2008フランス周遊の旅

◆3日目(11月23日)晴れ

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◆「イギリス人の散歩道」

 朝食を済ませて、海岸に沿って作られた「イギリス人の散歩道」を散策する。裕福なイギリス人が保養地として利用していたこの海岸はイギリス人が多額のお金を出し合って作った道なので、このように呼ばれるようになったのだと言う。道に沿って高級ホテルや豪邸が立ち並ぶのは昔と変わっていない。昔とは1980年の夏のことである。ビーチを散策していた時はもちろん、町中の通りを歩いていた時でさえトップレスの女性が沢山居て刺激的であった。カメラを向ける勇気もなく眼のやり場に困ったことなど、懐かしく思い出しながら朝の散歩を楽しんだ(写真下)。


イギリス人の散歩道、西に向って歩く(写真左)   波静かな地中海(写真中)   イギリス人の散歩道、東に向って歩く(写真右)

◆朝市(サレヤ広場)


ホテル前から出発

 9時、ホテル出発(写真右)。旧市街の朝市を訪ねる。時間的に早いのか、人出は少なかった。花市場と言われるだけに色とりどりの花を売る店が多く、近海の魚や新鮮な果物、野菜が豊富に並んでいた。その中に柿を発見。日本原産の果物だから、此処でも「kaki」と表示されていた(写真下)。フランスの人々にも好かれているようで嬉しくなる。この地に移植されてどのくらいになるのか分からないが、遠く離れた異国に根を張り見事な色に結実した柿を眺めていたら、何となく、愛おしく思えてしまった。我ながら可笑しいと思う。


朝市

朝市に並んでいたフランス育ちの柿

朝市で絵を売っていた

朝市

花が豊富なので花市とも言われている

規模の大きいサレヤ広場の朝市

◆サント・ヴィクトワール山


レールの間は芝生が敷き詰められていた

ニース中央の噴水

ニースの街並

ニースで一番の高級ホテル:ネグレスコ

 バスは市内をぐるりと廻り(写真上)、シミエ地区のローマ遺跡、美術館、教会を訪ね(写真下)、郊外のレストランで昼食を摂った。食後、エクス・アン・プロバンスへ向って出発した。途中で1度、トイレ休憩。ニースから凡そ170km、2時間半の行程であった。


ニースの北側・シミエ地区のローマ遺跡

シミエ地区に保存されているローマ遺跡(浴場)

シミエ地区にあるマチス美術館

マチス美術館の看板

シミエ地区の教会

教会のバラ園に咲いていた紅白のバラ

教会の庭で見かけた野鳥

 エクス・アン・プロバンスは、近代絵画の父と言われているセザンヌが生まれ育った町である。近づくにつれセザンヌの愛したサント・ヴィクトワール山が姿を見せ始めた。うなぎの寝床のような細長い山である。セザンヌのアトリエ近くに来た時、ようやく山は山らしい三角形に見えた(写真下)。


サント・ビクトワール

アトリエ近くから見えたサント・ビクトワール

セザンヌの代表作『サント・ビクトワール』

◆セザンヌのアトリエ


セザンヌの家(アトリエ)玄関入口で

 通りに面したセザンヌ邸入り口は質素そのもの(写真左下)。玄関ドアを開けると正面に階段があり、上がった2階がアトリエであった(写真右)。
セザンヌが設計したものと説明があるアトリエは、北側全面がガラスにしてあった。安定した明るさを確保するのが目的である。これは、当時としては画期的な設計であり、評判になったそうだ。僕のアトリエも、北側に大きな明かり取りの窓を作ったが、セザンヌが先駆者であることを知り嬉しく思った。大作が可能なように天井を高くするのは普通だが、仕上げた大作を搬出する為の特別の窓も作られていて、成る程、と納得する。室内には、大作の作業に使ったと言われる梯子も保存されていたが、セザンヌが、それほどの大作を手がけていたとは意外であった。静物画を沢山描いたことでも有名であるが、モチーフに使われた小道具(テーブル・椅子・皿・壷等)がそのまま埃をかぶったままで保存してあった(写真右下)。それらを見渡し乍ら、歴史上の巨匠が使っていたアトリエに今自分が居ることの不思議を思い、この室内で絵筆を握りしめ,命尽きるまで情熱を絶やさなかったセザンヌの姿を想像していると、その姿はますます大きなものとなり、同時に身近にも感じられてきた。アトリエを訪ねて、良かったと思う。


