2007アルプスへの旅
◆1日目(8月14日) 目次へ
目次
次の日へ
次の日


◆心配を抱えた旅立ち


ルフトハンザ機

 8:43 日暮里発(スカイライナー) 9:45 成田空港着

 12:30 定刻より5分遅れて離陸したルフトハンザ機(写真右)は、現地時刻5時丁度(時差7時間)にミュンヘン空港に着陸した。11時間30分もの空の旅、やはり体にこたえる。特に今回は、血流の悪くなった左足を抱えての旅なので極力予防に心掛ける必要があった。予防とは、エコノミークラス症候群と言われている血栓障害に対してである。

 腹部大動脈瘤の手術を受けた時から左足の血管に狭窄部分があることは分かっていたが、最近まで歩行に支障を感じる事もなく過ごして来た。あれから4年が経過した昨今、歩行の度に不具合を意識するようになった。変な言い方であるが、第二の心臓とも言われるふくらはぎが、20分も連続して歩くと酸欠状態になるのである。足が重くなりいわば息切れを感じて苦しくなるので、息継ぎを繰り返すことになり立ちどまる。これでは、山歩きも予定している今回の旅、大丈夫であろうか。心配になり、病院で検査を受けた。  
 予想していたことであるが、狭窄がより進行していることを視覚的にも確認することになった。医師と相談して、予定している旅を済ませた後、外科的な治療をしてもらうことになった。「気をつけて行ってらっしゃい!」頼りにしている医師は、明るい声で送り出して下さった。深刻な情況ではないにしても、血栓障害の危険度は人一倍高いことを覚悟しなくてはならない。心配性の家内に聞かせる訳にはいかないので、その分気を引き締めての旅立ちになった次第である。

 2時間以上同じ姿勢で座ったままにならぬよう注意した。足を動かし、沢山水を飲み、トイレへの回数が多くなるようにも配慮した。手足を伸ばせるビジネス座席を羨ましく思ったが、所詮年金生活者にとっては高嶺の花である。せいぜい注意を怠らないようにしよう。


空港ターミナル

 11時間30分の飛行時間は長かった。シートベルトを外し、空港ターミナルに降り立つ。少しだけ腰が重く感じられるだけで、体調に異常はなさそうだ。一人安堵の溜息を吐き出した。第一関門、無事通過である。荷物を受け取り、電車に乗って市内に向う。


近く運行が始まるモノレール

空港ターミナルを出て地下のSバーンへ向かう

自動発券機の使い方を教えてもらった

この電車に乗って市内に向かう 

電車の中はガラ空き 

 

◆黒ビールで乾杯!


Intercity Hotel

 今夜の宿は予約済みである。Intercity Hotel(写真右)は、駅舎の一角に建っているのに、予想外に大きな駅であったので、何人もの人に尋ねてようやく辿り着いた。チェックインを済ませたら7時。しかし、未だ陽は西の空に残っており、人通りも多い。街をぶらついてみることにした。 カールス門をくぐり、中心街をゆっくり歩く(写真下)。


カールス門

 


ノイハウザー通りの建物の壁面を飾る少年楽人

ノイハウザー通りの建物の壁面を飾る彫像

マイエン広場の建物

ノイハウザー通りは歩行者天国
フラウエン教会(写真下)、市庁舎などを見学。市庁舎のメインの塔は修理中であり、仕掛け時計の人形が動く場面には出会えず残念であった(写真下)。

ゴシック様式のフラウエン教会の祭壇

等身大の人形が動く仕掛け時計

ホフブロイハウスの看板

 3度目になる家内が、是非にと案内してくれたのは大きなビアホール:ホフブロイハウスであった。歴史を感じさせる室内装飾と規模の大きさは、さすがのものである。
沢山の人で賑わっていたが(写真下)、其の中に割り込んで乾杯する気にはなれなかった。喧噪と人いきれ、室内の蒸し暑さに辟易してしまったからである。それより、風通しのよいマイエン広場のビアホール屋外テーブルでゆっくりしたほうがどれ程良いことか。


賑わうビアホールの内部

ビールで盛り上がる若者たち

万華鏡を思わせるビアホールの天井壁画

ビアホールの歴史を聞く。開設されたのが1589年というから400年以上の歴史があり、世界で一番大きなビアホールであるらしい。

 

 黒い民族衣装を着た元気の良いおばさんが奨めてくれた地元産の黒ビールで、無事の到着を祝して乾杯した。陽は沈み、夕刻の街にネオンが輝き始めた。静かな街の佇まいの中をそぞろ歩く観光客の人種は多様である。全身を黒衣で覆った女性が行く。派手なTシャツ1枚の若い男がすれ違う。民族色豊かな衣装を見ているだけでも退屈しない。改めて、外国に来ていることを実感する。


 

ライン


ホームへもどる
HOME
目次へもどる
目次
次のページへ
次の日