★ 2001 臼杵・国東半島の旅
 ◆ 3日目(3月9日) 【旅の全体地図】 目次へ
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【宇佐市内地図】
【本日の旅程】=別府観光→宇佐市内観光(大分県立博物館、東光寺)→福岡→(空路)→羽田

 今日も朝から友人U夫妻がホテルまで来てくれた。早速今日の行動を相談する。僕の希望は、まず湯布院を訪ね、雪化粧をしているだろう由布岳を描かせてもらい、出来たら小京都ともいわれる日田の町も観光して、特急『湯布院の森号』に乗車、夕刻福岡空港に帰るというものであった。
 今日は幸い朝から晴れである。しかし、昨夜までの降雪で湯布院方面はチェーンなしでは走れないという。目覚めた時から眺めていたのだが、西に居並ぶ山々に張り付いた厚い雲は、いっこうに離れる様子がない。無理をして近付いても、由布岳を眺めることは難しいかなーーと思われた。だから、その案は放棄した。代わって、U夫妻に別府と宇佐を案内してもらうことになった。


◆ 別府観光
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十文字原展望台より;別府の街を一望する
 U夫妻が、最初に案内してくれたのは、テレビ塔の建つ高台・十文字原展望台であった。途中、山腹で湯の花を採取している明礬地獄を見学して、その後、より展望のきく展望台まで登ってみたのである。期待通り此所からの展望は素晴らしいものであった。別府の町が眼下に一望出来た【写真】。別府湾を挟んで右手方向にお猿の住む高崎山が望まれ、左手方向には昨日訪ねた国東半島が大きく霞んで見えた。条件がよければ、四国も見えるということであったが、今日は霞んでいて果たせなかった。強風に飛ばされないよう帽子を押え乍ら、友人のガイドに耳を傾けたが、なにしろ寒い。後を振りかえって山並を見たが、雪雲は変わらず貼りついたままであった。しかし山麓方面には、暖かい山肌を見せて扇山が近くに見えた。その山裾にU夫妻の邸宅が在る。湯煙の立つそこいらの眺めに親しみを感じて、この風景を描かせてもらうことにした【水彩画の完成作品はこちら】。その間、5人は友人の車で地獄めぐりをしてもらうことにした。
 此処は普段の日でも強く風の吹く処らしいが、今日は格別の寒風である。こんな時には車に大感謝である。急いで8号の画面に写生を始めた。彩色をしようとしたら、何としたことか粉雪が舞い始め、扇山も次第に霞んで見えなくなってしまった。気紛れな山の天気、うっかりしていた。消えていく風景を呆然として眺める。残念無念である。せめて最初に写真に撮っておくのであった! 時間の余裕もなく、もはや後の祭りであった。


◆ 宇佐観光へ

 今日は約束の時間に遅れることもなく、無事5人と合流することが出来た。時間を有効に使う為、宇佐市まで高速自動車道に乗る。走る車は極めて少なく快適に走った。およそ30分、1100円の通行料を支払って一般道に出た。此所でも車は少なく、渋滞なんて考えられない。それに引き替え、渋滞が日常の東京はやはりクレイジーであるとつくづく思う。
 市内の大きな店構えの老舗でウナギ料理を賞味した。東京のそれとは大分趣きを異にして、鰻はしっかり歯ごたえがあり、たれは甘く、御飯の量は多めであった。勿体無いとは思ったが、少し残してしまった。


◆ 大分県立歴史博物館  【宇佐市内地図はこちら】
 腹ごしらえが出来たところで、大分県立歴史博物館を見学した。それは古代の歴史を今に留める広々とした郊外に建てられてあった。玄関を入ると正面に熊野磨崖仏が実物そっくりに作られ展示されていた。右側奥には富貴寺大堂が、これも実物大に復元されてあったのには驚かされた【写真】。内部の装飾、欄間の人物群像なども作られた当時はかくやと思われるリアルさで再現されていたので、昨日見た実物とイメージを重ねることで、より理解を深めることが出来たように思う。歴史博物館と銘打つだけに、展示されている内容は精選されたものであり、それらはしっかり整理され、解りやすいように展示や解説に工夫が凝らされてあった。時間が許せば、もっとゆっくり見学していたいと思った。

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富貴寺大堂 模型
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当時の古墳の周辺を再現した模型

