★ 2001 『K2』へ〜 パキスタン(カラコルム)訪問の旅
 ◆ 3日目(9月2日) 【旅の全体地図】 目次へ
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【本日の旅程】=チラス→ハルチュ→ラマ・レイク

6:55 チラス発
7:50-8:00 タタパニ温泉
8:05 ラキオット橋着


◆ ジープ・サファリ始まる
 出来るだけ涼しいうちに道程を稼いでおこうということで、7時前には出発した。深くなってきた断崖の道を快調に走り、途中、崖を流れ落ちてくる温泉の熱いお湯で顔や手を洗い(タタパニ温泉)、およそ1時間でラキオット橋に到着した。橋のたもとにはジープ基地があり、5台のジープが我々の到着を待っていてくれた。僕が乗り込むことになったのは赤いジープである【写真1】。宜しくお願いしたいという気持を込めてドライバーと握手。21才だという彼は、年齢以上の落ち着きを感じさせるいい男であった【写真3】。後部座席にはKさんとSさんの女性2人が乗車、僕は助手席に座り、元気よく出発した。此所で、Kハイウエイとはお別れである。ジープは、つぎつぎとナンガパルパッド山麓に向って走りだした【写真2】。いよいよジープ・サファリの始まりである。

1. 赤いジープ

2. ジープで出発

3. ドライバーの男
 ギルギッドの谷を隔てて巨大な不毛の山塊が北に向って果てしなく続く。太陽に焼かれ褐色に乾いたその山の断崖に刻まれた道を、黒い煙を吐きながら走る1台の赤いトラックが遠くに小さく見えた【写真左】。はるかなる中国との国境を越えて来たのであろうか、緑の無い断崖の道を、ひたすら走るその姿には、何故か孤独に耐えて一人走るランナーの姿と重なりあうものがあって感動的であった。
←断崖の道を行く赤いトラック


◆ 断崖絶壁の道を進む
 もはや鋪装などない細く嶮しい断崖の道を、5台のジープは、適当な間隔をとりながら、ゆっくり進んだ【写真5,7】。途中ハラモシュ(Haramosh : 7,406m)、ドバニ(ビルチャール6,134m)が見えた。此所で、フォトストップ5分間。しかし、遥か遠くに在るそれら白い山々は霞んで見えた。カメラ撮影は諦め、小さなスケッチブックに大急ぎでペンを走らせた。
断崖の道→
←山道を行く


◆ 村のレストラン
 アストール(Astor)渓谷【写真4】に沿った山腹にも人家が散在しており、その中の一軒が村のレストランであった。余りにも黒ずんだ山小屋風の小さな建物であったが、此所で昼食。暗い食堂や厨房で働く男たちと会話をすることは出来なかった。お互いに出来るのは、笑顔の交換だけである。カメラを向けると、彼等はさっと仕事の手を止めて改まったポーズをとってしまう【写真9】。そうすることが礼儀とでも思っているのだろう。何と言う素朴で愛すべき人たちであろう。撮影した画像を見せてあげると、顔を輝かせて喜びあった。きっと、こんな体験は初めてなのに違いない。われもわれもと、カメラの前に整列する彼等。カメラで撮影してもらえることが、嬉しくてならないのである。差別する訳にはいかなくなり、スタッフ全員集まって記念撮影ということになってしまった【写真10】

4. アストール渓谷

9. 厨房にて

10. 茶店のスタッフ

12:55-13:00 アストール(2,378m) ホテルまで10km、ラマ・レイクまで14km


◆ ラマ・ホテル (2002年6月オープン予定) 14:00着 (標高3,285m)
 オープンはまだ10ヶ月も先だということだが、建物やその他の施設など、ほぼ完成しているように見受けられた【写真左】。何故10ヶ月も先になるのか、しかもどうしてそんな未完成の施設を使わせてもらえることになったのか分からないが、ともかく、今夜はこのホテルに宿泊する。但し、使えるのはトイレと食堂、客室を使えるのは女性だけである。これまた、いかにもパキスタンらしい成り行きである。
 それぞれ身軽になって、ラマ・レイクまでジープで出掛けた。

15:10 ホテル発
←ラマ・ホテル

◆ ラマ・レイクでの出会い
 15:40着、背後の山がチョングラ(6,829m)。きつい坂道もあったが、30分余りで湖畔に到着出来た。静かな湖畔には、羊飼らしい白い装束の二人の老人が佇んでいた【写真右】
 立派な白いヒゲをたくわえた一人の老人が自己紹介をした。「自分は、1977年、メスナーが参加したイタリアのナンガパルバット隊の連絡官であった」と。エヴェレストを征した貫田氏と話が弾んだ。年老いた今もなお背筋はしっかり伸びており、若い頃の颯爽とした姿が偲ばれた。全員で記念撮影を済ませ、二人の老人が住む近くの集落を訪ねることになった。思いもかけない人との出会い、そして楽しい展開。こんな予定外の成り行きが、旅の大きな面白さでもあるのだが、僕は訪問を辞退して、湖畔に残り写生に取り組むことにした。
 山の中腹まで登り、ラマ・レイクを見下ろす地点でスケッチに取り組んだ。遠くに雪を頂く峰が連なり、幾つか重なる山塊の景観はスケールの大きさを感じさせて素晴らしい。見渡す限りの視界には、かすかに動く雲が見えるだけで人影もない。静寂に包まれて写生に集中することが出来た。しばらくして、集落訪問を終えた仲間たちが、ジープに乗り下山して行く姿が小さく見えた。1枚描きあげ、徒歩で下山する。時間を確かめながら、途中でもう1枚スケッチをした。同じく歩いて下山してきたA氏と合流、ホテルまで一緒に歩いた。
羊飼いの老人たち→


ラマ・ホテルの食堂
◆ 煮込み風インスタントラーメン 広い食堂には、我々の為のテーブルが中央にセッティングしてあるのみであった。吹き抜けの広い空間を、我々だけで独占出来るとは、なんて贅沢なことだろうと嬉しく思う【写真】
 しばらくして、ホテルのスタッフにお願いしておいた日本製インスタントラーメンが、人数分だけ大きな鍋で一緒に調理されて、テーブルに運ばれてきた。それは、見るからにしっかり煮込まれていた。いわゆる、伸び切ってしまったラーメンとなって。
 アララー・・・これには参った。まるで、離乳食ではないか。しかし、「これなら消化には絶対いいよ!」と嬉しそうなセリフを飛ばしてくれる人がいて、食卓が明るくなった。しかも、久しぶりの日本の味である。大いに食がすすみ、美味しく頂いた。心配そうに見ていたスタッフは、安心したのかニコニコしながら厨房に消えた。しかし、今後の事もある。インスタントラーメンの調理の仕方についてはフォローしておこう、ということになった。文句は言えない。彼等にしては、初めての食材だったのだから。


◆ テントに寝る
 女性は鍵のかかる建物内の部屋で寝ることが許可され、男性軍は建物の外にテントを張って寝ることになった。きれいに整地された地面だから、寝心地は申し分のない快適さであった。しかし、ぐんぐん冷え込んだ。夜中の3時、トイレに起きた。テントを出て夜空を仰ぎ見たら、動く雲の間から星がキラキラ瞬いていた。4時、雷鳴に目覚めた。遠くではあるが腹にズンと感じる雷鳴であった。5時頃、雷鳴は稲妻に先導されて近くまでやってきた。雨滴がテントを叩き始め、とうとう眠れないままに夜明けを迎えてしまった。

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