★2005・スイス(イタリア・ドイツ)の旅
◆20日目(8月1日)くもり
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さすが!と思わせるリッチな朝食。沢山の食材が並べられ、どれも美味しそうなので、選ぶことから楽しませてもらった。
リッチな朝食
◆ライン下り
8時半、船着き場には,切符を買う人が列を作っていた。月・金はシニア半額デーの為か、年寄りが多いようだ。 既に乗船は始められており、もうかなり多くの人たちが、デッキの白い椅子に座っていた
【写真右】
。 展望のいい場所を確保するのは、早い者勝ちだったのだ。出遅れたことを後悔したが、後の祭りである。 ケルンまで、凡そ11時間。こんな悠長なライン下りをする観光客が他に居るだろうか?
デッキに上がってみたら、もうテーブルは全て占領されていた。やむをえない。 残っていたイスを引っ張って来て、右舷甲板の手すり近くに陣取った。マインツを出航したら直ぐにアナウンスが流れた。 ドイツ語、英語、日本語の三ヶ国語。如何に日本人客が多いかを物語っている。
運行は時刻表より遅れているが、各船着き場には客が待っていて,次々と乗り込んでくる。 特にリューデスハイムでは大勢乗船したから、デッキはほとんど満席状態になった
【写真下・左】
。 11時少し前頃、初めて城跡らしいものが見えてきた。川に面した丘の斜面は,一面のぶどう畑である
【写真下・右】
。 近づいてみたら、風化が進み、荒れ果ててしまったかっての城塞であった。
ライン下りの船
デッキに溢れた乗客
ニーダーヴァルト記念碑
ライン下りの魅力は、第一に沢山残っている古城を眺めることである。
【写真下】
そして、その城下町である中世の小さな街の佇まいとぶどう畑の景観であろうか。 そうした中世からの景観を色濃く残しているハイライト区間が、2002年、新たにユネスコ世界遺産として登録されたそうだ。 中流地域のコブレンツとビンゲンの間である。当然の如く,乗客はその区間に集中した。
ラインシュタイン城
ライヒェンシュタイン城
フュルステンブルグ城趾
シェーンブルク城
マルクスブルク城
マルクス城
オーバーヴェーゼル
ラインフェルス城
シュトルツェンフェルス城
ローレライ
広いラインをゆっくり下る
その中のハイライトになっているのが、ローレライの岩である。 昔、ローレライの歌は船人を惑わし、多くの船が沈んだという、あの物語。 ♪なじーかはしーらねーど、心わびて♪・・・世界的に有名になった懐かしい旋律が思い出されるが、 今の若い人は、映画や小説で話題の「ローレライ」を連想するのではなかろうか。 高さ130メートルある岩上にドイツの国旗(この場所にローレライが立っていたと言う・・・)、 船上にはローレライの曲が流れ、川の土手にLORELEYの文字
【写真右】
。 1985年に訪ねた時は、崖に日本語でローレライと書かれていて驚かされたが、もうなくなっていた。
ザンクトゴアスハウゼンの手前に、デンマークの人魚の像に似たローレライの像が置かれていた。以前訪ねた時はなかったと思う。
猫城も過ぎて、Boppartで停船。ローレライを観て満足したのか、下船する人が多く、デッキが空いてきた。 へさきの席へ移動して、ポールにスカーフを巻いた。「おかめ」にもしっかり観光させようと思う
【写真上】
。 Koblenzに着くと、ますますデッキは空いてきた。
見回してみたが、もう日本人の姿は見当たらなかった。
モーゼル川との合流地点を過ぎると、案内図には城の絵が描いてあっても見つけにくくなった。 古い街並に代わって大きな工場が現れたりした。Koblenzまでが観光のポイントであったことを納得する。 解説のアナウンスも、ドイツ語だけになっていた。
Neuwiedを過ぎたあたりで、ケルン方面へ行く人は,Bad Breisigで乗換えてくれ、とアナウンスがあった。 荷物を持って下船、入れ替わって同じ桟橋にやって来たケルン方面行きの船に乗り換えた。 新型の大きなボートであった
【写真右】
。 もう日本人は我々二人だけ。デッキは広く、子供の遊び場もあって、子供たちが元気に遊んでいた。 トイレも広くて清潔、その上無料であった(前の船は、有料)。しかし、取り返せるのだろうか?遅延はさらにひどくなった。
新しい船に乗り換えた
まもなくリンツに到着した。此処は観光の街、噴水があり、建物の色と形がロマンチックで面白い
【写真右】
。 さすがに、沢山の乗降客があったので驚く。時計を見ると5時を過ぎていた。 ケルンまで、未だ3時間はかかるだろう。ビールとカプチーノをバーで買って来て、デッキのテーブルで一杯
【写真右下】
。 のんびり船旅を楽しもうと思う。しかし、陽射しがなく、だんだん寒くなって来た。 岸辺の眺めも魅力が失せてきたので、デッキを降りた。
ところが、レストラン以外に自由に座れる場所がない。 やむなくレストランに入ってコーヒーを頼みテーブル席に腰を落ち着けた。 アコーディオンとクラリネットのデュオを組んだ楽士が回って来て、あちこちで演奏をした。 若い人たちは、マーチ風の曲に歌を合わせて盛り上がっていた。ますます川幅が広くなってきたライン川を、船は静かに下って行く。 大型船に乗り換えてから、遅れはますますひどくなったようだ。
リンツの街
乗客の少なくなったデッキで寛ぐ
Cologne Porzを過ぎた頃、ようやく遠くに大聖堂の二つの塔が見えて来た。既に夕暮れ。 時計の針は8時20分を指していた。それから更に15分、予定の定刻を50分も遅れて、やっとケルンの桟橋に到着した
【写真下】
。 埠頭には、心配そうな表情で立っている友人夫妻の姿があった。船内から手を振ったが,気付いてくれない。 はやる気持を抑えて桟橋を渡った。友人の顔がぱっと輝いた。何年振りかの再会を喜び合う。 相変わらずfriendlyな歓迎に疲れも吹き飛んだ。
真っ直ぐ車で自宅に向い、既に用意されていた夕食をご馳走になる。 両親と同居している息子Mも加わって、英、独、日の三ヶ国語が飛び交う楽しい夕食であった。 今日と明日、この家に泊めてもらう。
夕暮れに沈まんとするケルン大聖堂
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