★ 2001 『K2』へ〜 パキスタン(カラコルム)訪問の旅
 ◆ 7日目(9月6日) 小雨 【旅の全体地図】 目次へ
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【本日の旅程】=スカルドゥ・バルトロ氷河・コンコルディア

◆ 2度目のパニック
 気持よい朝のまどろみの中にいた時、ドアを激しく叩く人がいた。ぼんやりした頭でドアを開けたら、K君が居た。彼は、早口に喋った。
 「申し訳ない!予定が変更になったんです。急いで来てくれませんか!もうみんなバスに乗って待っていますから!」
 咄嗟には、彼が何を言っているのか理解出来なかった。それと察したらしい彼は、一息入れて、再度早口で説明をしてくれた。早朝、空軍基地から連絡が入り、「天候が少し不安定なので、急いで事を運ぶことにした。ついては、全員一度に途中の基地まで輸送することになったので、よろしく」と。予定が早くなることは、大歓迎である。慌ただしく、それぞれのコテージに連絡をして、全員急いで出発の準備を整えた。朝食も済ませ最終的にメンバーを確認したら、1人足りない。「岩切さんが居ないぞ!」大騒ぎになったそうだ。頼まれて連絡に走り回ったK君のうっかりミスであった。隣の部屋のSさんは、もともと先発組であったから連絡の必要はなかったらしい。そのこともあって、僕への連絡をウッカリしてしまったらしいのである。
 ともかく、パニクり乍らもこれ以上は急げない早さで身支度を済ませ、靴ひももザックの紐もしっかり結べないままバスに駆けつけた。バスは、すぐに発車した。心配してくれた女性の何人かが、僕の為にお菓子や朝食に出たチャパテイにジャムをつけたものなど、紙に包んで用意していてくれた。さすが、女性らしい優しさの気配りである。嬉しく感謝したが、何も食べたくはなかった。予期しない事態の変化に、身体の調子が少し狂わされてしまったのかもしれない。

8:30 ホテル発。出発が少し遅れてしまったが、これは僕の責任ではない。それにしても「昨夜の取り決めは、一体何だったんだろう!」と、腹立たしく思ってしまう。しかしまあ、「此所はパキスタンである。予定は未定、何でもありの国ではないか!」。愚痴る気持は、さっさと捨てた。バスは、まだ人影もない細い道をノンストップで走った。ヘリコプター基地まで、30分の距離であった。


◆ 平和なヘリコプター基地 9:00 着

スカルドゥの空軍基地
 スカルドゥ(Skardu)空港は、到着するまでそれと分らない草原の中に在った。ゲートもなく守衛も居ないそこには、1本だけ滑走路が伸びていた。広い滑走路に沿ってカマボコ型の大きな格納庫が3つ並び、平造りの細長い建物が2棟並んでいたが、滑走路に人影はなく機影もなく、空港は静まりかえっていた。、此所が、パキスタン空軍のヘリコプター基地であった。【写真左】

 ガイドに案内されて広い滑走路をヘリコプターが発着する地点まで移動していたら、何処からともなく制服姿の兵士たちが滑走路に集まり、朝の点呼が始められた。時計を見ると9時10分であった。この時間から勤務時間が始まるのであろうか。のんびりとした感じを受ける。空軍が我々民間人の輸送にかまっておられるのも、とりあえず平和であるからに違いない。
 「遊んでいるヘリだから、アルバイトしてもいいか・・・」と考えてくれたのかどうか、それは定かではないが、結果としてれっきとした空軍ご自慢のヘリを供用してくれたのである。パキスタンならではの話ではないだろうか。仮に日本の自衛隊でこんなことが行われたとしたら、一体どんな騒ぎになることだろうか。あり得ない話であろうと思う。勝手な話だが、「何でもありのパキスタン」、万歳である。軍用の高性能ヘリを飛ばしてもらえるという幸運に、感謝、感謝である。


