今回の旅も、いよいよ今日で終り。M子の案内でケルンの街を散策し、娘のAも一緒にお土産などの買物に付き合ってくれた。
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◆世界最大の大聖堂
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ケルン大聖堂 |
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城門 |
ケルンは、ローマ帝国時代から栄えてきた歴史ある街だから、今でも当時の城壁の一部が残っていて、
往時の歴史を偲ばせてくれる。
中でもケルンの象徴となっている大聖堂は、ゴシック様式の建築物としては世界最大(高さ:157m)であり、
1996年、ユネスコの世界文化遺産に登録されている。
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先年訪ねた時は、酸性雨による被害で建物全体が黒ずんでいて心配したが、休み無く修復が続けられている成果であろう、
以前に比べて綺麗になっていた。現存の大聖堂は3代目。600年以上の年月をかけて1880年に完成したもの。
第二次世界大戦では何度も爆撃を受けたらしいが崩れることがなかったと言うから立派なものである。
聖堂前の広場には、大道芸人もいて賑わっていた。
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ケルン大聖堂 |
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◆たばこを吸うエンジェル
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パイプをくわえた天使 |
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街角でユニークなエンジェルを見つけた。
M子に尋ねてみたら、ケルンには、昔タバコ産業で莫大な富を築いた商人がいて、
彼が設立した会社のアイドルとして造りだしたものだそうだ。
その会社は今も健在であり、そのビルの前に立てられていたもの。
パイプたばこを口にしたエンジェルなんて、世界広しと言えども他には居ないと思うが、どうであろうか。
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◆M子の娘がデザインしたTシャツ
大聖堂のそばの(i)の売店で、旅の記念に大聖堂をデザインした野球帽を買った。
娘のAが、“この近くに自分がデザインした子供用Tシャツを売っている店がある”と言うので案内してもらった。
商店街の一画にある小さな店であったが、丁度昼休みの時間で、中に入れず残念であった。
勉強の傍ら、自分のデザインで勝負を始めているとは頼もしい限りである。
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◆日本食レストラン
お土産用の品も買うことが出来たので、一度家に帰り一息入れた。
ケルンにも美味しい日本食レストランがあると言うので、M子の案内で出掛けた。
その店は、ホテルの中の一画にあり、店の名前が「歌舞伎」。
歌舞伎に因んだ提灯や絵で日本情緒を演出しており、カウンターには中年の寿司職人が立ち、
その奥さんらしい和服の日本女性がサービスをしていた。
先客の外人カップルが,箸を上手に使って食事をしている姿などを眺めていると、何故か寛いだ気分になった。
3時までの昼の定食の中から,我々は寿司、M子は鮭テリヤキを注文した。
結構ボリュウムがあり、みそ汁、漬け物、鮭の煮物もつき、米はジャポニカで味もまずまずであった。
その後、立派なつくりなのに、いつも客が居ないというティールームに移動してコーヒーをオーダー、食後の一時を楽しんだ。
壁の上でモンローが微笑み、ジュディ・ガーランドがむずかしい顔でこちらをみていた。
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日本食レストラン「歌舞伎」 |
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◆ジョニーの贈り物
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ケルンの写真集 |
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もう、ケルンで過ごせる時間は数時間となった。家に帰って荷物の整理をする。
5時過ぎ、ジョニーが急いで帰ってきた。“プレゼントだ”、と言って手渡してくれた本は、ケルンの写真集であった。
表紙を開けると、僕の誕生日の日付と彼のサインが入れてあった。
“ケルンを忘れないでほしい”という彼のメッセージが込められているように思った。
僕らの為に、わざわざ用意してくれたその優しい心遣いが嬉しい。大事にしたいと思う。
勿論、ケルンのこと、いつだって忘れはしない。
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◆お別れ
アルバイトに出掛けるという娘のAとは、昼すぎに別れた。
日本語を勉強したいというので、これからはネットを使って話し合うことを約束した。
ジョニーとは、家の前で握手を交わしてお別れ。息子のMが車で駅に送ってくれた。
駅前で、彼ともお別れ。“今度は,東京で会おうね!”
