★ 2001 南イタリアとシチリアの旅
イタリア国旗  ◆ 6日目(4月2日) 【旅の全体地図】 目次へ
目次
前の日へ
前の日
次の日へ
次の日
【シチリア島地図】
【本日の旅程】=コセンツァ→ヴィラ・サン・ジョヴァンニ→(フェリー)→タオルミーナ(泊)

 6日目にして、初めて快晴の朝を迎えた。イタリア半島の旅は午前中で終り、午後からシシリー島へ渡る。今日は、今回の旅の折り返し点である。


◆ コセンツァ <Cosenza>
写真をクリックすると拡大画像が見られます
メイン通り沿いの花壇
 9時、ホテルを出発。コセンツァの旧市街を訪ね、一時間あまり自由に散策した。とはいえ足の工合、昨日に比べて大分回復はしてきたもののまだ杖を頼りの歩きである。
 コセンツァは、12世紀頃繁栄した町で、イタリア半島南西部において芸術や宗教の分野の中心になっていたそうだ。他の都市と同じように、旧市街と新市街とが共存しており、旧市街の歴史的文化遺産の保存には力を入れているように思われた。狭い路地のままの旧市街には車を置くのも困難なのに違いない、近くの道は車が溢れて混雑していた【写真下】。メインの通りに造られた花壇には、シクラメンの花が惜しげもなく植え込まれてあり、とても美しかった【写真】。中世都市では、常に町の中心となるドゥオーモを訪ねた。町の人に尋ねたらみんな親切に教えてくれた。12世紀に建てられたそれは今も健在、周囲には中世の面影が色濃く残されたままであった【写真下】。時間がないので周囲の佇まいを眺めただけで引き返した。細い石畳の坂道を、滑らないように杖を突きつき歩くのは、なかなかに疲れることであった。

写真をクリックすると拡大画像が見られます
旧市街へ向かう
写真をクリックすると拡大画像が見られます
コセンツァの旧市街

◆ ヴィラ・サン・ジョヴァンニ
  <Villa S. Giovanni>

 此処は、シチリア島行きのフェリー・ボートが発着する港町である。小高い丘の上に建つレストランで昼食をとった。庭から、メッシーナ海峡<Stretto di Messina>を隔てて、シチリア島が近くに見えた【写真】。メッシーナ海峡は渦を巻くことで知られているそうだが、海峡の幅は凡そ6キロ、フェリー・ボートで20分位だという。
   写真をクリックすると拡大画像が見られます
メッシーナ海峡越しにシチリア島を望む→
◆ シチリア島へ渡る 【シチリア島案内地図】
 食事を済ませて、まっすぐ船着場に行き、バスに乗ったまま乗船した。ボートは満車にならない前に直ぐに港を離れた。何だか慌ただしい出航であった。デッキに上がって海面を眺めたが、期待の渦巻きは見られなかった。時間的に満干の変わり目を外したからであろう。強い海風に帽子を押えながら、かってギリシャやローマ軍が、あるいはアラブやノルマン、そしてスペインやフランス・ドイツなどの幾多の軍隊が渡って行ったであろう同じ海峡を、今、渡っているんだぞ!と自らに言い聞かせ乍ら、遠ざかるイタリア半島と次第に近づく対岸の眺めに心のときめきを覚え乍ら眺めていた【各写真】
写真をクリックすると拡大画像が見られます
フェリーでシチリア島へ向けて出航
 シチリアは、当初はギリシャによって植民地化された島であるが、ついでローマ人やシチリア人が支配するようになり、沢山の外国民族も次々に流入しては主導権を握る者が変わり、結果的に様々な民族の文化が栄えたようである。しかし、悪政や虐政の歴史も多く、総じて抑圧され続けている一般大衆の生活は苦しく、自衛的組織としてのマフィアの存在は必要悪というものだったのかなと思う。今でも就職難は当り前であり、島を離れていかざるを得ない移民問題は深刻な状況であると聞いた。
 幾多の問題を抱え乍らも、胸ときめく魅力を満載した島が、今眼前にゆったりとした姿を見せている。海風が心地良く、しばし時の経つのを忘れていたようだ。ボートは揺れることもなく、あっけない早さで対岸の舟着き場に着いていた。

写真をクリックすると拡大画像が見られます 写真をクリックすると拡大画像が見られます
間もなくシチリア島に到着
 ←メッシーナ海峡をフェリーで渡る


◆ タオルミーナへ
 上陸したのは、メッシーナ<Messina>。地震により数えきれない程に破壊された町だそうだが、そんな傷跡で目につくものは何もなく、現代的でなかなか活況にみちた町であると思った。港界隈を散策してみたかったが、時間はあってもバスを停める場所が見当たらなかった。所詮、観光のスポットではないということであろう。まっすぐ、タオルミーナ<Taormina>へ向うことになった。
写真をクリックすると拡大画像が見られます
HOTEL VILLA DIODORO
  この街は、世界的に有名な観光地(避暑地)である。しかも、シチリア島内で唯一マフィアが居ない街なのだそうだ。つまり、裕福な人たちばかりが集まる避暑地であり、彼等は護衛も引き連れてやって来るので、マフィアの付け入る隙はないという訳だ。街は山の中腹に張り付くようにして発達しているが、街の中心は山腹を水平に走る1本の道(ウンベルト通り)にあり、海に突き出た崖の上にはギリシャ劇場の遺跡が素晴らしい。今も尚噴煙を上げ乍ら優美な姿をみせるエトナ火山<Mt.Etna 3340m>と、その山裾を彩る美しい海面を借景にして建つギリシャ劇場からの眺めは、最高に秀逸なものであると聞いている。その情景を、かって東京銀座の個展会場で見たことがある。今は亡き画家・三岸節子氏が描かれた油彩画であるが、いつまでも忘れられない豪快で色彩豊かな秀作であった。そんなこともあって、その場に立っての眺めを長いあいだ憧れていたのである。遂に、その夢が叶えられる時が来た訳だ。嬉しさのときめきを感じる。

 本日の宿泊先のホテル『HOTEL VILLA DIODORO』は、その劇場の近くの南に面した崖に在り、4っも星がついていた【写真】。豪華版である。部屋のベランダに立つと、眼前にエトナ山が在り、海岸線が白い波に縁取られて遥か下の方にまで繋がって見えた。絶景かな! 早速ベランダの椅子に座り込みスケッチブックを拡げた。
 7時、西の空がほのかに赤く染まり、優美な海岸線に沿って、沢山の小さな灯が点り始めた。明日も、快晴の1日になるに違いない。

ライン


ホームへ
HOME
目次へ
目次
前の日へ
前の日
次の日へ
次の日