★ 2001 臼杵・国東半島の旅
 ◆ 1日目(3月7日) 【旅の全体地図】 目次へ
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【本日の旅程】=羽田→(空路)→福岡→臼杵石仏訪問→別府(泊)

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 8:30、羽田を飛び立つ。10:35、予定より20分遅れて福岡空港に着陸。JR博多駅までは地下鉄で2駅の近さであった。お陰で11:05発の特急ソニック17号に乗車することが出来た。終点、大分駅で日豊線に乗り換え、14:04臼杵駅で下車。まずは臼杵石仏を訪ねることにした。


◆ 黄砂
 日本全国、寒の戻りで真冬の気候だという。春の陽気を期待していたので、冷たい風が殊更に肌寒く感じられ、寒風に震えながらの観光になった。駅前からタクシーに乗った。天気は晴なのに、大気は霞み太陽光にも力がない。山並も黄色く霞み、まるで生気のない冬景色である。運転手がぼやいた。「今年の黄砂はひどいね。雨が降ると車は汚れるし困ったもんだよ・・・。」この時期、毎年大陸から海を越えて運ばれてくる黄砂は、九州全土を覆っているらしい。「東京には飛んでこないよ」と云ったら、意外そうな顔をしていた。黄砂は日本全土を覆っていると思っていたらしい。


 
◆ 臼杵石仏(うすき せきぶつ)  【臼杵市内地図はこちら】
 臼杵石仏は、磨崖仏(まがいぶつ=崖の岩石を磨き彫って作られた仏像)では日本初の国宝に指定されている遺産である。
 平安時代から鎌倉時代にかけて彫られたといわれる60余体の石仏群は、およそ千年の風雪に耐え、ひたむきな信仰のあかしを今に伝えてくれている貴重な文化遺産である。戦後、ようやく特別史跡として保存・修復がなされるようになり、国宝に指定されたのは平成7年のことである。これによりいくらかは長生き出来ることになったが、いずれ風化されていく運命には変りないだろうと思う。

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↑久品の阿弥陀像     阿弥陀像→

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山王山石仏(隠れ地蔵)
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阿弥陀三尊像

 実は20歳代の頃、臼杵石仏を訪ねたことがある。これで2度目になるのだが、思えばおよそ40年の年月が経過してしまっている。石仏群の中で最も秀逸と評価されている大日如来像【写真】に再会して感じたことは、以前に比べて色褪せてしまった、ということであった。その分風化が進んだのだなとの思いを深くした訳である。当時は、崩壊が進むそのままの姿が保存されており【写真】、頭部だけが台座に置かれてあった【写真】。色々議論はあったそうだが、平成5年、頭部は元の胴体に返されることになったという。以前の強いインパクトはなくなったが、やはり本来の姿にかえった如来像の方が、威厳も備わり表情も優しく見えるようでよかったと思う。少し斜めの角度から見上げる構図で描かせてもらう。冷たい風に吹かれて寒かったが、淡彩で1枚仕上げる事が出来た【写真】

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←以前の臼杵石仏    ↑40年前の臼杵石仏

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台座に置かれていた頃の
大日如来像頭部
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頭部が元に戻った
現在の大日如来像
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水彩で描いた
”大日如来像”


◆ 思し召し?
 絵を描き始めて、バスの時刻を忘れてしまった。3人が待っている山麓のバス停に辿りついたら、誰も文句を云わず「バスは5分前に発車したよ」と云う。タクシーを呼んだとしても予定した列車の時刻には間にあいそうにない。寒風吹き荒ぶ路上でドジを嘆いていたら、運よく空のタクシーがやってきた。運転手に相談したら、何と一つ大分寄りの『かみうすき駅』まで走ってくれて、予定の列車に乗り込むことが出来た。しかも一駅分安上がりの料金ですんだではないか。思わず「ラッキー!」と喜び合ったが、若しかして、大日如来様の思し召しであったのかもしれない。何故って、時間も寒さも忘れ、心をこめて如来様の肖像画に打ち込んだのだから。


◆ 乗車賃を忘れたおばさん
 1本しかないホームに間もなくやってきたのは2輌連結のワンマンカーであった【写真】。大きな窓で明るい車内は、広々としておりいかにもローカルという雰囲気である【写真】

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 ←日豊線のワンマンカー  その車内↑

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開放的な運転室
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運転室横の車窓から

 運転手が車掌を兼ねており、停車するたびに車掌となって出入り口に立つ。おばさんが車掌に相談した。「うっかりお金を忘れてしもうた、明日も乗るから、お金はそん時でもいいかね?」車掌は少し困った顔をしたが、直ぐにニコニコしながら「そうだね、ほんとはいけないんだけど、明日そう云って払って下さいよ。」「悪いね・・」と云い乍らおばさんは嬉しそうに笑った。そのやりとりを横で見ていた4人の中学生と思える女の子の一人が、「おばさん、私が貸してあげるよ。◯◯ちゃんのおばさんでしょ?」「あーらーそうかい。それじぁ◯◯からお金受け取ってねぇ、ありがとねぇ!」。運転手もおばさんも娘たちの笑顔も、みんな爽やかであり僕には眩しくさえ思えてしまった。此処では何でもない日常のヒトコマなんだろうと思う。しかし、そんな場に立ち会えた嬉しさに僕は心のときめきを感じていた。おばさんは、借りた200円を料金箱に入れると、手を振り乍ら列車から降りて行った。

 今夜の宿は、ホテルサンバリーアネックス別府駅に迎えに来てくれたマイクロバスに乗り込みホテルへ向う。乗客は我々4人だけであった。

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