★ 2001 南イタリアとシチリアの旅
イタリア国旗  ◆ 8日目(4月4日) 【旅の全体地図】 目次へ
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【シチリア島地図】
【本日の旅程】=タオルミーナ→シラクーサ(泊)

 今朝はゆっくり過ごし、タオルミーナとの別れを惜しんだ。
今日からのシチリア観光をサポートする現地ガイドは、日本人女性であった。この島に定住して20年、ローマに3年、23年のキャリアをもつ方でヨウコさんと言う。若くはないが、スマートで飄々とした明るさを漂わせる人柄には親しみが感じられた。
 10時、シラクーサに向けて出発。バスは海岸線に沿って南下した。

◆ シラクーサ<SIRACUSA>
 シチリアで最も美しい街だと言われている。古代にはアルキメデスを生み、もっとも輝かしい歴史を持つ街でもある。街の中央広場には、この街のシンボルであり守り神でもある象の彫像が建てられていた【写真】。広場を囲むようにして中世の建物が並んでいたが、そこに栄華を誇った頃の美しかったであろう面影を垣間見ることが出来たように思う【写真】
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◆ 天国の石切り場
 歴史的遺産を保護するため、考古学公園として国が管理している広大なエリアの中の一つが、古代の石切り場遺跡である【写真】。ガイドのおじさんが、日本語で紹介した。「ココガ、天国ノ石切リ場デース!」。シラクーサの街の建設は、すべてこの石切り場から切り出された石によって造られたのだという。この地帯は広範囲にわたって石灰質の岩盤で出来ているのだそうで、地表に眺められる岩山も凄いけれども、地下に隠れている岩石の大きさは想像を絶するものに違いない。地下に向って掘り進んでいった入り口が、幾つか見られたが、その中の一つがディオニソスの耳叉はロバの耳と呼ばれている洞であった【写真】

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天国の石切り場
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ディオニソスの耳(ロバの耳)→

◆ ディオニソスの耳
 耳の穴にも似た漏斗状の洞窟は、その独特な形状によって音の増幅効果が大きく、小さな音でも反響されて特異な音響効果を生むのだと言う。その特異性によるおぞましい史話も幾つか語り継がれているようだが、この場では触れないことにする。この洞はロバの耳とも言われているが、ディオニソスの耳とは、ルネッサンス朝の天才画家カラヴァッジョが名付けたものだそうだ。(ディオニソスは、シラクーサの専制君主の一人。常に部下の謀反と殺害の恐怖に怯えていた人物として最も有名な男である。)
 ガイドのおじさんが洞窟に一人姿を消し、『オーソレミオ』を歌ってくれた。入口に佇む僕らの耳に、それは朗々たる響きで聞こえてきた。拍手、拍手。おじさんが「誰か日本の歌を聞かせてくれないか」と言った。薦められて女性が一人洞窟に入った。やがて滝廉太郎の曲:『荒城の月』の調べが、静かに心に沁入る清らかさで流れ出てきた。誰もがうっとりと聞き惚れた。拍手、拍手、拍手。アンコールの声がかかり、今度はご主人と二人で、弟2のイタリア国歌と言われる『ナブッコ』を原語で歌われた。ガイドのおじさんもびっくり、やんやの拍手喝采であった。思いもかけない心ときめく一時を持てて、とても嬉しく思った。お二人にとっても、忘れられない旅の思い出になることであろう。ちなみにお二人は、地元の合唱団でご活躍の方々であった。


◆ ギリシャ劇場
 石切り場の隣がギリシャ劇場であった【写真下】。規模としては、シチリア最大のもの。驚いたことに、石灰岩で出来ている自然の丘を直接堀下げて造られたものであった。それは直径139mの半円形に、見事に機能的かつ立体的に造られてあった。タオルミーナの劇場と同じように、観客席の正面が海。海面から吹き上がって来る風の音響効果を計算にいれた設計である。創建は紀元前5世紀。ここシラクーサはアテネアレクサンドリアと並ぶ演劇のメッカであったらしいが、現在でもこの劇場で2年に1度古代劇が上演されているそうである。海風に吹かれ乍ら星空の下、ギリシャ悲劇や喜劇を観賞する人々のことを思う。同席出来ないのが残念である。

