★ 2001 新春ネパールの旅
ネパール国旗  ◆ 4日目(1月16日) 【旅の全体地図】 目次へ
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【ポカラ周辺地図】
【本日の旅程】=ポカラ→ルムレ→(トレック)→チャンドラコット(テント泊)

◆ ペワ湖の朝
 6時半、ペワ湖<Phewa Tai>から夜明けのヒマラヤを眺めてみたいと思い、予約しておいたボートに乗ると薄暗い湖上に漕ぎ出した。水面にはペワ湖名物の朝霧が立ちこめており、幻想的な静けさに包まれた湖は未だ眠りから醒めていなかった。その静寂に気配りをし乍ら、漕ぎ手は音を立てないように静かに湖面を移動した。  

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朝霧立つペワ湖
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夜明のアンナプルナ・サウス遠望

 7時頃、アンナプルナ・サウス<Annapurna South;7219m>が輝いた。未だバイオレットグレイの空に山全体がピンクに輝く雪山アンナプルナは、まことに壮麗で美しいものであった。薄く霞みがかかってしまい、期待していた透明感はなかったものの、その美しさはそれなりに魅力的であった。しばらくして、湖面に朝陽が昇った。湖面をオレンジに染め乍ら輝きを増していく朝陽に向って、帰途につく。朝陽を背にして湖上を行くボートのシルエットは、とても心ときめく眺めであった。

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ペワ湖に昇る朝日
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湖上のボートのシルエット


◆ ホテルにて  【ポカラ周辺地図】  
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ホテルのロッジ
 午前中は自由時間だと言うので、湖を近景にしてアンナプルナとマチャプチャレ<Machhapuchhare;6993m>の展望を8号の画面に水彩で写生した。気温が高い所為であろう、遠景は霞んでしまっており、カメラにはうまく映らないに違いない。
 午後から始まるトレッキングに備えて、ポーターにお願いする荷物と自分で担ぐ分とを仕分けした。靴はトレッキング用に履き替え、ストックも用意した。
 集合時間まで、ホテルの敷地内を散策する。宿泊用の建物は全て木造平家であり、8室位が一つの円形集合体に造られ、敷地内にゆったりと散在している【写真】。小鳥のさえずりが心地良い。庭内を歩く人も皆ゆっくりした歩調であり、とても静かである。すべてが自然と無理なく調和しているように思われ、いかにも心休まるリゾート施設であると思った。

◆ 筏の渡し
 ホテルは湖で隔てられており、宿泊客は筏に乗って渡るしか他に方法がない。筏はドラムカンを浮きに利用して、その上に板が張られてあるだけの素朴極まりない代物で定員は10名。静かにバランス良く乗らなくては危ない。水面は静かであるが、水深は20メートル以上あるという。なのに、掴まる手摺もロープも何もないのである。日本ならば、決してまかり通る話ではないだろう。
 両岸に張られているロープをホテルの職員が手繰りながら移動する【写真右】。しかも24時間営業であると聞いた。橋を架けようとすれば容易に可能な距離ではあるが、このホテルはあくまでも筏の渡しにこだわり続ける。此所での時間は、ゆっくりと経過しなくていけないからであろう。
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ホテルへ通ずる筏の渡し→


◆ チベット難民キャンプ
 11時、それぞれトレッキングに備えた歩きやすい姿で全員集合。バスに荷物を積み込むと、元気に出発した。トレッキングのスタート地点:ルムレまでは車で行くことになっているが、ルートの途中にチベット難民キャンプが在るので、少しだけ見学してみることになった。
 中国から故国を追われた大勢のチベット人が、難民として国外に逃れ出たのはほぼ40年昔になる。彼等はネパールのいたる所に難民村を作っているが、ガイドの話によると、今ではネパールで最も自由で豊かな生活を過ごしている人たちであるらしい。つまり、世界中からの同情と資金が寄せられている所為だと言うのである。なるほど、村には立派な寺院や建物が建ち、広場では若い僧侶たちが踊りの練習をしていた【写真】。隣接して小学校もあり、校庭では制服姿の子供たちが元気に遊んでいた。年老いた村人は、明るい表情で観光客目当ての商売に励んでいたし【写真】、達者な者たちは、チベット独特の伝統工芸品や手作り装飾品・土産品などを担いで観光客の集まる所へ行商に出かけているという。チベットと言えば絨毯が有名なので、見学を希望する人がいた。しかし、今では効率悪いこの仕事は敬遠され後継者の育成もままならないのが現状だそうで、作業場はお休みであった。
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チベットの若い僧侶たち
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チベットの露天商


