★ 2000 のんびり・スイスの旅
 ◆ 14日目(7月24日) 時々 【全体地図】 目次へ
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【本日の旅程】=サメダン(泊)、→グアルダ、ミュスタイア訪問

 朝から雨、ガッカリである。自然と動作が鈍くなってしまう。
9時、雨は止みそうにもないが、ホテルに居ても仕方がない。「昨日から降っているんだから、もう、そろそろいいんじゃないのかい?雨君よー!」お願いだから降り止んで欲しいと呟き乍ら、僕らも出かけることにした。
 ゴアテックスのレインウエアを着込み、食料とスケッチ用具を背にしてホテルを出る。こんな天候では、多くを期待するのは無理である。シュクォルの再訪は諦めて、まずはグアルダを訪ねてみることにした。

グアルダ行きのバスに乗る


◆ グアルダ<Guarda>
 サメダンから列車でほぼ1時間余り。シュクォルの手前にある小さな集落である。
 駅前に小型の黄色いポストバスが待っていた。グアルダ村は山の中腹に在り、歩いて登れば40分はかかると言う。雨は降り止まないし、ロケーションは良くないし、のんびり歩く陽気でもない。料金(半額パスで一人往復2.4SF)を払ってバスに乗り込んだ【写真右】。バスは急な斜面をグイグイ登り、石畳みの細い路地も見事なハンドル捌きで擦り抜ける【写真下左】

細い路地を擦り抜けて行く

カラフルな建物

スグラフィッティの装飾を施した建物
 ソーリオに似ているな、と思う。しかし、この村の家並みはまるで違った表情で迎えてくれた。カラフルである。一つ一つの建物が美しい【写真上中】。各々が個性を競い合っているように思えた。小雨にけむり、しっとりと控えめな表情ではあったが、それなりの甘い風情があって好ましい。窓には例外なく花が飾られてあり、窓の周りにはスグラフィッティによる装飾も施され、より豊かな表情と気品ある美しさを見せていた【写真下】。ソーリオの建物とは対照的に色彩が豊富である。

スグラフィッティの装飾を施した窓
 もしも、抜けるような青空のもと、明るく太陽に照らされていたとしたらどんなにか美しく光り輝くことであろう・・・、空を見上げ溜息と共に想像する。
 すると、どうだろう。溜息の切なさを察してくれたのか、雨は上がった。休暇用アパートの軒先きに置かれたベンチをお借りして、急ぎ写生に取り組む。家内は、横でサンドイッチを作り、持参のリンゴの皮をむいてくれた。食事をしながらのスケッチ、時々こうした不作法なことをする。今日もやむを得ない事情によるのである。

 何はともあれ、一枚スケッチ出来たことに満足して、いま少し散策してみることにした。(気が急いていたのか、この場所に永年愛用のスイスアーミーナイフを置き忘れてしまった。今回の旅での唯一の無くしものである。・・・無くてはならぬ道具なので、翌日再び同じナイフを購入した。)

 
◆ 二つの出合い

絵はがき『マウルスと3匹のヤギ』
 村の中心部に一軒しかない小さなお土産屋さんは、大繁盛だった。そこでカリジェ<A.Carigiet>の絵本に出会った。懐かしくて思わず手に取って眺めた。グアルダが舞台となった代表作『ウルスリの鈴』。さすが郷土が誇る世界的絵本作家の本である。一番目立つ場所に展示されてあった。「3冊まとめて買ってくれたら安くするよ」とお店のおばさんが勧めてくれたが、彼の絵本は日本の書店でも買うことが出来る。

家並みに薄日が射す
彼の美しい絵はがきも沢山あったので、そちらのほうを選ぶことにした。
 店を出ると二人連れの日本人男性に出会った。同じ年代と見受けた気安さで会話がはずむ。二人共にカメラマンらしく、一人は胸にカメラ、手には貫禄を感じさせるVDカメラを下げておられた。スイスの高山に咲く花に魅せられ毎年のように訪れては撮影を続け、写真集も出版されていると言う。今回も約一ヶ月かけての取材。お二人とも陽に焼けた顔は明るく健康そうであった。お互いに名乗り合い、聞けばお二人とも関東の住人、後日の再会を約束して別れた。(翌日、電車でスレ違い声を掛け合う。帰りの空港でもご一緒することになった。更に帰国してから氏の写真集『アルプスの花』を入手。その素晴らしさに改めて感銘を深めている。高山に咲く花が好きの方に、お薦めしたいと思う。)