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ギリシャ劇場
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ニンフの洞窟→
◆ ニンフの洞窟
 ギリシャ劇場最上段の後ろをテメニテの丘と言うのだそうだが、此処にはたくさんの洞窟が並んで在った。これらがこの丘の最上部を占めているのだが、その中の一つの洞窟には清水が滝のように流れ落ち【写真上】、水は四角い水盤から溢れ出して水路を音たて乍ら流れていた。これはギリシャ式水道であり、現地ガイドの話によると、かってはこの洞窟には女神たちの像が飾られてあり、この水で腐乱させた死体から骨だけを洗い出し、それを改めて埋葬するための神聖な作業場であったと言う。


◆ ヒエロンの祭壇

 ギリシャ時代、ヒエロン二世が造ったと言われる祭壇で、現存する遺跡の中では最大のもの。つまり生贄を捧げる為に造られたものであり、400頭の牛がこの祭壇で焼かれたと言う。この祭壇も岩盤を掘り下げて造られたものであり、上部の建造物は1700年代、スペイン人によって破壊されたそうだが、岩盤で出来たこの土台は如何とも出来なかったのであろう【写真下】

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オルティージャ島
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ヒロエンの祭壇→
◆ オルティージャ島 <Ortigia>
 シラクーサ発祥の地であり、シラクーサが最も栄えた時代の中心が、このオルティージャ島であったらしい。ここの旧市街が当時の面影を最も色濃く残している地域だそうだ。長崎の出島と同じように海上に建設された石造りの街であり【写真上】、現在は大きな橋で内陸と繋がっている。2時間ほど街を散策した。


◆ アレトゥーサの泉

 海岸に沿った散歩道【写真】を島の先端に向かって歩いた。岸壁には遊覧船や漁船、貨物船も係留されていた。美しいイオニア海<Ionian Sea>の波に若人達が水着で戯れており、澄み切った海水には小さな魚影が群れていた。15分位歩いた所にアレトゥーサの泉があった【写真】。川の神アルフェウスから逃れようと、妖精アレトゥーサが泉となったと言い伝えられている伝説の泉である。海岸のすぐ側にあるのに何故か湧き出ているのは清水だそうで、そこにはパピルスが自生し、沢山の鯉が泳ぎ、白いアヒルたちが遊んでいた。ギリシャ神話が趣きを添えてくれるからか、ロマンティックな眺めに思えてくるから面白い。

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海岸に沿った散歩道
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アレトゥーサの泉


◆ ドゥオーモ広場
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 考古学地域に指定されている街の中心に向かってブラブラ。広場は中世の建物で囲まれていた。沢山の観光客の行き交う石畳に座り込み、建物の写生に取り組む学生たちの姿があった。中には仰向けに寝ながら写生している男子学生もいた【写真】。聞けば、建築家を目ざしていると言う。その学生が描いていたドゥオーモを訪ねてみた【写真】

 内陣にはサンタ・ルチアの白い像があり【写真】、肖像画も飾られていた。サンタ・ルチアはシラクーサの守護聖人である。殉教したルチアが処刑の真際に自らの美しい瞳をえぐり取ったことで、視力の守護聖人ともなっている。彼女に願いを叶えてもらいたい人々が、彼女の足をさするのでその部分だけが色も変わりすり減っていた。そして、彼女の遺骨(手の部分だけ)【写真】が、大切に保存されており公開されているのには驚いてしまった。ニンフの洞窟でもそうであったが、頭蓋骨や骨を大切に保存し敬意を表するのが、この島での習わしのようである。ドゥオーモを後にして、旧市街の細い道を歩いていたら、偶然サンタ・ルチアの生家を発見、現地ガイドまでがびっくりしていた。

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ドゥオーモ
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サンタ・ルチア像
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サンタ・ルチアの手(遺骨)

 再び、橋を渡り、駐車場で待っていたバスで一息ついた。途中一度も腰を下ろす機会がなかったし、石の上ばかり歩いてきたせいか、足腰に疲れを感じた。新市街でパピルスの工場を見学したが、見学は口実であり、パピルスによる商品を売らんかな、の土産店であったように思う。そこから今夜の宿:PALACE HOTEL HELIOSまでは、ほんの20分余り。郊外に建つ何の趣きもない新しいホテルであった。


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