★ 2001 『K2』へ〜 パキスタン(カラコルム)訪問の旅
 ◆ 10日目(9月9日) 【旅の全体地図】 目次へ
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【本日の旅程】=バトラリン→タキシラ→イスラマバード→機中泊→成田着、解散

7:56 ホテル発。昨夜はゆっくり休む事が出来た。お腹の虫も静かになった。だから朝食も普通に頂くことが出来た。ヤレヤレである。


◆日曜日のマンセーラ 9:45
 バザールが賑わっていた。そうだ、今日は日曜日だから、特別に人出が多いんだ。青い橋を渡ってやって来る男たちは、皆洗い晒しの白い民族衣装に帽子もしっかり身に付けていた【写真下】。朝のお祈りに出席する為、正装して村のモスクに行くのであろう。通りに面してその美しいモスクが、朝日を受けて輝いていた【写真下】

青い橋

美しいモスク

果物店
 街路樹が作る日陰に憩いながら、賑わうバザールを眺めた。やはり、色彩鮮やかな果物店が目を引く【写真上】。箱詰めされていたブドウを、一房一房丁寧に屋台に並べる青年の手付きは優しく、表情は真剣そのものである【写真下】。乾燥している土地の多いパキスタンで、これ程溢れんばかりの果物を見るのは、いささか意外な思いがしてしまうのだが、それだけに地元の人たちにとっても貴重な食材に違いない。沢山の出店も並んで狭くなったKハイウエイを、美しく着飾ったトラックが黒い煙りを巻き散らし乍ら駆け抜けていった【写真下】

ぶどう店の青年

美しいトラックが駆け抜ける

カラコルム・ホテルで休憩
9:54-10:04 カラコルム・ホテルにてトイレ休憩【写真上右】
 K・ハイウエイに無料の公衆トイレという施設は皆無に等しい。やむなく、ホテルとかレストランのトイレを使わせてもらうことになるのだが、お礼に土産品を買ったりお茶を飲んだりして、それなりの気を使う。ガイドが代表してチップを支払うこともあるようだ。


◆ とうもろこしストップ 10:28-10:40
 再び同じ場所に帰ってきた。焼きとうもろこしの味が思い出された。この場所を素通りしてしまえば、もはや2度と「焼きとうもろこし」にありつける保証はない。「ストップ!」である。お兄さんが張り切って焼いてくれた【写真下】。焼きたてのそれに、火傷をしないように冷まし乍らかじりつく。岩塩が適当に効いて、素朴で香ばしい味がいい。しかし、消化は悪いに違いない。意識的にしっかり噛んで食べた。みんなで賑やかに食べる日本人が珍しいのか、パキスタンカラーの衣装を着た女の子らが近くで観察を始めた。女性カメラマンの求めに応じて、あっさりモデルになってくれた。男性である僕が構えるカメラにも愛嬌を振りまいてくれた【写真下】。撮影されるのが嬉しかったのであろうが、こんな事、パキスタンでは珍しい光景である。

焼きとうもろこしの店

少女たち

微笑む少女

レストランにて昼食
10:50 アボッタバード通過。
12:15-13:24 タキシラのグリーン・ラグーン・レストランにて昼食【写真上右端】


◆ ジョーリアン遺跡  13:45-14:51
 アレキサンダー大王の東征により東西文化の融合が行われ、ガンダーラ芸術として栄えたのは余りにも有名な歴史上の事実であるが、その中心になったのがタキシラ地方であり、紀元前から紀元後にかけてほぼ500年間の栄華の名残りを色濃く留めている遺跡が沢山発掘されている。その代表的なものの一つが、このジョーリアン仏教遺跡【写真1】である。
 それは、タキシラを一望する小さな丘の上にあり【写真2】、紀元2世紀頃建立されたものらしい。メイン・スツゥーパのある西翼には小さな奉納スツゥーパがたくさん並び、その台座には気品のある仏像が無数に刻み込まれていた【写真3-4】。僧院区と呼ばれる東翼には石積みによる僧房が整然と並び、台所、集会所、貯蔵庫の跡も残されている。石積みの技術には目を見張るものがあり、デザイン的にも面白く、しばし見とれてしまった【写真5】。それは、当時の技術レベルが如何に高かったかを思い知らせてくれる素晴らしさであった。

1. ジョーリアン仏教遺跡

2. タキシラを一望する


3. 気品のある仏像たち

4. 仏像

5. デザインがユニークな石壁


◆ シルカップ都市遺跡 14:58-15:31
 紀元前2世紀頃、ギリシャ人によって作られた都市遺跡。今回は、体力減退でスタミナ不足を感じているので、入り口付近から眺めるだけに留め、バスの中で留守番をした。以前訪れた時にじっくり観察したのだが、風化の進んだ丘の上のアクロポリスの建造物の一つに、双頭の鷲のレリーフが認められた。その時、ガイドが説明した。「これがインド・イラン・ギリシャの3つの文化が融合されたことの証しです」と。それはとても意外なことのように思われたが、動かぬ証拠を見せつけられたようで「そうなんだ!」と納得させられ、痛く感銘したことが今も新鮮な記憶として残っている。


◆ タキシラ博物館  15:34-16:23
 此所には、タキシラ一帯で発掘された出土品のほとんどが納められていると言われているだけあって、内容はなかなかに充実したものである。何点か撮影しておきたい仏像があったが、残念ながら館内は撮影禁止で監視も厳しく果たせなかった。残念だなぁ・・・と思っていたら、制服姿の職員が近づいてきて、図録を買ってくれないかと言う。Goodタイミングである。印刷・製本、まだまだお粗末なものではあるが資料としての価値を認めない訳にはいかない。半ばしぶしぶ購入することにした。思うに、撮影禁止の目的は、この図録を買わせることにあったようである。
 以前に、此所を訪れた時も館内の撮影は禁止であった。チップをはずめば撮影させてくれるだろうとは思ったが、カメラの代わりにスケッチをさせてほしいとお願いした。スケッチならば問題ないと言い、わざわざ椅子を貸してくれた親切な館員がいたことが、懐かしく思い出された。その時描かせてもらった仏像の姿を探してみたが、何故か見つけることは出来なかった。

17:00-18:30 ラーワルピンディーのホテルで休憩


◆ 中華料理屋チュンパーで夕食兼お別れ会 18:30-20:00
 今回の旅を現地でサポートしてくれたのは、日本人の女性社長が経営する旅行社であった。その社長も姿を現わし、丁重な挨拶と共に記念の品をプレゼントしてくれた。
 満足度100パーセントという訳にはいかなかったが、旅の目的はほぼ達成されたと思う。後半、体調を崩してしまったのは悔やまれるが、大きなダメージではなかった。それより何よりカメラの不調が最大のダメージであった。ともあれ、現地ガイドの懸命な努力のお陰でいい旅が出来たのだと思う。企画・催行してくれたスタッフの皆さんに心から感謝する。
 今回の旅は、一応ここで終了した。帰国までの道程は、以下に示す通りである。予期せぬハプニングに遭遇することもなく、無事帰国を果たすことが出来た。(おわり)

22:35 PK860便にてイスラマバード国際空港発

9月10日(月)
6:35-8:15 北京にて給油
14:30 成田に無事到着後、解散。

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