◆ ルムレからチャンドラコットへ  【トレッキング案内地図】  
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ルムレ風景
 1時半、バスはルムレ<Lumle>に到着した。我々をサポートしてくれるスタッフが待機していた。サーダーとシェルパ2名、ポーターが4名。総勢26人だそうだが、大半はすでにそれぞれの仕事を果たすべくキャンプ地に向って出発していた。残っていた4人のポーターが、我々21人の荷物を担いで行くという。一人で5人分、凡そ30〜40キロの重さになるはずである。その内2人は若い娘であった。誰からともなく“ホーッ!”と感嘆の声が洩れた。
 尾根筋の見晴らしの良いこの場所で昼食をとる。ポカラにある日本食食堂で調達してきた「おにぎり弁当」は、なかなかのもの。皆、美味しそうに食べていた。その間に、ポーター4人は荷物をまとめ、一足先に出発していった。
 ルムレは、狭い尾根筋に寄り添うように並ぶ小さな集落である。陽の当たる斜面には緑の麦が育ち粟の黄色い花が目に鮮やかであった【写真】。斜面に散在する民家の庭には、黒い牛と共にのんびり語り合う村人のくつろぐ姿があり、その上空にはゆったりとしたアンナプルナが望まれた。細い道に面して、午後の陽差しを一杯に受け乍らミシン仕事に精を出す村の仕立て屋さん【写真】。カメラを向けたらご主人は姿勢を正し、奥さんは俯いて針仕事を続けた。側では幼い子供が遊んでおり・・・其処には、そっと過ぎゆく風の音が聞こえるだけの静けさがあり、のどかで平和な生活そのものを見る思いであった。

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ルムレの家並み
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村の仕立て屋さん

 ルムレから1時間も歩かないうちに、チャンドラコット<Chandrakot>に到着した。すでに青いテントが張られてあり、炊事場からは煙が上がり、キッチンボーイが忙しく立ち働いていた。自分の荷物を受け取り、ゆったりサイズの2人用テントで休息をとる。家内には、テントで夜を過ごすのはこれが初体験となる。遅ればせ乍らも、新鮮な思い出になることであろう。夕食時まで自由。僕らは御馳走が出来上がるのを待てばいいだけである。山に来てこんな楽をしていいのだろうかと思ってしまうが、これがネパールトレッキングの贅沢さであり、大名登山ともいわれる所以である。近くの展望所に行き、日没を待った。
 ほんの僅かの間だけであったが、雲間にマチャプチャレが朧な姿を見せてくれた【写真】。陽は静かに西の稜線に沈み【写真】、あたりは急速に冷えこんでいった。
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←残照・雲間のマチャプチャレ遠望   ↑日没風景


◆ 夜警
 「今夜は、シェルパたちが徹夜で警護してくれるから、安心して休んで下さい」と、ガイドのラジブが言った。テントを狙う泥棒がいるからだと言う。そしてこの数年ネパールでは、マオイストと呼ばれる極左反政府組織の活動が活発化しており憂慮されている。日本山岳会の機関紙によると、最近その動きは激しさを増してきているらしい。この国に限らず、どこにも泥棒はたくさんいる。しかし、このマオイストは思想と武器で武装し組織として暴威を振るうので事は深刻である。昨年9月には、マナスルを目指したスペイン登山隊が200人ほどのマオイストに襲われ、金品・装備を奪われ遠征中止を余儀なくされている。中西部では村の要人、非共産党幹部が暗殺され、ラムジュンでは警官8人が殺された。カトマンドゥー市内でも、活動資金調達を目的として、金品強奪の事件が激増しているらしい。最近、市内の国内企業はもとより、外資系企業に至るまで、マオイストに献金せざるを得ない状況であるともいう。かってののんびり平和な日常生活も、次第に脅かされつつあるらしいのである。ネパール大好きの僕としては、まことに残念極まりないことだし、耳を被いたくなるような話である。当然、山中を旅する金持ち日本人トレッカーはより大きな危険に曝される訳であり、安心して休むことが出来なくなっているのが現状である。
 僕の友人:熊谷榧さんが98年に出版した『K2からカイラスへ』の中で、(聞き書き)として次のような話を紹介している。
 アンナプルナ周遊コースでのこと。〜『明け方「とられた!」という大声で全員が起きる。赤紫のテント生地がスパッとナイフで一メートルほど切られ、二箇所ほどさぐりの傷もある。ドイツ製ハッセルブラッドのレンズとカメラ(百万円もするとのこと)が盗まれている。とられたとき気づいたら命が危なかったかも。×××』〜
後日談だが、この泥棒は逮捕され牢獄に入れられたそうだ。しかし出所が許されたら、今度は強盗殺人事件を起してしまい再度牢獄につながれていると言う。何とも、恐ろしい話である。
 勿論、ガイドは我々に心配させるような話は一切しなかったが、複数のスタッフが徹夜で警護をしてくれたのには、そうした裏事情があったからである。

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