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六郷満山に伝わる 福を呼ぶ鬼面

 明るいロビーの外は草原であった。その草原には古代に造られた前方後円墳の姿が在った。それは若草色に染められたお椀のような、愛らしい形の古墳であった。館内にはその古墳の周辺を再現した当時の模型【写真】も造られてあった。居ながらにしてタイムスリップすれば、ガラス窓の向こうには古代の人々が動いているのである。きれいに区画された畑には、素足にぞうりの農民が仕事に精を出していた。その模型にも刺激されて、イメージは現実の古墳と古代の景観とが重なりあい、しばし不思議な体験を楽しんだ。


◆ 五百羅漢(東光寺)
 残された時間を睨みながら、「宇佐神宮と五百羅漢、両方見るのは無理だと思うよ。宇佐神宮を希望するなら、駆け足になるかな・・・?どうする?」友人に聞かれて、宇佐神宮は諦めることにした。ゆっくり羅漢さんに会ってみよう。
 うららかな午後の日差しをあびながら、たんぼの中の細い道をのんびり走った。小さな集落の中に五百羅漢がある東光寺を見つけるのには、ちょっと手間取ってしまった。集落はひっそりとしており、お寺には人の気配すらなかった。白い梅の花咲く参道を辿り、朽ちかけた木戸を潜るとすぐそこに、なにやら賑やかに羅漢さんたち、全員こちらを向いて並んでおられた。正確には542体だそうだが、重なり合うように斜面の雛壇に横並び、一人一人違った個性の羅漢さんたちは、その表情の豊かさが魅力である。笑い顔、悩む顔、思索に耽る顔、怒り顔・・・これだけ沢山居並ぶと、自分に似た羅漢もおられるように思われ、しみじみとした親しみを感じてしまう。埼玉県・川越で名高い喜多院の五百羅漢像と比べると、総じて小型であり明るい表情の羅漢さんが多いように思われた。
 西に傾きつつある日差しを正面に受けて果てしなく続く羅漢さんたちの静かな賑わい、もうしばらくその場に居たいと思ったが、お別れの時間が迫っていた。 

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東光寺の五百羅漢


◆ レンタカー(業者)への不信
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お世話になった トヨタ・ヴイッツ
 お世話になったレンタカーを、宇佐駅で返す。通常、レンタカーは満タン状態で借り受け、満タンにして返すしくみになっている。最も近いと思われるスタンドで満タンにし、満タン証明書を書いてもらったら、19リットルであった。走行距離は227キロメートル。計算してみると、リッター当たり12キロ弱しか走っていないことになる。ちなみにレンタカーは排気量1000ccの小型車であり、まだ新車の香りすらするものである【写真】。しかも、決して無謀な運転はしていない。僕が普段使用している車は2800ccであるが、それでも燃費はこんなものである。どう考えても、納得のいく数値ではない。事務所のおじさんに聞いてみた。「この小型車は、この程度にしか走れないのですか?常識的には20前後は走れると思っていましたがねぇ、12キロも走れないなんて信じられないですよ。」「そうですよね・・・」おじさんは困ってしまった。別府の事務所に電話してレンタル時点のメーター数値を確認した。間違いはなかった。僕の走った走行距離もこんなものであり、積算距離計に間違いはないだろうと思う。結論としては、エンジン性能が悪いか、僕の前に使った人が満タンにして返さなかったか、返したとすれば、針が動く寸前まで業者で使ったか、いずれかであろうと思う。今さらどうすることも出来ないので、それ以上おじさんを困らせることはしなかったが、レンタカー(業者)に対する不信を持つことになったのは、残念なことである。借り受ける時の燃料計の針がたとえ満タンを示していても、そのまま信じてはいけないと言うことではないだろうか。何故なら、永年の経験から言えることは、満タンの針が動き始めるのは(車種により違いがあるだろうが)、ある程度走行してからであるからだ。


◆ 帰途につく
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特急『ソニック』号
 友人夫妻とは、宇佐駅前でお別れした。丸々2日間、僕らの為に総てを投げ打ち誠意の限りを尽くして案内してくれた夫妻に対して、特に感謝の言葉など見つからない。唯一言「ありがとう」の言葉に感謝の気持を込めた。彼等の車が国道10号線を左折して消えるまで、僕らは手を振って見送った。
 時間通りにやってきた特急『ソニック』【写真】に乗車、満席に近かったが、座ることが出来て幸いであった。来た時と同じルートを終点博多駅まで約1時間40分。さすが博多は九州一の都会である。東京と変わらぬ賑わいをみせていた。駅の外に出る余裕はないので、駅の名店街で軽く夕食を済ませた。

 福岡空港20:35発、JD322便は満席の乗客を乗せて離陸した。21:50、羽田空港には予定より10分早く到着した。お陰で池袋からの終電には余裕を残して乗車、無事帰宅することが出来た。(終り)

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