★2004シャクナゲ満開・英国の旅
◆5日目(6月1日)小雨
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◆生まれ変わる運河


時を感じさせる運河

 小雨の降る肌寒い朝を迎えた。窓の外に運河が見えた。はっきり水位の異なる二つの運河を目にしていると、実際に機能する情景を見てみたいものだと思った。未だ見た事がないので、倉庫の前の狭い水路に係留されている運搬船がどのように動いて外洋に出ていくのか、想像することが出来なかった。機能しなくなった運河には朽ち果てた船の姿もあり【写真右】、使われなくなった赤いレンガの倉庫には,CRAFT WORKSHOPSの看板が付けてあった。運河の向こうには、白い煙を吐き出す煙突が並び、赤い炎を吹き出しているのもあった。確かにここは、港を必要としなくなった大きな工業地帯の一画ではあるが、新しく生きていく道を模索している姿があった。

◆ウェッジウッド陶磁器センター


ジョサイア・ウェッジウッドの銅像

 ストラットフォード・アポン・エイボンへ向う途中、ストークオン・トレントに在るウェッジウッド陶磁器センターに寄り、工場の中を見学した。「英国陶工の父」といわれているジョサイア・ウェッジウッドによって創設された会社である。センター入り口に彼の銅像が立っていた【写真右】
  受付で貸してもらった日本語によるオーディオガイドを聞き乍ら、会社の概略や製品の特質をおおまかに理解した。創始者であるジョサイア・ウェッジウッドは、1万回にも及ぶトライアルの末、新しい陶磁器となるジャスパーウエアー(石英の一種)を完成させた。その作品は高く評価され、英国王室をはじめロシアの女帝エカテリーナ2世など欧州各国から注文が殺到し、瞬く間に世界中に広まり、後世、陶工の父と称されるようになったそうだ。
  そのジャスパーを使った製品作りの現場を見学した。広い工場の中は、見学者の為に床に青い線が引かれており、その線に沿って回れば一通り見学出来るようになっていた。製品化される過程を見ることによって、理解を深めることが出来たように思う。


「ポートランドの壷」

  その一つとして、ブローチで有名な「カメオ」も、このジャスパーを使って作られていることを知ったし、その想像を絶する繊細な仕事には、目を見張ってしまった。ちなみに、ウェッジウッドは、古代ローマのカメオ・グラスの傑作「ポートランドの壷」【写真左】を、ジャスパーで再現することに成功、今では屈指の名作として知られている。


職人アーティスト

 人形の最後の仕上げをしている職人の話を聞くことが出来た。彼は、1ミリもない程の細い筆を使って、人形の頭髪を仕上げているところであった。うなじの生え際は薄く描き、その上から更に濃い色を1本1本重ねて描き込むんだ、と語りながら、その部分を見せてくれた。「1日かかって仕上げられるのは二人だけだよ」と言い乍ら休まず筆を動かす彼の風貌には、職人と言うより芸術家としての誇りが滲み出ているように見受けられた【写真右】
 
  ショールームには、価格のつけられた様々な製品が並べられていた。美しく仕上げられた人形もたくさん展示されていた【写真左下】。どの製品の金額を見ても、気安く購入出来る数字ではなかった。そこには、高級ブランド製品であることの誇りと自信が示されているように思えた。


磁器製人形

 

◆シェークスピアゆかりの街


シェークスピア劇場


  バスは郊外の細い道を走り、ストラットフォード・アポン・エイボン(Stratford Upon Avon)という小さな街に到着した。 シェークスピアは、1564年にこの地で生まれ、この街で青年期を過ごし、後にロンドンに出て天才劇作家としての名声と地位を確立した。晩年,再びこの生まれ故郷に帰って隠居、53才の誕生日にこの世を去ったそうだ。その彼を生み出した誇りある街として、エイボン川のほとりにシェークスピア劇場が建っていた【写真左】。此処では、常時,彼の戯曲が上演されており、世界中からファンを集めている。この日は「ロミオとジュリエット」【写真右】を上演していた。

「ロメオとジュリエット」のポスター

  Stratfordは、Strata(軍隊)からきているらしいので、チェスターと同じようにローマ人が造った街なのだろう、との話であった。メイン通りには、チェスターと同じ木組みの家々が並んでいた【写真下・左】。シェークスピアの生家【写真下・右】とつなげて立派な記念館も造られていた。しかし、どんよりした肌寒い天候が影響したのか人出は少なく、街には少しも活気らしいものが感じられなかった【写真下・中】


木組みの家々

シェークスピアの生家


人通りの少ない街の中心

◆赤い郵便ポスト


赤いポストと電話ボックス

 通りに赤くて円筒形の郵便ポストが立っていた【写真右】。少し前迄日本中で親しまれていたものに似ていて、親しみを感じてしまう。博識な添乗員の話によると、日本のものは、明治政府が英国のポストを見習って普及させたものだと言う。日本からは次第に姿を消しつつあるのに、さすがは本家である。どこの街にも、同じような赤い郵便ポストが立っていたように思うし、これからも使い続けられていくのだろう。但し、「林望のイギリス観察辞典」によれば、古くはそのデザインも色も各地方に任されていたので、赤くないポストもあったらしいし、形もヴァラエティに富んでいるのだそうだ。
  電話ボックスも同じ赤である。何故赤なのか。添乗員氏の説によれば、黄色が主流のヨーロッパに対するイギリス人の反骨精神の現れではなかろうか・・・と。フムフム。そういえば、フランス・スイス・スペインのポストは黄色である。これは、色彩学的に最も遠くから視認出来る色だから、理に適った色というべきものである。
  第二次大戦が終了して、英国の海兵隊が長崎に上陸したとき、兵隊たちが同じような赤いポストを見つけて大喜びしたと言う。故郷が懐かしく思い出されたのであろう。ポストの前で記念撮影をする姿が見られたという話が残っているそうだ。

 

◆アン・ハサウエイの家


玄関前で

 シェークスピアの妻(アン・ハサウエイ)が生まれ育ったという家も訪ねてみた【写真左/右下】。彼女の夫が有名になったから、というそれだけの理由で観光名所になってしまうのだから凄い話だ。如何にシェークスピアが偉大な天才であったかということの証左であろう。そうでなければ、単に当時の農家のありさまを偲ぶだけの文化遺産でしかないだろうと思う。とは言え、およそ300年もの長い期間、実際の農家として機能してきた住居である。それなりに、落ち着いた風格ある茅葺き屋根の景観は、時間が許せばゆっくり写生してみたい魅力あるモチーフであった。

アン・ハザウエイの家


 今日予定した見学箇所は全て終え、バスはコッツウォルズ地方に向って走った。今夜の宿は、ラマダ・グロスター【写真下】。2連泊する。


ラマダ・グロスター玄関

 

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