M子は、列車が走り出すまでホームに立って見送ってくれた。
列車が動きだし、手を振って別れたが、ホームから立ち去って行く後ろ姿に淋しさは感じられなかった。
ドイツの地に力強く生きる彼女の生活に、心配な問題はないことを物語っているように思った。
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◆鬼門のフランクフルト国際空港
列車は混んでいたが、途中、ボンに停車しただけで定刻にフランクフルト国際空港駅に着いた。
この列車は、日本の新幹線のようなもので、ケルンから凡そ1時間で走った。以前に比べると便利になったものだ。
駅から、ターミナル1、2の表示を見ながら進み、途中シャトルバスにも乗って、目的のターミナル2に着く迄に約20分かかった。
パスポートコントロールも問題なし。JALのカウンターはすぐ見つかり、チェックイン。
セキュリティーチェックもノープロブレム。スムーズな経過に緊張も解けた。
ところが、次のボディチェックで一悶着が待っていた。
機内持ち込みの手荷物と一緒にベストも脱いで、磁気感知アーチを当然の如く警告なしで通過。
X線のチェックを受けて運ばれてきた手荷物を受け取ろうとしたら、係員が待ったをかけた。
何事?と見守る目の前で、ベストのポケットを探った係員が、そこからアーミーナイフを取り出したではないか。
“エーッ!”
何ということ・・・あってはならないうっかりミスに呆然である。
係員が、冷たい表情で宣告した。
“これは持ち込みを禁止されている武器だから、没収します!”
“没収って、取り上げて返さない、と言うことですか!”
分かり切ったことを口にしながら、一瞬パニックに落ち込む。
気持を立て直し、必死で頼み込んだ。これは長年愛用している大事な道具だ。
名前も彫り込んである記念のナイフだ。機長預かりにして、東京についたら返して欲しい!
家内が通訳、二人して真剣にお願いした。
理解してくれた係員が譲歩。航空会社がJALであることが幸いしたらしく、願いが叶えられることになった。
袋にナイフを入れ、預かり証をくれた。係員に頼まれて、成田での引き渡しを引き受けてくれたJALのお姉さんが言った。
“今回は例外的な扱いです。他の空港、他の航空会社なら諦めてもらうしかない”と。その通りかも知れない。
危ういところを助けてくれた係員に、最敬礼!思えば、前回経験した大きなトラブルにくらべたら、些細な事件ではある。
しかし、やはりこの空港は、僕にとっては鬼門であった。
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◆世界一に輝いた西原高校マーチング音楽隊
チェックインする時、揃いのユニフォームを着た日本人高校生、100名程の団体に会った。
小柄で幼い顔をしているので、中学生と間違われそうだが、紫色のジャンパーには、西原高校と書いてあった。
1年生だろうか?修学旅行とも思えない。はて??引率の先生に尋ねてみた。複数の先生が、笑顔で答えてくれた。
“世界音楽コンクールで、優勝したんです!”
“マーチング部門で、今年も金メダルをもらったのです!”
生徒たちも、晴れ晴れとした表情をしているが、騒ぐこともなく整然と行動する彼らをみていて、
今どきの高校生にはない純朴さと新鮮さを感じた。
“どちらの県ですか?”
“沖縄県です。”
“1年生ですか?”
“よく言われるのですが、1年から3年生までのクラブ員です。”
先生の話を聞いて納得。改めて生徒たちの様子を眺めて好感をもった。
少しも都会ずれをしていない彼ら、実に爽やかである。
JALの待合室に横断幕が張られていた。
「西原高校のみなさん、世界音楽コンクールで金賞受賞、おめでとうございます!」
翌8月5日の朝日新聞全国版に、下記の記事が掲載されていた。
沖縄の地元新聞には、トップ扱いで大きく報道されたのではないだろうか。
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8月5日、朝日新聞朝刊 |
21:05、定刻を少し遅れて離陸。成田まで凡そ10時間半。
映画を観たり、囲碁ゲームに興じているうちに時間が過ぎた。
着陸は,予定より早く3時前であった。バゲージのターンテーブルの所でJALの係員からナイフを返してもらって、メデタシ、メデタシ。
今年一番の暑さだったという東京、湿った重く熱い空気に圧倒された。急いで薄着に着替え、帰途につく。
池袋まで,初めてリムジンバスを利用した。時間はかかったが、ゆっくり寛ぐ事が出来た。(終り)
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