★ 2001 南イタリアとシチリアの旅
イタリア国旗  ◆ 最終日(4月7日) 【旅の全体地図】 目次へ
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【シチリア島地図】
【本日の旅程】=パレルモ(モンレアーレ大聖堂、マッシモ劇場)→ローマ→成田


ホテルのベランダより;パレルモ市街を一望
◆ パレルモの朝
 今日も快晴の朝を迎えた。メイン通りに建つホテルのベランダから、パレルモの街が一望出来た【写真】。画面の右手方向が旧市街であり、今でも最も賑わっている街の中心である。左手方向は海岸であり、山麓に向かって街は大きく広がりつつある。州都として、そしてシチリア一番の大きな港を抱えた港町として、生き生きとした活気が感じられる魅力一杯の街だと思った。現在の人口は71万人を超えているそうだ。


◆ 黒い塔
 朝日に照らされて、画面の中央に黒く聳える塔が在る。昨日、その横を歩いていて気がついたのだが、その塔の下の方に「シチリアからマフィアをなくそう」と呼び掛ける言葉が控えめな大きさの文字で書かれてあった。何となく街の人たちの心情が分かるような気がした。声を大ににて呼び掛けるには、いささかプライドが許さないのかもしれない。この島から完全にマフィアの姿がなくなるまで、この塔は守られ、建ち続けるであろうと聞かされたが、島民ならずとも、この塔の消え去る日の早からんことを祈念したいと思う。


◆ イタリアの男
 午前中は自由行動なので、有志でモンレアーレ<Monrale>の大聖堂を訪ねることにした。時間のこともあり、ホテルからタクシーで行くことにした。添乗員が交渉してくれて大型車2台と約束したのに、やってきた一台は中型車であり、当然定員オーバーになってしまう。「こういういい加減さがイタリアの悪いところだよ!まったく!」。怒った我々は、キャンセルを宣告した。運転手は両の手を拡げ、喚いてしつこく抵抗した。仕方ないではないか。約束を守らなかったのだから!喚きたいのは、こちらの方である。
 バスで行くことにして、その停留所まで歩いた。急いで歩いた。何人かに聞いたがなかなか目的の停留所が見つからない。仲間の若い女性が、フランス語で警官に尋ねた。フランス語の出来る若い警官がパトカーから出てきて、張り切って教えてくれた。しかし、あんまり時間がかかるので、我々は待ち切れずに先を急ぐことにした。「日本の可愛い美人女性だから、いつまでも話していたいのだろうな! イタリアの男ってぇのは・・・まったく!」。老いぼれ男の捨てゼリフである。


◆ モンレアーレの大聖堂

バスでモンレアーレへ
 市内循環バス【写真】は町中で頻繁に停車をくり返し、やがて郊外に走り出た。丘を上り切った高台に建つモンレアーレの大聖堂前が、バスの終点であった。大聖堂前の広場には、沢山の屋台が並び、広場を取り巻くようにしてレストランや土産品店が軒を連ね、この場所だけが集中的に観光客で賑わっていたように思う。
 この大聖堂は、パレルモに建てられた大聖堂とほぼ同年に建設されている。それは、この島を治めていたグリエルモ2世が、強大になったパレルモ大司教の権勢を抑制する為に、わざとパレルモを見下ろすこの丘に建立させたものだという。パレルモ大司教の方は、これに反発して自分の大聖堂を豪華に改装させ、一年遅れて1184年に落成させている。グリエルモ王と聖職者とが拮抗した勢力争いをした結果、こうした小さな街には不釣り合いな大聖堂が造られることになったようだ。ちなみに、モンレアーレとは「王の山」という意味である。

  モンレアーレの大聖堂内部とモザイク画 ↑→


大聖堂裏からの展望
 内部の天井と広い壁には、旧約・新約の聖書の物語がモザイクによってまばゆいばかりの絢爛さで描かれてあった【写真上2枚】。中でも注目すべき画像は、ルッジェーロ2世(グリエルモ2世の先代)が万物の創造主であるキリストから直接王冠を与えられている場面を描かせていることである。自分の血統がどんなに高い位の人物であるかを人々に誇示したかったのであろう。(歴史が知らせてくれる彼の血統は、北の国のノルマン人であり、だとすれば小さな船を操り地中海にやってきた海賊バイキングがその先祖ではないかと思う。)それにしても、これ程までに自分が権威ある人物であることを誇示した権力者は、他に例を見ないのではないかと思う。

 大聖堂の裏手は展望台になっていた。パレルモの町が広がり、その向こうにティレニア海<Tyrrhenian Sea>の青い海が美しく遠望出来た【写真】。今回の旅はこの町で終わりである。短い期間ではあったが、楽しい毎日であった。しばし、此所からの眺めに名残りを惜しんだ。時計を見ると残された時間は、もうあと僅かであった。しかし、出来たら覗いてみたいと思っていた所が一つある。急げば、何とかなりそうである。賛成してくれた仲間全員と、急きょ町中へ引き返した。


◆ マッシモ劇場

マッシモ劇場
 それは、街のほぼ中央に建つマッシモ劇場【写真】である。これはヨーロッパで最も大きく、また最も権威ある劇場の一つに数えられており、オペラの殿堂として有名である。1875年、設計を担当したバジーレにより工事が始まり、1897年、息子のエルネストが引き継いで完成させた新古典主義様式の堂々たる劇場である。信じられないような話であるが、この劇場と周囲の景観を統一させる為、工事と平行して周辺のバロック様式の多くの建物が取り壊されたという。
 見学料を払いガイドの案内で劇場の中へ入った。美しく豪華に装飾された室内は、柱の一本までまるで工芸品を見るかのようであった。5層になったボックス席には、着飾った紳士淑女が優雅に居並び、客席とほぼ同じ広さを持つ舞台で上演される絢爛たるオペラの、そんな情景を想像するにはあまりにも慌ただしい見学であった。建物内部の撮影は禁止されていたので、記録に残せなかったのは残念であるが、殿堂といわれるだけの貫禄は十分肌で感じることが出来た。
 

◆ シチリア島よ、さようなら

パレルモから帰路へ飛び発つ
 シチリア島は九州に比べればひと回り小さい島であるが、イタリアでは最大の島であり、地中海海域内でも一番大きな島である。この島に関してイメージしていたことは、単純にギリシャ・ローマの遺跡群とマフィアくらいのものであった。
 しかし実際に訪ねてみてはじめて、シチリアにおいては、ギリシャ・ローマの文化はそれだけに留まるものではなく、それが複雑な歴史とそれ故に苦悩し錯綜し他の民族の文化と融合して、独自の文化が形成されてきたということが理解出来たように思う。そして、マフィアが生まれた悲しい歴史的背景なども少しだけ分かった。また、機会があったら訪ねてみたい。

 17:40、アリタリア航空AZ-1794 便の窓から、パレルモの町にお別れをした【写真】。楽しかったシチリア島よ、さようなら。ローマ空港にて2時間の待ち合わせ、AZ-7788便のジャンボに乗り換えまっすぐ成田へと飛ぶ。到着予定は、4月8日15:45である。

<2001 南イタリアとシチリアの旅> −終り−

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