★2005・スイス(イタリア・ドイツ)の旅
◆6日目(7月18日)晴れ 目次へ
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(今日の日記は、全面的に家内のノートから,転記する。)
◆マロヤへ
 ゆっくり出発と決めていたので,7時近くまで横になっていた。朝食を済ませ、ボーイと握手。名を聞くと、ポールと答えた。
 銀行へ、TCを現金化する為に行く。マロヤにもソーリオにも銀行はないと思う。
 フロントで支払いを済ませ、バス停への近道を下る。足は、もうほとんど良くなっていた。
 サンモリッツ行きのバスの運転手は、荷物を中央部のドアから積み込む様に身振りで指示し、何故か料金は取らなかった。
 サンモリッツ駅には、キアヴェンナ行きのバスが待機していて、ドライバーは、私の荷物をやはり中央部に積んでくれた。
 10:08、定刻に出発。プントムラーユあたりで、見納めになるかもしれぬシャーフベルグの小屋をしっかりと目に焼き付けた。 40分足らずで、マロヤ峠に近いバス停:Cad' Mate に着いた。天気は良くないが、未だ陽は射している。 峠の宿:マロヤ・クルムにチェックイン【写真右】。残念ながらキルヒナーは引退し、裏の家に住んでいるとのこと。 出来れば会いたいと、フロントのオバサンに伝言を頼んだ。 多分彼女の夫らしいデブの中年男が、愛想よく声をかけてきたが、何となくガッカリして、 此処に泊るのもこれが最後かという気持になった。

 案内された部屋は、ココシュカの部屋(36号室)。この前と同じである。 照明が不十分なのを除けば、懐かしさもあって不満は特にない。(i) が昼休みにならぬうちに、と、すぐホテルを出た。
峠の宿:マロヤ・クルム
◆札所(station)巡り
 (i)の女性は、親切にいろいろと説明してくれた。 Sentiero Segantini (セガンティーニの道)という独・伊・英の三ヶ国語のパンフレットが出来ていて、 絵や写真もプリントされているが、札所(station)の数は15から12に減っていた。 とにかく近い所から回ってみようと、@のAmerican Barからスタートする【写真右】。 其処には、確かにパネルが設置されていて、解説も独・伊・英になっていて助かる。
セガンティーニ札所1
セガンティーニ札所6
 次にE:墓【写真左】。前回とは違って、よく手入れされている印象を受けた。 赤いジョウロで色とりどりの花に水をやる。彼と彼の妻の墓は一種の比翼塚のようで、 子供たちの墓も並んで建てられていた。 愛情に溢れたファミリーであったことが伺えるような気がする【写真下・3点】
 Fには、"Paradise on Earth"のコピーがパネルになっていたが、不心得者が傷をつけてしまい、無惨な姿となっていた。
村の共同墓地
一家の墓碑
セガンティーニ一家の墓
 Gは、教会。ロックされていて中には入れず。 入口に“死の床にあるセガンティーニ”:ジャコメッテイによるペン画のパネルがあった【写真右】。 二人は、1894年に出会い、セガンティーニの死の時まで交友は続いたという。 教会脇の草地でランチ(サンドイッチと湯)。沢山のルピナスが色とりどりに咲いており、小さな花々には赤や白の蝶が舞っていた。 陽射しは熱く、風は爽やかだった【写真下】
教会裏からの眺め
セガンティーニ札所8
教会裏に咲いていた花
ベルベデーレの塔
マロヤ峠展望所
 さほど遠くはない彼のアトリエは、まだ閉まっていてfamilyの写真(彼だけがソッポを向いている)のパネルをみただけで、 其処からしばらく坂道を登ってベルベデーレの塔へ向った【写真左・左】。 途中の所々に小人が可愛らしい表情で立っていた【写真下】。 塔と館の一部が残っているが、セガンティーニは此処に住みたいと思っていたと聞く。 塔に登ってみたが、天気は悪くなり、見通しも悪く、展示品も彼との関連はないものばかりと思えたので、早々と出てしまった。 今にも降り出しそうな空模様で、急いでホテルへ帰る。 ホテル前の峠で谷を下って蛇行する道を眺め【写真左・右】、キオスクをちょっと覗く頃、本格的な雨となる。 グリーンティで一服。ひどく疲れた感じで、ベッドに横になったら、少し眠ってしまった。
小人たち
◆キルヒナーと再会
 6:40頃、dinnerに降りる。オーナーのキルヒナーは、7時にやって来た。私たちを良く覚えている様子だった。 昔ここに滞在した女流画家のこと、ココシュカのことなど、いろいろ聞いた【写真右】。 彼は、去年の11月に引退。 その後現マネージャー(デブで心臓が悪く、階段も登れないから、いつ倒れるかわからない、とキルヒナーは言う) が切り回しているそうである【写真右下】。 「ディナーが終わる頃又来るから、そうしたらワインを一緒にどうだ」と、言ってくれたので勿論OKする。 ホテルのオーナーと、こんな風に付き合うケースはあまりないかもしれない。幸せな気分でディナーを終えた。
キルヒナーと歓談
現・支配人と
セガンティーニの息子が描いた油絵
 キルヒナーは、8:45にやって来た。ホテルの裏手に新築したアパートメントハウスの一区画が彼の住居であった。 幾つもの部屋があり、壁には女流画家(ポルゲス)や彼の友人の画家(マンゾーニ)の絵が沢山掛けられていた。 中に一点、セガンティーニの息子が描いたという花の絵があり、 技法が父親とそっくりであるのを面白いと思った【写真左】。 キルヒナーの父が手に入れたものだそうだが、サインは入っていなかった。
 去年の秋にとりかかったという彼自身の油絵が、山に向った広いリヴィングに立てかけてあった。 独学で、初めて描く大作だそうである。なかなか雄大な構図であり、完成したらきっといい作品になるだろうと思った。

 イタリアの赤ワインをご馳走になり【写真右】、 絵の話やスイスホテル協会のアメリカツアーの話、家族の事等、楽しい一時を過ごし、10時頃引き上げる。 明日、出発の時、誰もいなかったら自分がバス停まで送ってあげよう、と言ってくれた。

 今回は一泊しかしないので、入浴のみ。ココシュカが、'54・'55・'56年の夏に夢を結んだ部屋に、平和な眠りが訪れた。 外は雷雨となっていたが、心は静かだった。
キルヒナーの居間で
ライン


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