◆ 憧れのコンコルディアへ 9:45
 コンコルディアまで一気に飛ぶことは出来ないので、中継地点になるパイユ基地まで先ずは補給用燃料を輸送し、それから我々全員を乗せて飛ぶ、という段取りになっているという。燃料輸送の為朝早く飛び発ち、任務を果たしたヘリコプター(Mi-17)が舞い戻って来た【写真下】。迷彩色を施したヘリは、兵員輸送用の中型であったが、ヒマラヤを飛べるのは、このロシア製ヘリでなくては無理なのだそうだ。いかにも力強そうな太いロムターが頼もしい【写真下】
 関係者全員が、給油を済ませたヘリの前に集合。軍所属のカメラマンが、記念の撮影を行った。いよいよ出発である。
10:40 軍搭乗員4名、アスカリヘリコプター職員3名、ガイド3名、メンバー13名、計23人、全員の搭乗を確認して、梯子が機内に引き上げられ、ドアが締められた。機内には左右に長いベンチがあり、10人ずつ向き合って座りそれぞれ付属のベルトで腰を固定した。機内にエンジン音がごうごうと響き、窓の外に砂塵が舞い上がった。

ロリア製ヘリ

このヘリで出発


◆ 優しさに涙
 映画やテレビ画面で見かけるヘリは敏捷に飛び立つが、このヘリはゆっくりした動きで滑走路の上を垂直に10メ−トル位上昇して後、おもむろに機首をバルトロ氷河(K2)の方向に向けると、次第に高度を上げながら飛行を始めた。広い川の流れに沿って遡った。しばらくすると左右の丸い窓に嶮しい山の姿が見えるようになった。何人もの人が窓を開けて撮影を始める。冷たい風が凄い勢いで吹き込むが、皆さん、そんなことなど、何のそのである【写真下】。この頃になって、体調がおかしいことに気づいた。防寒の備えをしているのにもかかわらず、震えがくる程にやたら寒いのである。両腕でお腹を抱くようにしてうずくまり、襲ってくる悪寒に耐えた。向い側に座っていたNさんが、そんな様子に気付いたらしく自分の赤いヤッケを外して着せてくれた。奥の方に座っていたMさんも毛糸のセーターをそっと膝に掛けてくれた。お二人の優しい心遣いに、涙が滲んだ。

11:21 燃料補給地のパイユ(3,368m)着。
11:25 第一陣(軍搭乗員4名、ガイドのサハジャッド、増田、岩切、白井、細野、貫田、計10名)がパイユ離陸【写真下】

窓を開けて撮影
バイユを離陸→


◆ バルトロ氷河を飛ぶ
 まもなく、ヘリは燃料補給地のバイユに到着した。此所で半数の人を下ろして再び上昇、コンコルディアに向って氷河の上を飛行した。、第一陣に入れてもらうことになっていた僕は、体調も幾分良くなったのでそのまま先に行くことにした。窓には凍れる岩山が、圧倒的な迫力で接近してきた【各写真参照】。僕も窓を開け、懐からカメラを出し、冷たい強風に耐えながらシャッターを押し続けた。36枚のフイルムはアッという間に終わってしまう。デジカメと交互に撮影を続けた。眼下に見えるバルトロ氷河(Baltoro Glacier)は、無気味なまでの荒々しさである。無数のクレバスが口を開け、巨大な氷塊が犇めきあっていた。歩いてコンコルディアに行くには、この氷河の上にルートを探すのであろうか。恐ろしいことである。眼をこらして眺めてみたが、人影を見つけることは出来なかった。


◆ コンコルディアに立つ 11:42
 コンコルディア(4,600m)着陸。麓のあたりでは良かった天候であったが、高度を増すごとに雲が多くなってきた。このままでは、ゆっくりしていることは出来ないだろうと言う。もともと、コンコルディアに滞在するのは、最初から2時間の予定である。高度5千メートルともなると、気圧は低く酸素も平地の半分位しかなくなるので1度エンジンを止めると二度と再び始動する事は出来ないのだそうだ。だから、ローターを廻しながら待機しておられるのは、せいぜい2時間が限度だと説明されていた。その短い時間内で、撮影と写生に集中する予定でいたのだが、この空模様では1時間が限度だろうと言う。早く下山しないと飛行の安全がむずかしくなるので予定は変更する、と宣告された。残念だが、パイロットの判断に従わない訳にはいかない。カメラとスケッチブックだけを抱えて、ヘリから飛び降り、ガイドの案内でビューポイントへ急いだ。
 僕らを下ろすと、ヘリは第二陣のメンバーを迎える為、バイユ基地へと引き返して行った【写真下】

