★ 2002 花いっぱいスイスの旅
◆2日目(7月12日) 晴のち曇 目次へ
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【本日の旅程】=ミラノ・マクニャーガ

(◆マークの付いた写真をクリックすると拡大画像が見られます)

 6時、起床。シーツ1枚だけのベッド、寒いような暑いような、変な室温である。昨夜、洗っておいたシャツが乾いていたから、温度が低かった訳でもなかったらしい。
 この部屋は4畳位か。狭いながらもそれなりの設備が整っている。コーヒー、紅茶、居間のテレビ、ジェットバス、バスルームのテレビ、バスローブ、スリッパ、冷蔵庫etc.。

◆慌ただしい朝の観光


ノッポビル

◆エマニュエルアーケード街◆
 6時40分、朝食。いろいろとリッチな料理を4人で頂く。S夫妻は8時15分の列車で出発されるので、ここでお別れ。僕らは、9時10分の列車を予定しているので、それまでの約2時間弱の時間を使って、ドゥオーモの観光に出掛けることにした。
 中央駅の広場からメトロに乗れるというので、その入り口を探していたら、小型飛行機が突っ込んだというノッポビルが目の前に建っていた【写真右・上】。昨年、アメリカの貿易センタービルに旅客機が突入したショックがあまりにも大きなものであったから、此所ミラノでの同じような事件も又、世界中の話題になったものだ。未だその傷跡は、完全には修復されていなかったが、さ程の大事に至らず幸いであった。

 地下鉄への階段をおり、往復切符を買って4っ目のドゥオーモ駅に急ぐ。時間にして10分、地上に出たら、ドゥオーモは目の前であった。しかし、残念なことに、修復工事中であり、その足場に隠されて総ての外観を見ることは出来ない【写真・下】。おまけに、完全な逆光になっていたので尚更であった。観光名所のエマニュエルアーケード街も、未だ目覚めるには時間が早すぎたようである【写真右・下】。スカラ座も魅力ではあったが、時計を見て断念した。
もと来たルートを、そのままホテルへ引き返す。8時45分、チェックアウトを済ませて中央駅へ急ぐ。ジュネーブ行きの列車は、一番はずれの3番ホーム発であった。定刻9時10分、列車は黙って走りだした。
慌ただしい朝の観光であったが、ホテルもドゥオーモも駅までの距離が近くて、本当によかったと思う。

 


◆工事中のドゥオーモ◆

 

◆マクニャーガへ向かう

 アローナを過ぎると、右側に大きなマッジョーレ湖が現れた。間もなくドモドッソーラ着:10時32分。ここからバスに乗り換えなくてはならない。駅構内の観光案内所でバスの時刻をチェック。駅前発12時10分であることが分かった。発車まで時間があるので、駅前のCOOPでバナナ、ジュース、ヨーグルトを買い、駅構内のベンチに座って昼食を済ませた。家内は、駅員も運転手も皆イタリア語しか話さないので苦労したらしいが、用意しておいたイタリア語会話のメモが役に立ったと言う。定刻に大型バスが姿を現し、数人の客を乗せて発車した。

 バスは直ぐに山道を登り始め、谷間の細く厳しい道程を90分かけて標高差1000メートルを稼ぎ、目的地Staffa村に近付いた。窓外に見え始めた家々はスイス風である。次第に雲は厚さをまし、前方に見えてくるはずのモンテローザ山群は雲に隠されているようで残念である。乗客の中に、今夜予約しておいた宿のオーナーの姪だと言う女性がいて声を掛けてくれた。宿まで案内すると言う。バスが停まると、僕らの荷物を抱えて宿まで運んでくれた。お陰で、探す手間も省けて助かった。


ホテルZUMSTEIN

 この宿もS夫妻に紹介して頂いたものであり、安心である【写真左】。オーナーと挨拶。40〜50代の穏やかで感じの良い男性、英語は喋れるがパソコンは出来ないと言っていた。後で、スケッチの適地を案内してあげる、と言ってくれた。案内された部屋は最上階にあり、晴れていればベランダからモンテローザが見えると言うのだが、ともかく今日は望めそうにない。

◆村を散策する


◆村の教会◆

 オーナーが写生地を案内するというので、二人して彼の後に従った。最初に連れていかれたのは村はずれの教会であった【写真右】。S夫人が話していた教会とはこれかな?、と思う。教会の前には、樹齢700年と言う大きな樹があり、この木の実は喉にいいんだ、とオーナーが説明してくれたが、何と言う名前の木か聞きそびれてしまった。
教会の横を抜け、小さな木の橋を渡り小道を辿ると道の両サイドには時代を感じさせる素朴な木造の家々が並んでいた【写真下】。 別荘として使われているらしい家には、読書を楽しむ女性の姿があった。オーナーが指差す板壁には、なる程いくつか絵の具が付けられており、此所を訪れた絵描きたちのサインも残されていた。

 


◆古い家並み◆
 

 オーナーとは此所で別れ、再度、教会を訪ねてみた。塀の中には、沢山のお墓があり、中でも遭難者慰霊の大きなレリーフが目についた。沢山刻まれている遭難者の氏名を眺めながら、この村から多くのクライマーたちがアルプスを目指し、幾多の歴史を積み上げてきたこと、改めて、このイタリア最北の村が、アルプス登山の基地であることを認識した。
 晴れていれば雪山も見えると聞いていたが、生憎の空模様では仕方がない。日暮れまでには、まだ時間があった。せっかく写生道具も持参していることだし、疲れたという家内とも此所で別れ、この小さな教会を写生していくことにした【写真下】

◆教会の見える風景◆

◆見通し暗い明日からの天候


村のセンター
 バス停のある広場が、この村のセンターであり、郵便局や観光案内所、土産品店などが軒を列ねていた【写真左】。観光案内所で天候のことを尋ねた。例年にない雨天続きだと言う。リフトのことも尋ねてみた。モロ峠へのリフトは、明日、途中まで運行されることになるかもしれないが確かではないこと。ベルベデーレ方面へのリフトは、明後日からの運行になる予定だという。天候もぐずつくだろうというし、残念だが期待出来そうにない。少し土産店を素見し、宿に帰って休憩した。

 8時、呼ばれて食堂へ行く。
前菜(スープ又はパスタ)、メイン(鮭又はオムレツ又はハム)、デザート(アイスクリーム又はフルーツサラダ)、そしてワインに水。
 食堂にはイタリア語だけが飛び交い、意外な程沢山の人がデイナーを楽しんでいた。勿論、日本人は僕らだけであったが、共に美味しく頂いた。食事を済ませると、もう何をする元気もなくダウン。遠くに雷が鳴っていた。

 

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