 中途半端な時間になったが、もう一箇所訪ねてみたいところがある。世界遺産に登録されているミュスタイア<Mustair>。修道院だから雨降りでもよしとしよう。問題はバスの便が少ないことだが、家内に相談したら何とかなりそうだと言う。バス停に向って歩いていると、薄日が射した。とたんに家並みの壁は喜びの色に輝いた。まるで、突然恋人に出会って頬染める少女のような可憐さであった。【写真】


 ◆ ミュスタイア<Mustair>

ミュスタイアの家並
 ツェルネッツ<Zernez>まで引き返し(凡そ20分)、鉄道はないからここからはポストバスで行く。スイスで一番の秘境とも言われているその村までは、約一時間。スイスで唯1箇所だけ指定されている国立公園(動植物の特別保護区)の荒々しい山岳地帯を通り抜け、ミュンスター谷<Munstertal>の一番奥まったイタリアとの国境近くにあるからだろうか。確かに交通の便は悪いが、秘境と言うイメージからはほど遠いものであった。それは予想もしない程に明るく開けた盆地の中に在ったからである【写真上】。もっとも、1983年にミュスタイアの修道院が世界遺産に登録されるまでは、秘境の名に相応しい村であったに違いない。

聖ヨハネ・パプティスト修道院

村人達の切なる願い
 世界遺産に登録された理由は、村はずれに建つ聖ヨハネ・パプティスト修道院【写真上左】と、その内部に描かれているフレスコ画が評価されたものである。それは、秘境と言われ今でも住人が1000人にも満たない小さな村なのにどうして?と思う程に立派な建物であり、素晴らしいフレスコ壁画であった【写真下】
 祭壇に接して小さな部屋があり、その壁面には村人達の切なる願いがぎっしり張り付けられていた【写真上右】。願いごとを具体的な形で説明しようとした人たちの気持が、いかにも切なく感じられてならなかった。
聖ヨハネ・パプティスト修道院のフレスコ壁画


◆ キリストを抱く聖母マリア像

キリストを抱くマリア像
 修道院の並びに博物館が併設されていたので、3SF払って入館。規模は小さなものであったが、フレスコ画の一部が展示されていて、まじかに興味深く見ることが出来た。

ミュスタイアの街角にて
最も新鮮な心ときめく出会いは、キリストを抱く聖母マリア像【写真左】を見たことである。十字架から降ろされた我が子キリストを優しく膝に抱く聖母マリア、抱かれて幼い頃に戻ってしまったかのようなキリスト、そこには母と子の絶対的な愛の姿が表現されていた。これほど母と子の情愛が素直に素朴な形で表現された作品を見るのは初めてのことである。

 人通りの少ない古い街並みをバス停に向って歩き、振り返って見ると、いかにもこの村らしい建物が目についた【写真右】。短時間の訪問ではあったが、訪ねてみてよかったと思う。心配していた雨は、丁度僕らが訪ねている間だけ、降るのを控えていてくれたようだ。ありがとう。記念に買い求めたミュスタイアのバッジを帽子に付けて、この村にも別れを告げた。さようなら。無事、最終バスに乗ることが出来た。


◆ 勇敢な日本人夫妻
 レストランの奥まった一角が仕切られてあり、そこが泊り客専用の食堂になっていた。7時、ディナータイム。指定されたテーブルに着くと、隣のテーブルに僕らと同じ位の年代と思われる日本人夫婦が座られた。久しぶりの日本人に懐かしさが溢れ、ヤアヤア、コレハコレハとお互いの情報が素早く交換されて、明日もご一緒ですね、どうぞ宜しく、ということになった。大阪の堺市から来られスイス旅行は初めてだそうだが、お二人とも殆ど英語は出来ず、「片言の単語とジェスチャーだけでも何とかなるもんですな」、と明るくおっしゃる。ホテルも予約なし、しかも一ヶ月近くの二人だけの旅である。お年を尋ねたら、「70才をすぎましてね、やっと老後を楽しく過ごせるようになりました」と感慨深げに答えられた。とても小柄なお二人であったが、その溢れるバイタリティと勇気には脱帽である。ちなみに、こんなことがあった。奥さんが過ってフォ―クを下に落としてしまった時のこと。御亭主はウエイトレスを手招きし、フォークが下に落ちたことをジェスチャーで示し、『チェンジ!』。この一言で、新しいフオークが届けられた。お見事である。
 このお二人と僕らとを隣同士のテーブルにしたのは、このホテルのマダムの配慮であったらしい。

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