引き返すヘリ

コンコルディアより-1
 着陸地点から20分位歩いた地点から、トレッカーや登山者の為の基地が近くに見えた。煙突からは白い煙が出ており、人の出入りも認められた。時間があれば、立ち寄ってみたいと思った。案内されたビューポイントに立つと、屏風のように聳え立つ8千メートル級の山々が、すぐ眼の前に在った【各写真参照】。だが、沸き上がる雲に隠されて、K2の姿は眺めることが出来なかった。残念だが仕方がない。ともかく時間がない。小さなスケッチブックを抱え込むようにして眼前の山と対峙した。流れる雲にしばしばピークは姿を消したが、その雄大な姿には凄い迫力があって圧倒されそうであった。僕にとっては、今与えられている短い時間と景観が今回の旅のハイライトであり、この時を享受する為にこそプロデュースされた旅といっても過言ではない。寒さも忘れてスケッチに集中した。同行の友人が、そんな僕の姿を撮影【写真下右】してくれたことなど、知るよしもなかった。

コンコルディアより-2

コンコルディアより-3 (ミトレ峰)

スケッチする僕
 「時間だよーっ!」の声が恨めしく聞こえた。踵をかえそうとしたちょうどその時、瞬時ではあったがK2が顔をみせた。時間にして10秒位であったかと思うが、撮影することも忘れて見とれていた。「K2なんだ!」と呟きながら、その姿、しっかり網膜に焼きつけた。その時K2は、胸から下に白い雲の衣を纏っており、幻の山を見るようであった。


◆ K2よ、さようなら
 第二陣の到着と入れ違いに、コンコルディアに別れを告げなければならなかった。もう2度と訪れることはないだろうカラコルムの山々をしっかり網膜に焼きつけた。バルトロ氷河に目をやると、そこに動く人影を見つけた。赤や黄色の目立つヤッケのトレッカーが3人、バラバラに元気よく歩いていた。氷河に接する陸地に細い道らしきルートが切れ切れの紐のように続いているのが見えた。1本の木もなく草地もなく、汚れた氷塊がひしめき会うバルトロ氷河を見下ろしていると、ヘリに運んでもらって楽している自分が情けなく思われてきた。悔しくもあり、申し訳ない気持にもさせられてしまった。コンコルディアまで、歩けば1週間の厳しい道程であることを承知しているからなお更である。


◆ 3度目のパニック
 無事、バイユ基地へ帰ってきた。ウソのように、此所は穏やかに晴れていた。コンコルディアでは用心し過ぎたのではないのか。今頃は、天候も回復して、もっとゆっくり出来たのではなかったのか、ああ、せめてあと30分は留まっていたかった・・・などと思ってしまう。第二陣が戻ってくるまでの時間、写生に取り組む。カメラのカウンターを見たら、[35]になっていた。残り2枚を撮ってしまおうと思い、写生した山を撮影した。記念に基地の建物も撮影し、人物のスナップも撮った。「おかしいな?」ふと、不安がよぎった。改めてカウンターを見ると、[38]になっていた。「変だぞ!」悪い予感に背筋が凍った。恐る恐るシャッターを押したら、当たり前のようにカシャリと下りた。39枚撮ってなおフイルムの巻き戻しが作動しないということは・・・、第一に考えられるのはフイルムが噛んでいなかったということだ。つまり、1枚も撮影出来ていなかったということだ!。何と言うことだろう!全身の力が抜けてしまう思いがした。肝心要の最も大切な景観の撮影に失敗してしまうなんて・・・茫然自失である。手馴れたはずのフイルム装填に手違いがあったのに違いない・・・今さら、どうすることも出来ない口惜しさと惨めさに、しばし落ち込んでしまった。
 プロカメラマンのN氏が同情して、もう一度シャッターを押した。カシャリと音がしてカウンターは[40]になった。「特別に長いフイルムだった、ってこともあるんじゃないの・・・」と慰めながら、もう一度シャッターを切った。ところが、そこで自動巻き戻しが作動を始めたのである。少なくとも、空撮りではなかったことが分って、少しだけ、元気を回復出来た。最小の被害で済むことを祈るだけである。(帰国して、現像してみたら、フイルムの送りにトラブルがあったらしく、撮影された画像はすべて不規則なパターンで重なっていた。期待も空しく、1枚として完全な画像はなかった。その後カメラは正常に動いており、何故なのか、原因は分からない。)

14:28 第二陣パイユに戻る。
15:28 パイユ発
16:08 スカルドゥ着
16:20 ヘリコプター基地発
16:48 ホテル帰着

体調不良が続く。熱はないがお腹にきたらしい。夕食は、控えめにして整腸剤を飲んでおく。
 (シャングリラ・リゾート・スカルドク泊)

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