった。アンナプルナを背景に記念のツーショットを撮る【写真】

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美しいしゃくなげの花
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シェルパ1年生のテンディ(Tendi)君と一緒に→ 

 此所からは広くなだらかな尾根筋を歩くようになり、左手にアンナプルナ連山を展望し乍らの実に快適なトレッキングを楽しむ。此所は何度歩いても爽快で気持ちの良い所である。まもなくダンプス<Dhampus>村であった。ポツポツと民家も建ち並ぶようになり、屋根の上を、アンナプルナの山々が静かに移動する【写真】。この村には公立・私立の学校があり、ポリスも常駐しているかなり大きな集落である。なだらかな丘には、菜の花が満開であった【写真】。かってこの丘にテントを張り、夜明けのモルゲンロートに感激した日の事が思い出された。かれこれ20年位昔のことになるのだが、その時のテントの位置まで正確に思い出すことが出来たのには驚いた。建物も全て昔のままであった。関連していろんなことが思い出されてきて感慨一入のものがあった。此所は今もアンナプルナ展望の名所として、トレッカーには人気の場所である。

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屋根の上にマチャプチャレを望む
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ダンプス村の菜の花畑

◆ 村の小学生
 学校に向う子供達と行き会った。赤い制服の子らは、私立学校の小学生である【写真右】。実に可愛い。5年位前にこの丘に来た時は制服姿を見かけなかったから、あれから相当生活は裕福になっているんだな、と思われた。しかし、手作りの手提げかばんに覗くノートはまだまだ粗末なものであり、テキストは何人もの子に使われてきたものであろう、手垢で黒く汚れていた。2時間位の時間をかけて登校する生徒も多いらしく、学校の始業時間は10時である。日本の小学生と比較するには、あまりに次元が違いすぎるようで無理があるが、子らは皆元気そうであった。好奇心に満ちた黒い瞳がきれいであった。
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赤い制服の小学生→ 

◆ 試練の厳しい下山
 この丘から麓のフェディ<Phedi>まで、厳しい傾斜の道が続く。標高差、凡そ900メートル。疲労の溜まった足腰には、なおさらに苛酷な道となるはずである。しばらく休息をとった後、いよいよ最後の下りに出発した。しっかり積まれた石の階段は、安心して降りていく事が出来るので危険は少ないが、果てしなく続くように思われ、つい溜息が出てしまう。家内のサポートはシェルパにお願いした。ポシェットも預ってもらい、きつい所ではシェルパと手を繋ぎ、ストック片手に慎重に下った【写真】。中腹は段々畑になっており一息つけた【写真】。そのはずれにお茶が飲める売店があり、そこから再び急な斜面の下りが続く。家内は此所でトイレを借りた。その為シンガリを歩くことになってしまったが、最後まで弱音を吐かずよく頑張った。彼も最後まで立派にサポートを果たしてくれた。彼の助力がなかったら、無事の下山は果たせなかったに違いない。感謝、感謝である。

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段々畑の斜面を下る
 ←シェルパと手を繋ぎ、ストック片手に慎重に下る


◆ ポカラへ
 フェディで待機していてくれた大型バスに乗り込む。全ての荷物を屋根に積み上げ、スタッフも全員乗り込むとバスは満員状態になった。重量制限なんて問題にはならない国だから、とにかく詰め込む。インド製のバスは、ゆっくり国道に出るとポカラに向って元気よく走り出した。ガタつく窓から冷たい風が流れ込んできた。

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バスの中での踊り
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別れの挨拶をするサーダー(左端)とシェルパたち

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ホテルのランチ
 昨夜の青年が太鼓を叩き、狭い車内で踊りが始まる【写真】。彼等は仕事から解放され報酬も得ることが出来て嬉しいのであろう。バスは歌声も乗せて20分足らずで空港近くのホテルに到着した。此所で彼等とはお別れである【写真】。改めて感謝の気持を伝え、労をねぎらい、全員で拍手。そして、全員で記念撮影をした。一人一人と別れの握手を交わし、彼等はバスから手を振り乍ら去っていった。爽やかな別れであった。
 ホテルのレストランで昼食。色鮮やかな料理もさることながら、久しぶりに頂く冷えたビールは、格別の美味しさであった【写真】
(後半へ続く)

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