セザンヌの家(玄関入口)

2階がセザンヌのアトリエだった

◆ミラボー通り

 セザンヌが愛したと言うエクス・アン・ブロバンスの中心:ミラボー通り。樹齢500年のプラタナスが生い茂り、両側にはバロック建築が並び、ロータリーには噴水。歴史を感じさせる彫像が幾つも眼についた。時間の都合で、少し覗いただけの市内観光であったが、街はずれには、セザンヌの彫像も立っていた(写真下)。


プロバンスの中央に立つ噴水と彫像

街角にセザンヌの銅像が建てられていた

ミラボー通り

◆「ゴッホの跳ね橋」

 初冬の日照時間は短い。時計の針は、3時40分。時間に追われるように、今度はゴッホの絵で有名なアルルへと急いだ。明るい内に「跳ね橋」を見てみたい。実は、30年程前にも訪ねたことのある橋なので、懐かしさもあった。凡そ70kmの距離を50分で走破出来たので、まだ充分な明るさの中で見ることが出来た。「ゴッホの跳ね橋」として有名だが、実は観光の為に復元されたもの。場所も異なっているらしいが、それなりに雰囲気があって面白いので、スケッチ画として描かせてもらった(写真下)。


復元されたゴッホの跳ね橋

ゴッホの跳ね橋(ゴッホ作・油絵)

ゴッホの跳ね橋(水彩画)

◆古代劇場と円形闘技場(世界遺産)


紀元前1世紀に作られた古代劇場遺跡

古代劇場遺跡

 5時。早くも黄昏の時となる。今日の最後のアルル市内観光に向う。先ずは、古代劇場と円形闘技場(世界遺産)。
 アルルは古代ローマの歴史と芸術の町である。その象徴とも言える古代劇場と円形闘技場は、1世紀頃に造られたもの。町の中心に並んで建てられていた。古代劇場は、中世には要塞になったり、教会用の石材に使われたりした為荒廃していた。19世紀になって座席だけは整備され(収容10000人)、今ではコンサート会場に使われていると言う(写真上)。
 円形闘技場も一時は要塞に改造されたが、19世紀に闘技場として復元され、現在は闘牛やコンサート会場として使われているらしい。中には入れなかったが、ライトアップされた建造物を、近くで見上げてみると一層の迫力で迫って来た(写真下)。2万人を収容出来ると言うその巨大さは、ローマ時代、この町が南仏の中心都市であったらしいことを物語っていた。


円形闘技場

円形闘技場

◆アルル


夜のカフェテラス

ゴッホが描いた「夜のカフェ」のモデルになった店

 アルルは、ゴッホがゴッホらしい絵を完成させた町である。フォーラム広場の一画には、代表作の一つに挙げられる「夜のカフェテラス」が、絵と同じように復元されていた(写真上/左)。

 アルルで一番重要な教会と言われるサン・トロフィーム前の広場には電飾されたクリスマスツリーが3本だけ、ライトアップされて市庁舎の屋上に並ぶ聖人が夜空に浮き上がって見えた。時刻は6時。町に騒音はなく人影もまばらで、広場も町全体も閑散としていた(写真下)。


11世紀に建てられたサン・トロフィーム教会

教会前広場に立つクリスマスツリー

サン・トロフィーム教会正面入り口のレリーフ

市庁舎前広場(右側に建つのがサン・トロフィーム教会)

アルルの町の電燭

 最後に、ゴッホが治療を受けたと言われる治療院を訪ねた。人気のない暗い庭の一隅に、この庭を描いた彼の絵が紹介されていた(写真下)。治療というのは、有名な「耳切事件」のことである。ゴーギャンとの共同生活に破れたゴッホが、自分の耳を切り取り、居酒屋の女に贈ると言う事件を起こしたことから、住民に敬遠されるようになり、遂には、自らこの町外れの精神病院に引きこもるようになったという。

そんなアルルの町を後にして、バスは今夜の宿、アヴィニヨンのホテルへ向って走った。


ゴッホが治療を受けた診療所

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